北海道大学公開講座「持続可能な低炭素社会」第1回講義「『グリーン・ニューディール』の可能性と課題」(2009年4月9日)から
米国のサブプライムローンの破綻を契機に、金融危機の波が世界経済を揺るがしている。輸出依存度が高い日本の製造業も深刻な影響を受け、雇用情勢の悪化も予断をゆるさない。働く人々の生活の保障や社会制度が確保されていないことはアジア共通の問題だ。今年3月に欧州をまわったとき、失業で住まいを失う日本の状況について質問された。経済の原点、“経国済民”に立って総合的に考える必要がある。
この30年間、社会主義国家が崩壊の後、世界は新自由主義と規制緩和を旗印としたグローバル資本主義におおわれた。途上国とBRICsの世界市場への参入が進み、低価格競争と資源の需要が増大した。世界の最富裕層500人の合計所得は、最貧層の約4億人分とほぼ等しく、25億人が1日2ドル以下で暮らしているといわれる。格差が拡大している。
しかも地球は温暖化や生物多様性の破壊など環境の危機にさらされている。個々の対応ではなく政策統合が重要だ。現状を変えるためには、経済・社会・環境の3面から見なければならない。「グリーン・ニューディール(緑の内需)」(注1)ともいうべき、持続可能な公共投資・公共政策が求められる。「人の福祉」とは何か。環境経済学の視点からアマルティア・センの理論を考察したい。保健医療、環境、安全、社会保障、教育などの公共政策が環境政策に生かされる意義は大きいのではないだろうか。
オバマ米大統領は今後10年間で15兆円の資金を投入、クリーンエネルギー経済を促進し、500万人の雇用を創出するグリーンジョブを計画している。例えば“2025年までに電気の25%を再生可能エネルギーにする。キャップ・アンド・トレードプログラムを経済全般に実施、2050年までに温室効果ガスを80%減らす”である。数百万戸の住宅の断熱、代替熱源の採用、食糧の地産化なども具体的に検討されている。新たな経済再生計画は大規模な公共事業を柱に、まず全米の公的施設の暖房や照明を省エネ仕様に換える。緊急対策として道路や橋の建設・補修のほか公共施設の近代化工事を進める、という。キャップ・アンド・トレードプログラムとは排出権取引のことで実質的に環境税に近い。
国連環境計画(UNEP)は、21世紀の「グローバル・グリーン・ニューディール」を提唱している。気候変動とたたかい、雇用を増やす真の成長にとって、クリーン・テクノロジーと自然インフラ(森林と土壌)への投資が必要であるとする(2008年10月22日発表)。公共投資によって需要の回復、雇用や経済への波及効果を狙う場合、持続可能性の指標の活用がポイントになる。インフラ整備には雇用指標も加えて評価し、公共交通の建設、断熱・耐震工事などを優先すべきと思われる。
日本では、環境省が日本版グリーン・ニューディール構想の策定に着手し、5年後の環境ビジネス市場を2006年の4割増の100兆円に育てる、という(2006年について同省の調査では、省エネ家電やエコファンドなど環境誘発型ビジネスの市場規模約65兆円、雇用規模は約144万人)。今後は、回収に関連する各種類別の雇用効果、集めたものの処理に伴う雇用効果と二酸化炭素削減効果も詳細に検討されるべきである。
ベルリンの家電リサイクルでは、社会的弱者、身障者を優先的に雇い、フランスはリユースを優先、社会保障制度と雇用基金がある。
主なリサイクル品目を俯瞰(ふかん)する。ペットボトルでは全国で約2万人の雇用、約6,000億円の設備投資、年間約50億円の再生樹脂市場を生み出しているという試算もあるが、問題は誰の負担によるかである(『月間廃棄物』2002年1月号)。いま日本は約60万トンのペットボトルを生産、容器包装リサイクル法に基づき再商品化事業者が約27万トンを引き取り、中国・香港に約30万トン輸出と推定される(ペットボトルリサイクル年次報告書)。しかし回収処理にコストがかかるために、自治体が輸出向けに高く売却する傾向があり、廃ペットボトルを確保できない国内事業所が相次ぎ破綻あるいは撤退する事態になっている。ボトルと中身のメーカーが負担して国内の買い取り価格を引き上げることも有効ではないか。
