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科学技術立国を考える(洪 政國 氏 / 東京大学 国際連携本部 特任教授)

2009.08.19

佐久間健人 氏 / 高知工科大学 学長

高知工科大学 学長 佐久間健人 氏
佐久間健人 氏

 科学技術立国と言われている。天然資源に恵まれず国土の狭い日本が、将来にわたって豊かな社会を維持するには科学技術振興が必須であるという認識に基づくものである。1995年に成立した科学技術基本法は、このような理解をもとに生まれたものであり、その後、3期にわたる科学技術基本計画の実施によって、年間4兆円を超える資金が投入されてきている。この政策が、大学や研究機関などの研究資金を潤沢にし、研究活動が活性化していることは確かであろう。

 しかし一方では、競争的資金の配分などについてさまざまな意見があるし、また十数年間に及ぶ巨額な資金投入にもかかわらず、産業界が活況を呈したり、新たな産業が立ち上がるといった気運も見出せないことにある種の失望感も生まれつつある。この状況を打破するカンフル剤があるというわけではない。産業振興は、科学技術政策だけでは対応しきれない多面的な課題であることを認識したうえで、研究課題設定を吟味することが問われているのであろう。

巨額の研究資金が配分されるに伴って、国費を使うにあたっての社会的な説明責任が問われることになった。この説明責任というのは大変難しいものであるが、それがいつの間にか「実用」というキーワードに置き換わってしまったようにみえる。例えば、私の専門分野であるナノテクノロジー・材料分野では「使われてこそ材料」という表現が用いられている。実用化が強く要求された結果、プロジェクト提案には研究をすればすぐにでも実用化が進むような表現が氾濫している。

 しかし、多くの方々がご承知のように、実用化にはさまざまな要因がからむものであり、新奇材料が見つかれば直ちに実用化につながるなどという単純なものではない。実際に、私が読んだプロジェクト提案の中には、研究期間内に実用化が図れるとは思えないものが多くあり、それらは単に申請者が実用を目指したいという個人的な期待の表われというべきものであった。申請者は、時流に合わせただけと思っているかもしれないが、研究費を獲得するための誇大表現が常態化することは厳につつしむべきことである。研究者に求められる事実の検証あるいは客観性の担保といった基本的な要件が忘れられ、ひいては研究者のモラルハザードにつながるのではないかと懸念している。

 実用という観点からすれば、良いものが出来れば売れるとは限らないのである。ビデオデッキの開発に見られた「ベータ対VHS」、パソコンにおける「Mac対Windows」の競争の結果はその例だといわれている。市場規模が大きければ大きいほど、市場を占有する競争は激化し、性能の良さだけでは競争に勝ち抜けなくなるのである。携帯電話市場での日本の立ち遅れも、国内メーカー各社が高度な機能を追及するという日本国内市場戦略に特化した対応をとったため、グローバルな流れから取り残されてしまったためであるといわれている。市場という視点に加えて、社会状況や政策も企業の技術開発に決定的な役割を果たすことが多い。実用化を意識するのであれば、技術を取りまく社会科学的な分析や調査を踏まえたうえで新技術開発の方向性を判断しなければならない。

 研究費の獲得に競争の原理が導入されたことには評価すべき点が多い。しかし、競争資金の配分がパターン化すると負の側面も顕在化してくる恐れがある。現状では、研究資金が有力大学など特定のグループに集中しつつあり、建物や設備投資が過剰になりつつあるという例も見られる。これには、競争的資金を獲得することが多くの大学や研究機関の至上命題となり、極論すれば、獲得した資金量の多さが優れた研究であることの論拠に使われ始めていることから発しているものである。

 研究資金を獲得することが目的化することは、社会への説明責任からは乖離(かいり)してしまうことになる。このような状況を打破するためにも、従来の枠組みを超える新しい提案が待たれるところである。新たな構想を立ち上げるにあたっては、産業の繁栄に決定的な影響を及ぼすアプローチは、必ずしも最先端研究には限らないということを理解すべきである。台湾における半導体産業の成功はその好例である。また、科学技術だけではなく社会科学的分析を取り入れた提案も今後ますますその重要性を増すであろう。この点は、環境分野やエネルギー分野などの重点分野の研究方向を考えるうえで必須であるといえる。

 最後に付け加えたいことは、科学技術立国が研究資金の投下だけでは達成されない可能性が高いことである。若者の理科離れが指摘されて久しいが、この傾向が改善される兆しは見えてこない。理科離れは工学部で顕著であり、現状では、多くの大学で工学部は最も入学しやすい学部のひとつになりつつある。工学部に入るインセンティブが低いという傾向は、アジアの新興国などとは明らかに異なるものであり、この状態を放置したまま科学技術立国と言いつづけるには空しさが伴う。これは教育制度あるいは社会のあり方の根幹にも関わる難しい問題を含んでおり、科学技術政策だけで対応しうるものではない。しかし、科学技術者が志を高く持ち、現状の閉塞感を打ち破ることこそが、社会に対する説明責任を果たすとともに、若者に科学技術分野の魅力を伝えることにもつながっていくのであろう。

 第4期科学技術基本計画が、科学技術という立場から日本の将来に展望を見い出す転機となることを強く期待するものである。

高知工科大学 学長 佐久間健人 氏
佐久間健人 氏
(さくま たけと)

佐久間健人(さくま たけと) 氏のプロフィール
1965年東北大学工学部卒、70年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、東北大学工学部助手、74年同助教授、81年から英ケンブリッジ大学客員研究員を経て86年東京大学工学部教授。2004年大学評価・学位授与機構教授、東京大学名誉教授、05年高知工科大学副学長、08年から現職。 専門は材料科学。工学博士。著書に「材料科学概論」(共著、朝倉書店)、「セラミック材料学」(海文堂)など。

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