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コラム - オピニオン -

ICRPの正しい理解を

日本アイソトープ協会 医療連携室長 中村佳代子 氏

掲載日:2011年6月1日

日本アイソトープ協会 医療連携室長 中村佳代子 氏

中村佳代子 氏

 

ICRPとは、International Committee on Radiological Protectionの略で日本語では「国際放射線防護委員会」 と称されています。《ICRP勧告》は福島第一原子力発電所の事故以来、よく耳にする言葉です。しかし、その解釈の誤解や引用について正しくない理解が、少なからずあります。そこで、ICRPやICRP Publicationにある英語の記載事項を正しく理解していただくことを意図として、日本アイソトープ協会は「ICRPを読み解く」という勉強会を5月10日に開催しました。

ICRPはindependent non-governmental organizationであり、Main commissionとScientific Secretariat の他、5つの委員会(Radiation Effects;Dose from Radiation Exposure;Protection in Medicine;The Application of ICPR Recommendations;Protection of the Environment)から成り立っています。各委員会はそれぞれ特有のプロジェクトを担当し、その時期と場合に応じてTask/Working Groupsを企画し、成果はAnnual reportとして出版されます(ICRP Publication)。その中で、最も重要な仕事が「ICRP Recommendations:ICRP勧告」であり、これに関連したデータやその算出方法、適用もPublicationとして報告されています。データブックを除く、ほとんどのPublicationが日本語に翻訳されており、特に「ICRP勧告」は、日本の放射線防護政策の大きな礎となっています。

「ICRP Recommendations」は、UNSCEAR(United Nations Scientific Committee on the Effect of Atomic Radiation=原子放射線の影響に関する国連科学委員会)のScientific data(例:世界各地の放射線測定値や宇宙の放射線、さらに各地の医療放射線の量など)を基に、BEIR(the Biologic Effects of Ionizing Radiation reports of the US National Academies)などのScientific data(例:放射線の健康への影響など)も取り入れて、作成されます。これにProfessional組織(いわゆる専門集団;IRPAやISRなど)からの意見を聞くことで、「ICRP Recommendations」の透明性を確保しています。「ICRP Recommendations」は、国際的な法令や規制に踏み込むことはしませんが、上記のProfessional組織は勧告をフィードバックさせ、ILO(国際労働機関)やWHO(世界保健機関)などの国際的組織はこの勧告を参考にし、BSS(International Basic Safety Standards for Protection against Ionizing Radiation and for the Safety of radiation Sources)のような基準などを作成しています。また、各国はおのおのの状況をすり合わせて、取り込むことを検討します。取り入れは、その時々の政治的背景が組み込まれますので、この勧告は国際的にも、国内的にもその政策や規制に非常に大きな影響を与えることになります。

UNSCEARにある自然の放射線に関するデータや医療放射線の使用状況は少しずつ変化し、放射線利用や医療に関係する技術は日々進化しています。また、事故などに伴う経験や疫学的データは年数とともに蓄積されます。さらに、原子力利用をめぐる政治的背景も時代とともに変化します。こうした変化を受けて、「2007 ICRP Recommendations」は「1990 ICRP Recommendations」と比べて、“how to”(方法論)よりも、“why”や“whether”に重きが置かれ、防護の対象も一塊の集団よりは、個人を対象とする考えになってきました。

UNSCEARなどでは、科学や事実についての論文が参考となっていますので、文章の形は過去形が多いようです。また、疫学や医学の分野では『…で有意な差は認められない』といった慎重な表現を使うことが多いようです。放射線の影響の中でも晩発的影響や遺伝的影響などについて明確なエビデンスがない場合は、結論は非常に慎重な言い回しをしています。防護は、これらの科学的事実や疫学的推察を基に論じられています。その時点での国際的情勢を背景に、かなり現実的なシナリオが描かれ、それを基にしたシミュレーションが勧告につながっていきます。勧告の英文では、文章の構成上、防護の目的が最後半に書かれていますので、日本語に訳した文章は慎重に慎重を重ねた“まだるっこしい”表現となってしまいます。なお、英語の文章としては、後半に”can/may”が、前半の主文には”should”の助動詞が使われています。勧告は“recommend”や“advice”よりも強い表現であり、遠い推測は“will”の表現を用いているようです。対照的に、BSSなどは、shall文と称し、勧告よりも、強い指示文書となっています。

ICRP Publicationの日本語版は、第一に英語の専門家による英語訳から始まり、その後、該当する分野の専門家による校閲、さらに、ICRP翻訳検討委員会の校閲を受けます。刊行物になるまでに通常の翻訳書より時間を要している理由は、翻訳版が日本の政策決定や法省令などとの整合性の検討に用いられるために、日本語表現や語句に慎重な注意を払う必要があるからです。日本の他、英語を母国語としていない国でも同様の注意が必要です。中でも、《exposure:(暴露でなく)被ばく》や、《contamination:汚染》などは、誤解や曲解が起こりやすいことをICRP Publicationでは記載しています。

防護の基本である、ICRP Publication独自の用語には解説を含めた定義があり、その定義を精確に理解することも重要です。例えば、《Public exposure:公衆被ばく》と《Occupational exposure:職業被ばく》との鑑別、《Planned exposure:計画被ばく》と《Emergency exposure:緊急時被ばく》、さらには、《Existing exposure:現存被ばく》との鑑別、そして、それぞれの時期における《公衆被ばく》と《職業被ばく》との鑑別など、シナリオを頭に描きながら、用語の意味を理解する必要があります。

勧告文では数値の扱いも慎重な表示になっています。科学論文のように明確な根拠を示したものではなく、シナリオを基にしたシミュレーションが論拠となるため、数値は《reference level:参考レベル》という表現となります。Reference levelを取り入れるかは、それぞれの組織や国に任されることになります。Reference levelは時代とともに、変更される可能性があります。こうした値を基に、防護として何らかの手段をとる、あるいは、政策を実行することを《intervention:介入》と称しています。

以上のように、シナリオを考えずに、ICRP勧告の文章を理解することは容易でないことがわかります。シナリオは同じであっても、それをどの程度重要な事象、あるいは、リスクと判断するかは、ICRP Recommendationsではauthorityに委ねています。そして、authorityに関する定義は、翻訳版に任されています。すなわち、《当局》とされるか、あるいは、《専門家》とするかは、文章の行間を読み解きながら、解釈していくしかないのが実情です。Reference levelを提唱する、あるいは、取り入れるauthorityが学者、科学者、そして、政治家であるかによって、勧告内容の合理的な説明は異なってくる可能性もあります。数値の独り歩きや正しくない解釈を防ぐためには、おのおのの立場を明確にすること、そして、対象者の目線に沿った説明が必要であると考えます。

 

日本アイソトープ協会 医療連携室長 中村佳代子 氏
中村佳代子 氏
(なかむら かよこ)

中村佳代子(なかむら かよこ)氏のプロフィール
東京都立日比谷高校卒。1978年東京工業大学大学院理学系研究科博士課程修了、理学博士(化学専攻)。東京都臨床医学総合研究所放射線医学研究室(研究員)、慶應義塾大学医学部放射線科学教室(専任講師)を経て、2010年1月から現職。この間、カリフォルニア大学バークリー校 (Department of Biochemistry)に留学、また、日本経済新聞社・先端技術評価委員会委員や日本核医学会の幹事長、広報担当、国際会議担当理事などを務める。専門は100編以上の英語論文からすれば核医学だが、最近は《科学語トランスレーター》としての意識も。

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