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生命(いのち)をつなぐ食

京都大学大学院 農学研究科 教授 新山陽子 氏

掲載日:2008年2月8日

日本学術会議 第二部 冬季公開シンポジウム(2008年2月5日)講演から

京都大学大学院 農学研究科 教授 新山陽子 氏

新山陽子 氏

 

人の生命現象は、遺伝子や細胞から人体の各機構のレベルまで、代謝や発生、発達など、生物としての人体の内部メカニズムとして考察されてきた。人体を一つのシステムとしてみたとき、外部の要素は操作できない与えられた環境とみなし、生命現象は主にシステム内部の現象として究明されてきたといえる。病気と治療となると、人体内部のメカニズムに外部の危害因子の影響や、治療という外部からの作用を考慮に入れる。医療制度は外部要素として考慮されるが、どちらかといえばこれもまた人体の内部システムを中心において、外部要素の作用を含めたセミオープンなシステムの現象を考察しているといえる。

では、生命に食はどのように関与するだろうか。人と食物との関係は、人以外の動物の場合とは異なる。動物にとって食物の状態は、自らは操作できない環境でしかないが、人間は、自ら食物を作り出す食物の生産・供給という社会的な人間行為があって、生命が維持されている。また、人間にとっての食物の摂取=食事は、単なる栄養補給ではなく、嗜好、習慣、文化的な要素に左右され、生活という意思的行為の一環である。

生命の持続とは、多層的な次元において把握されなければならないものであり、最終的には食を含む、また環境を含むオープンシステムとしてとらえることが必要だろう。

日本では太平洋戦争後、食料生産基盤を再建して飢えが克服され、食品や生活の衛生環境が整って以降、食物の生産や食事が生命をつなぐ行為であるという実感は薄れた。しかし、飢餓を抱える国ではない日本においても新しい現象が起こり、命をつなぐものとして食をとらえ直すことが必要になっている。現在の大きな課題は「子供の健全な食事の保障」「食品安全の確保」「食料の安定確保(食料安全保障)」にあるのではないだろうか。

日本の食事は、国民栄養の水準でみると、PFC(タンパク質・脂質・炭水化物)比率のバランスがとれた理想的なものとして世界に知られる。しかし、個人や家庭に目を向けると、児童の栄養状態のアンバランスや悪化が目立つようになっており、学校給食に栄養補給を依存した時代を彷彿させる事態さえ出現している。未来を担う子どもたちの栄養状態のアンバランスは深刻だといえる。本格的な調査と行動計画が必要ではないだろうか。

食品安全も、今、重要な社会的問題と認識されるようになった。大量生産・大量流通、貿易自由化のなかで、これまでにない新たな考え方と管理の仕組みを必要とするようになっている。そもそも健康に悪影響を与える危害因子を百パーセント排除はできない。「リスク」概念を導入し、健康への悪影響の発生の確率と重篤度を予測し、それが「社会的に許容可能なレベルかどうか」を判断し、必要な予防措置を講じる。つまり科学的なデータにもとづくこと、またすべての関係者のコミュニケーションにもとづいて検討のプロセスを進める、「リスクアナリシス」という枠組みが国際的に採用された。

しかし、リスクの分析や判断の手法の開発、また、最大の関係者である消費者のリスク認知や食品選択行動の分析も始まったばかりだ。欧米では既に食品安全行政を支えるレギュラトリーサイエンスという科学領域が市民権を得ているが、日本ではまだ確立していない。必要性を提唱していかなければならないと考えている。

食料の安定確保は、先進国にとってはナショナルセキュリティの重要な一画をなす。英国やスイスは1960年ごろ40%、50%だった食糧自給率を長年かかって引き上げ、70%台、60%台に引き上げた。それに対して日本は60年当時78%もあった自給率が、今や40%を切ってしまっている。海外からの食料調達の先行きは、農作物をエネルギー原料として利用する最近の動きや、中国など途上国が輸入依存へ転換するなど、楽観できなくなった。さらに、原産国の食品事故、感染症の発生によって、突然調達が止まる不安定さもあり、食品安全対策にも絡んでくる。大量の水使用による地下水の枯渇や土壌悪化を輸入国に強い、他方、日本は食料の輸入依存により農地、山林の荒廃が進み、輸入食料の窒素分が滞積するなど、大量の食料の一方通行貿易は、双方の国に環境問題を生み出している。

このような状況を変えるには、いずれの局面においても、国民、行政、研究者の共同作業が不可欠であり、研究者間でも自然科学、人文・社会科学の共同が必要とされている。

京都大学大学院 農学研究科 教授 新山陽子 氏
新山陽子 氏
(にいやま ようこ)

新山陽子(にいやま ようこ)氏のプロフィール
1980年京都大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士、84年京都大学農学部助手、講師、同大学院助教授を経て、2002年から現職。専門は農業経済学。牛肉などのフードシステムの構造変化に関する国際比較、食品安全確保の社会システム、消費者のリスク認知や食品選択行動などを研究テーマとしている。著書は『牛肉のフードシステム―欧米と日本の比較分析』(日本経済評論社)、『解説 食品トレーサビリティ―ガイドラインの考え方/コード体系、ユビキタス、国際動向/導入事例』(昭和堂)、『食品安全システムの実践理論』(共著、昭和堂)など。

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