携帯電話は1万台集めて1トンになり金を300グラム回収できるが(金価格で89万円)、いわゆる「都市鉱山」から見てわずかにすぎない。複合リサイクルをめざすDOWA社の小坂製錬で2007年に新規導入されたTSL炉の投入原料は、廃水スラッジ、電子部品くず、制御・パソコン・コネクター基盤など、量がまとまって均質なものが中心である。現在、金属価格の値下がりで金属製錬会社が軒並み赤字であり、これへの対処が必要である。日本の情報通信機器の消費電力は国全体の約4%、年間360億キロワット時ほどで、企業内のサーバとネットワーク機器が約半分を占める。サーバの空調方式の改善で省エネを進めることが重要だ。IT業界では輸送用機器の省エネとテレワーク・在宅勤務などの社会活動の効率化が大きな柱となる。従って、省エネ家電の買い換えによる二酸化炭素排出節減効果にあまり大きな期待は抱けない。
「環境破壊なき雇用」が提唱されていたドイツでは、一次エネルギーに対する新規課税を社会保険料の負担減に当て、環境税と年金財政改革は成果を上げた(Binswanger.H・C ほか1983)。これはドイツにおけるエコロジー税制改革の始まりとなった。日本では社会保障経費のための消費税増税案が出ているが、このことはもっと議論されてよい。米国では有害物質の汚染地を規制・浄化するスーパーファンド制度の実施により、8万人を超える雇用と年間27億ドルの収入がもたらされている。ブラウンフィールド(軽微汚染地)として放置されてきた多くの工場跡地は連邦や州の資金援助で再開発が進められ、都市のスプロールを防ぎ、雇用を増やしている。
日本は2003年に土壌汚染対策法が施行されたものの、推定土壌汚染サイト数に比べて確認された数は少ない。しかし日本のマンションの5割が工場跡地に建てられているといわれ、同法の施行以前についても、その宅地利用について土地所有者に土壌調査を全面的に義務づける方向で検討が進められている。土壌環境センターの調査によれば、毎年約1万5千件の調査・対策で約1,600億円の受注高がある。米国のような補助制度があれば、都市の再開発と雇用促進の可能性が広がる。2010年からアスベスト、PCBの処理費用などを財務諸表に計上する「資産除去債務」という会計基準の適用が始まる。土壌汚染対策法の改正と規制の効果が期待される。
アジアとの協力で日本版グリーン・ニューディールを
「2050年日本低炭素社会シナリオ」の研究では、二酸化炭素(CO2)排出量の70%削減が技術的に可能との結論が出ている。国立環境研究所によると2050年70%削減モデルに基づく1990年比25%削減で、年間5-6兆円の費用がかかる。内訳は鉄鋼、化学産業の省エネ投資、住宅用の太陽光1,770万戸、風力約10倍、次世代自動車80%導入などである。これらの支出は内需を拡大させ、関連産業を育てて雇用を創出する。技術開発により国際的な競争力を強めることになる。この追加費用をどうするか。事業者負担のみではなく一般財源化された環境税でまかなうか。日本のグリーン・ニューディール政策の大きな争点といえるだろう。
北海道は、低炭素社会に向けた日本の再生可能エネルギー開発利用の拠点になり得る。苫前町には約40基の大型風力発電機が立地しており、市民風車で知られる北海道グリーンファンドはグリーン電力料金制度(注2)に取り組む。間伐材利用の発電や家畜糞尿からのメタンガス回収などバイオマスも潜在的な可能性が大きい。北海道大学の研究によれば(吉田ほか、2008)、道民559万人の食糧は現状の耕作面積の24%にあたる28万ヘクタールで供給できる。余った生産力をバイオ燃料に回せば、原理的には必要エネルギーを賄える。しかし日本にはバイオ燃料の製造施設を建てる補助はあるが、欧州連合(EU)のようなバイオ燃料用の作物の段階から流通・利用というシステムができていない。森林整備を支える林野公共事業も雇用と経済の活性化に役だつ。道北の環境モデル都市、下川町のバイオマスタウン構想が注目される。
再生可能エネルギー分野は市場と雇用の規模拡大が予想される。電力の買い取りや炭素税、排出権取引など制度の整備が欠かせない。研究開発や設備だけでなく、投資と普及のためのインセンティブや制度改革の両輪で進めるべきであろう。日本は送電と電力が一体で電力会社の力が強く、一度つくった施設をフル稼働する姿勢だ。市民風車ではローカルなお金の流れを広げることが課題である。現在、金融規制のあり方があらためて問われているが、金融機関が社会福祉を増進させるプロジェクトに融資するように仕向けることもできる。グリーン・ニューディールの考えをオバマ大統領に提供した「グリーン・リカバリー」の起草者であるロバート・ポーリン・マサチューセッツ大学教授の『失墜するアメリカ経済』(日本経済評論社)日本語序文で提出されている。
