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世界が見ている福島原発事故対応(黒川 清 氏 / 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会〈国会事故調〉委員長)

2012.07.06

黒川 清 氏 / 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会〈国会事故調〉委員長

日本記者クラブ主催記者会見(2012年7月6日)・調査報告書(同5日)「はじめに」から

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会〈国会事故調〉委員長 黒川 清 氏
黒川 清 氏

 今回の調査に当たっては、外国の取り組みが非常に参考になった。米国はスリーマイルアイランド(TMI)原発事故(1979年)以来、さまざまな苦労を乗り越えてきた。原子力発電所事業者は、TMI事故が起きた年に安全性および信頼性の向上のための支援組織としてINPO(原子量発電運転協会)を設立している。1986年にソ連・チェルノブイリ原発事故が起きた後の1989年には、WANO(世界原子力発電事業者協会)という各国の原子力発電所事業者の連盟が設立された。

 事業者はお互い監視し合いながら、いかに信頼を勝ち取るか緊張感を持ちながら設備と運転の安全性向上に努め、規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという姿勢を持ち続けてきた。

 日本の場合、1960年代に原子力発電が入ってきたが、今回の事故の根本的な原因は、高度経済成長期にさかのぼる。50年にわたる一党支配の中で、原子力発電は政界、産業界、役所、メディア、学界が一体となって進めてきた。経済成長をしてきたことによる「自信」が次第に「おごり」になり、「慢心」になった。前例を踏襲すること、組織の利益を守ることが、国民の命を守ることよりも優先され、安全に対する世界の動向を知りながら、安全対策は先送りにされた。

 国民の安全が大事なのに、日本は原子力基本法を見ても、あくまでも守るのは「原子炉の安全」でしかない。過酷事故をどうして防ぐのか、過酷事故が起きた時にどうやって国民を避難させて、安全を守るのか、法律の見直しも必要だ。

 日本のガバナンスはどうなっているのか、世界から注目されている中で立法府が事故調査委員会を立ち上げてくれたことで、今回、調査報告を出すことができ、日本として一つの回答を出せたと考えている。

 立法府が行政府をチェックすることが大事なプロセスであり、それを一歩ずつ進めることが大事だ。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会〈国会事故調〉委員長 黒川 清 氏
黒川 清 氏
(くろかわ きよし)

黒川 清(くろかわ きよし)氏のプロフィール
成蹊高校卒、62年東京大学医学部卒、69年東京大学医学部助手から米ペンシルベニア大学医学部助手、73年米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部内科助教授、74年南カリフォルニア大学准教授、77年UCLA医学部内科准教授、79年同教授、83年東京大学医学部助教授、89年同教授、96年東海大学医学部長、総合医学研究所長、97年東京大学名誉教授、2002年東海大学総合医学研究所長。03年日本学術会議会長、総合科学技術会議員に就任、日本学術会議の改革に取り組むとともに、日本の学術、科学技術振興に指導的な役割を果たす。06年9月、定年により日本学術会議会長を退任、同年10月から08年10月まで内閣特別顧問。06年11月から政策研究大学院大学 教授。11年12月から国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)委員長。

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