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発明は条件がそろわない限り実現しない(ヴィントン・サーフ 氏 / グーグル社 副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリスト)

2008.05.02

ヴィントン・サーフ 氏 / グーグル社 副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリスト

日本国際賞受賞記念講演会(2008年4月22日、国際科学技術財団 主催)講演から

グーグル社 副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリスト ヴィントン・サーフ 氏
ヴィントン・サーフ 氏

 インターネットの発明・開発にかかわることになった私の歩みをご紹介できることを光栄に思います。

 1940年代から50年代にかけての子ども時代、私はいつもたくさんの本と教育熱心な家族に囲まれていました。ひまがあればラジオから流れるクラシック音楽を聴いて、アナウンサーが言う前にその曲名や作曲者を当てるのが好きでした。博物館にも行きました。多くの子どもたちと同様、恐竜やエジプトのミイラなど、はるか昔の展示に魅了されたものです。私は本の虫で、子どものころから相当数の蔵書がありました。「1、2、3…無限大」(ジョージ・ガモフ)、「微生物の狩人」(ポール・ド・クライフ)などを読んだことを思い出します。12歳前後に好きだったのは「少年科学者」(ジョン・ルウェレン)です。さまざまな実験を描いた実用書で、非常に面白いコンセプトがあれこれ紹介されてました。そのころには、私は化学実験セットを持っていました。米国の化学実験セットが幅広い化学物質をずらりと備えるようになっていた1955年ごろだったと思います。いろいろなものを混ぜては何ができるんだろうと何時間も試していました。

 「Erector」セットを使って機械を組み立てるのも化学と同じくらい好きでした。それから数学にもずっと興味がありました。5年生、11歳のころ、今習っている算数はつまらないと先生に文句を言ったことがあります。すると7年生の代数の教科書をくれたので、その中の問題を一つ一つ解いてはすばらしい夏を過ごしました。特に文章題が私のお気に入りでした。ちょっとしたミステリーのようだったからです。最終的にはXが何かを探り当てればよいのです。

 数学の関心はすぐにコンピュータへの関心につながりました。1960年、高校の親友がUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にあるBendix G-15というコンピュータの使用許可をもらいました。だれも使っていない時に使わせてもらえるということだったので、私たちはよく夜間や週末を利用してコンピュータを動かすプログラムを作りました。

 この高校時代に、学校対抗戦の「Knowledge Bowl」をはじめとする数学コンテストなどに参加しました。「Winged Pen」という文芸誌の編集者も務めました。この体験から創作や詩作にも関心が向き、今もそれが続いています。

 父は第二言語を学ぶのも大切なことだと考えていたので、私がまだジュニアハイスクールのころにドイツ人家庭教師を雇いました。毎週水曜日の夜2時間、私たちはドイツ語で読書や会話をしました。その後、ドイツ語で両親に何かを聴かせなければなりません。デザートはその後です。

 1961年にスタンフォード大学で学び始めるころには、私は数学とコンピュータに強い関心があり、これらの科目で多くのカリキュラムをとりました。スタンフォードはリベラルアーツを重視するため、西洋文明史と当時呼ばれた授業が必須でした。ギリシャ時代、ローマ時代からルネッサンス、いわゆる「理性の時代」まで、私は本当にたくさんの本を読みました。スタンフォードには今も感謝しています。後になって自分からこうした本を読むとは思えないからです。

 インターネットの発明とその後の進化は、1960年代初めにその基礎があります。またある意味では、電信の発明を受けた1900年代半ばまで間違いなくさかのぼります。その後にはもちろん電話、そしてラジオが発明されました。こうした発明の一つ一つとその関連技術が、インターネットの登場に何らかの影響を及ぼしています。

 発明は条件がそろわない限り実現しないというのは自明の理です。こうした条件は技術的なものかもしれませんし、経済的、社会的、政治的なものかもしれません。それらが合わさったものかもしれません。見方によっては、インターネットにつながる条件はこのすべてに帰することができるでしょう。

グーグル社 副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリスト ヴィントン・サーフ 氏
ヴィントン・サーフ 氏
(Vinton Gray Cerf)

ヴィントン・サーフ 氏(Vinton Gray Cerf)のプロフィール
インターネットのネットワーク設計概念と通信プロトコルの創成の業績により、ロバート・カーン博士とともに2008年の日本国際賞を受賞した。カーン博士ともども「インターネットの父」と呼ばれている。65年スタンフォード大学卒、70年カリフォルニア大学ロサンゼルス校修士課程修了、72年同博士課程修了、博士号取得。65年スタンフォード大学卒業後、2年間IBM社に勤務。72年スタンフォード大学助教授、76年防衛高等研究計画局(DARPA)、82年MCI社副社長、86年コーポレーション・フォー・ナショナル・リサーチ・イニシアティブ(CNRI)副社長、94年MCI上級副社長、2005年から現職。

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