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化学の世界はまだまだ広い
第3回「新しい世界つくる基」

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏

掲載日:2010年11月19日

日本記者クラブ主催 昼食・講演会(2010年11月1日) 講演・質疑応答から

北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏

鈴木 章 氏

 

理科系の人間は昔から「セレンディピティ」という言葉をよく使う。大きな発見というのは偶然からやってくるという意味だ。私はいつも学生に言っていた。セレンディピティ、幸運がやってくるチャンスというのは人間だれでもある、と。科学者、技術者だけではなく、銀行員でも、商業をやっている人でも、記者の皆さんでもセレンディピティというのはいつでも平等にあると思う。

しかし、セレンディピティをうまく生かすことができるかどうかは、注意深い心と一生懸命やろうと努力する精神、それからものに対して謙虚に考える、結果に対して自分の考えでねじ曲げるようなことをせず謙虚に考えることが必要ではないだろうか。それがあって初めて幸運の女神がほほえむ、初めて大きな幸運が生まれるのだと思う。何%の努力と何%の幸運が必要かということは分からないが…。

首相、文部科学相にお会いしてお礼を申し上げたときに話したことがある。サイエンスという世界は、教育も同じだが、成果は簡単に出ない。だから時間がかかるということをぜひお考えいただきたい、と。今、研究者も日本の経済事情が大変だということは分かっているだろう。だから希望した研究費が100%出なくても仕方ない、と皆思っているはずだ。しかし一律に何%削る、というようなことすべきではないと思う。

幸いこの10年近くの間に物理や化学で日本人のノーベル賞受賞者が増えているのは事実だが、これは明治時代以来の科学や教育に対する日本国民と政府の温かい気持ちがあってのことだ。今韓国や中国は早くノーベル賞をとろうと希望し努力されていると思うが、日本の実績はそれだけの時間がかかって花開いた結果だ、と私は考える。ノーベル賞がどうこうということではないが、自然科学や教育というものは、今日予算をたくさんつけたから明日には成果が出るというものではなく、長い期間がかかるのだということを、政治にかかわる人たちは忘れないでいただきたい。

米国から帰った後、長くて3カ月程度という短い期間、客員教授として英国、米国、台湾に行ったことはあるが、定年になるまでずっと北大にいた。外国から長期のポストを提示されたこともあった。しかし、行こうと思ったことはない。だんだん仕事ができるようになり、日本にいても外国に負けない仕事ができるという考えがあったからだ。

定年になる前に国内の大学からも来ないかと言われたことが何回かあった。移らなかった理由の一つは、新しい研究室をつくるのは結構大変だからだ。1年や2年ではできない。研究者の引き抜きが非常に多い米国などは、俸給を倍にするとか、研究費を5倍出す、といった条件がつく。日本の場合にはまずそういうことは考えられない。移ってもメリットはあまりなく、むしろ時間的なロスが多いということになるので、そうしなかったということだ。

また昔は、例えば米国にはよい試薬会社があり純度のいい試料を買えるが、日本では簡単に手に入らないといったことはあった。しかし、今はそんなことはない。ただし、問題がないわけではない。私の例でいえば、クロスカップリングに最初に注目してくれたのは米国だし、その反応を使って最初に企業化したのも米国だったと思う。日本の成果なのに米国で使われてから日本でも使うようになったという例は、私以外にも結構あるのではないか。企業の方たちに日本の研究というのをもう少し大事に見ていただきたい、という思いはある。

化学というのはわれわれの時代から3K、汚い、くさい、きついと言われていた。重化学工業の興隆期には、これからは化学の世界だ、となった。若い人たちの好みにかかわらず、新しいものを使う企業が伸びるだろう、と。今後、再び重化学工業の時代が来るなどということはなかなか考えられない。しかし、例えば有機ELにしても電気機器の寿命を延ばすといったことも皆、化学のおかげだ。

化学がなくなったら大変なことになる。農薬のない世界がいいなどといわれるが、農薬がなくなったら今の農産物生産量はがた落ちになる。もちろん害になる農薬は悪い。しかし、それを解決するのもまた化学をやっている人である。ものをつくったり、毒を取り除いたりするのは化学の知識がないとできないからだ。化学の世界はまだまだ広い、ということをぜひ認識していただきたい。

化学というのは新しい世界をつくる基になる学問、科学の一つだ、と。

(完)

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北海道大学 名誉教授、2010年ノーベル化学賞受賞者 鈴木 章 氏
鈴木 章 氏
(すずき あきら)

鈴木 章(すずき あきら)氏のプロフィール
北海道立苫小牧高校(現・北海道苫小牧東高校)卒。北海道大学理学部化学科卒業、同大学院理学研究科化学専攻博士課程修了後、北海道理学部助手に。北海道大学工学部合成化学工学科助教授時代の1963-65年米パデュー大学のハーバート・ブラウン教授の研究室で有機ホウ素化合物の研究を行う。73年北海道大学工学部応用化学科教授。94年北海道大学を定年退官し、同大学名誉教授、岡山理科大学教授に。95-2002年倉敷芸術科学大学教授。01年にパデュー大学招聘教授、02年台湾中央科学院、国立台湾大学の招聘教授も。有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリングの業績で根岸英一・米パデュー大学特別教授とリチャード・ヘック米デラウェア大学名誉教授とともに2010年ノーベル化学賞受賞。同年文化勲章も受章。

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