日本では史上最大の財政出動が行われ、政府成長戦略の一環としてグリーン・ニューディール政策が実施されようとしている。しかし環境省の案「20年めどに太陽光発電の導入量を20倍に、ハイブリッド車などの購入に補助ほか」は、落ち込みの激しい輸出産業の業界救済の色が濃い。制度改革も太陽光発電の固定価格買い取りに限られている。しかも道路財源を一般財源化したものの、実際には特定財源化が維持されている。道路や新幹線の財政支出の継続・拡大で財政赤字が累積し、建設工事による環境破壊も無視できない。真に環境・経済・社会の3面での持続可能性の基礎となるか、国民的議論を広げ、精査されるべきだ。短期的には大企業の市場確保のルートより、雇用や地域活性化のための具体的な政策と補助が重要である。
グリーン・ニューディールの考えを提供した米プログレスセンターのバン・ジョーンズは著書「グリーン・カラー・エコノミー」に「下からのグリーン・ニューディール」を示す。その支援のために、連邦基金によるグリーン・ビジネスへの資金提供のメカニズムを提案している。行政が予算をかけずに住民が「モノ、地域、生活」を調べ、生活文化を創造していく「地元に学ぶ地元学」(吉本哲朗、2008)、水俣市から始まった「村まるごと生活博物館」は、地域活性化と環境保全につながる好例である。
これまで東アジア諸国は「世界の工場」として欧米に製品を輸出してきた。なかでもグローバル資本主義に組み込まれた中国の社会主義市場経済は、「3つの低コスト(出稼ぎ農民の賃金、資源、環境)」によって低価格品の世界的な供給基地となっている。その結果、中国のCO2排出の4分の1は輸出に起因していると見られる。日本も自動車とデジタル製品の輸出依存が続き、競争力を高めるという理由で製造業の労働者派遣も認めた経緯がある。だがますます対外依存を強め、今回のバブル崩壊の衝撃を受けてしまった。
米国の家電量販店を調査したが、日本国内よりも安く、デジタル製品の日韓安売り競争の様相を呈していた。これは労働コストを削って海外では安く、国内では高く売って利益を上げようとする日本の産業構造が、絶えず海外の消費動向と為替相場の変動にさらされるという格好の例だ。中国と日本は輸出でためたドル建ての米国債の保有高がきわだっており、米国の経済危機の影響をより強く受ける。輸出指向経済を改め、中国も日本も韓国も内需拡大と働く人々の“生活の質”の改善、労働時間の短縮が求められている。
中国における社会的格差の是正は、中国製品の低コストと競争させられている世界の非正規雇用者の状態を改善することになる。中国に投資し、安いからと輸入してきた先進諸国の責任も非常に大きい。まさにグローバリゼーション、中国が変わるためには世界もまた変わらなければならない。さらに東アジア、とくに日本や韓国にとって中国の環境汚染は、共同で取り組むべき緊急の課題である。すでにエコタウン計画、汚染防止など、北九州市ほか中国東北部の諸都市との連携が進められている。インドや中国の石炭火力発電所の技術問題もある。危機を転じて多面的な協力関係を築く機会である。
グローバル経済、市場万能主義が日本の経済社会に何を引き起こしたか。危機の原因を正しく分析診断し、的確な措置がなされるべきだ。日本ひいてはアジアの将来を見据えた、日本版ニューディールの構築、そして最も被害が深刻な弱い立場の人々への対応が肝要である。
- 注1)グリーン・ニューディール:
最初に提起したのは英国の新経済財団(New Economic Foundation、A Green New Deal)(2008年7月)。信用危機、気候変動、石油高価格の3つを解決するため、特に英国を念頭に金融・税制・エネルギー政策の再建を求め、再生可能エネルギーへの断固とした展望を出して、環境再生事業へ勤労者を再訓練することを提案している。 - 注2)グリーン電力料金制度:
月々の電気料金に5%を上乗せし、会員の通帳講座から引き落とす。5%分は自然エネルギーの市民発電所を造る基金とする。5%分は家庭で省エネの努力をしてもらい、その節約分を寄付するシステム。
吉田文和(よしだ ふみかず氏のプロフィール
1978年京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、同年北海道大学経済学部専任講師、助教授を経て、2000年同大学大学院経済学研究科教授、05年から同大学公共政策大学院教授、09年から同公共政策学研究センター長も。京都大学経済学博士、専攻は産業技術論、環境経済学。著書に「ハイテク汚染」(岩波新書)、「IT汚染」(同)、「循環型社会」(中央公論新社)など。長年、経済と環境と技術の関係について、理論的研究と実証的研究に携わり、最近はアジアにおける循環型社会の共同研究を行なっている。
関連リンク
- 下川町バイオマスタウン構想 サイト