サイエンスクリップ

細胞内カルシウムが眠りを導いていた!?

2016.04.26

 私たちはなぜ眠るのか。今の科学ではこの単純な問いに満足に答えられていない。今、世界中で睡眠の謎の解明に向け、ホルモンの影響や体内時計との関わりなど、さまざまなアプローチで研究が進められている。上田泰己(うえだ ひろき)東京大学大学院医学系研究科教授/理化学研究所生命システム研究センター グループディレクターらの研究グループは、睡眠時の神経活動に着目し、カルシウムイオンが睡眠と覚醒のバランスを制御するメカニズムに重要な役割を担っていることを見いだした。研究グループがこれまで開発してきた技術を駆使した革新的なアプローチを紹介する。

「眠り」を直接コントロールしているのは?

 私たちが眠っているとき、脳は何をしているのだろうか。脳は決して眠ることなく、神経細胞は秒単位で忙しく働いている。しかし、起きているときとは違う働き方をする。脳波を見れば一目瞭然だ。

 研究グループは、特に深い眠りの時に現れる「徐波(じょは)」という脳波に注目した。徐波は睡眠時に特有の脳波で、振幅が大きい部分となだらかな部分が、秒単位の短い周期で繰り返されていて、起きているときとは全く様子が異なる。睡眠を制御する仕組みはこのときの神経細胞にあるのではないかと目をつけた。

図1.徐波睡眠時と覚醒時の脳波
図1.徐波睡眠時と覚醒時の脳波
  • 革新的アプローチ1 神経細胞のシミュレーターで物質の出入りを予測する

 研究グループは、神経細胞のコンピュータモデル「ANモデル(Averaged Neuron Model)※1」を作成し、平均場近似という数学的手法で徐波の神経活動のシミュレーションを行った。すると、数あるチャネルやポンプやリセプター(神経細胞の内と外を結ぶ出入り口)の中に、開いたり閉じたりすると睡眠と覚醒の状態が切り替わるものが4つ見つかった。どれもカルシウムの出入りに関連するものだった。

図2.4つの出入り口
図2.4つの出入り口

 シミュレーションから次のように予測できた。睡眠時は、カルシウムイオンの入り口「電位依存性カルシウムチャネル」と「NMDA受容体」が開いてカルシウムイオンが神経細胞に入る。すると「カルシウム依存性カリウムチャネル」が開いて神経細胞の興奮性を抑えて眠りを助ける。覚醒時は出口にあたる「カルシウムポンプ」が開き、カルシウムイオンが細胞の外に出る。つまり、眠っているのは、カルシウムイオンが細胞内にいるときということだ。

 また、研究グループは、 睡眠と覚醒を切り替えるスイッチがあるはずで、仮にそうだとしたらゆっくり反応する酵素のようなものだろうとして、リン酸化酵素「カルシウムイオン・カルモジュリン依存性タンパク質キナーゼ(CamKⅡ)」にも着目した。カルシウムの存在下で反応するこの酵素は、細胞内の情報伝達に特に重要で、学習や記憶への関与が知られている。

 「眠り」を直接コントロールしているのは、これら出入り口とスイッチだと予測した。

※1 ANモデルを使ったシミュレーション/ANモデルは本研究グループが開発した神経細胞のコンピュータモデルである。平均的な神経細胞が並んでいるという想定でコンピュータ上につくられた1000万個の神経細胞に、既存のチャネルやポンプや受容体をモデリングし、発現量をランダムに設定した。シミュレーションでは、まずANモデルの神経細胞の中から徐波睡眠時のような活動をするものを1000個選びだした。そこから1つを取り出し、モデリングしたさまざまなチャネルをひとつひとつノックアウトし、睡眠に影響が出るものを調べていく。これを1000個全てで繰り返した。

  • 革新的アプローチ2 シミュレーションの予測をゲノム編集マウスで検証

 次に、遺伝学的なアプローチで予測を検証していった。カルシウムイオンの入り口である「電位依存性カルシウムチャネル」やスイッチを持たないマウスをゲノム編集で作製し、正常に持っているマウスと睡眠時間を比べる。出入り口やスイッチに関わる遺伝子は21ある。これらを1つずつ欠損させたマウス(ノックアウトマウス)をトリプルCRISPR※2という方法で作製し、SSS※3という方法でマウスの呼吸パターンから睡眠時間を測った。

図3.ノックアウトマウスの睡眠時間
図3.ノックアウトマウスの睡眠時間
縦軸は欠損させた遺伝子の種類、横軸はマウスの睡眠時間(分)、点線は野生型のマウスの睡眠時間。チャンネルやポンプに関わる赤字の遺伝子を欠くノックアウトマウスは統計的に有意に睡眠時間が野生型と異なる

 それぞれのチャネルやポンプは複数の遺伝子を持つが、そのうちのいくつかの遺伝子は、欠損すると睡眠時間に違いが出た。この結果は、カルシウムイオンが細胞に入らないようにすると睡眠時間が減り、細胞から出ないようにすると睡眠時間が増えることを示し、シミュレーションの予測とつじつまが合う。

 また、スイッチに関係していると仮説したカルシウムイオン・カルモジュリン依存性タンパク質キナーゼは、これに関わる2つの遺伝子が欠損したマウスで睡眠量が減ったことから、睡眠への関与が認められた。

※2 トリプルCRISPR/2013年にアメリカの研究グループにより発表されたゲノム編集技術CRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)を、本研究グループが改良した方法。CRISPRは、遺伝子を切断して、選択的に無機能化や変更ができ、あらゆる遺伝子に簡単に応用できるが、ノックアウト率は40?60%だった。トリプルCRISPRは、対象遺伝子を一箇所切断するCRISPRを、1つの遺伝子に3つ施すことで、ほぼ100%のノックアウト率を実現した。交配を必要とせず、大量のノックアウトマウスを数週間でつくることができる。

図4
図4

※3 SSS(Snappy Sleep Stager)/呼吸パターンから睡眠と覚醒を自動で解析する技術で、本研究グループが開発した。図のような「呼吸チャンバー」と呼ばれる容器にマウスを入れ、呼吸波形を1〜2週間測定する。SSSが優れているのは、測定の非侵襲性と解析の正確性だ。従来の脳波を取る方法は、脳外科手術が必要で、技術者の能力による測定値のばらつきがでていたが、呼吸という非侵襲的な測定対象でこれを克服した。また、小さなチャンバーでは長期間の測定ができなかったが、大きくしてもシグナルを正しく検出できるように工夫し、95%の正確性で睡眠と覚醒を解析することを可能にした。

図5
図5
  • 革新的アプローチ 透明化技術で眠れない脳の中を観る

 シミュレーションで得られたもう1つのカルシウムイオンの入り口「NMDA型グルタミン酸受容体」は、生存に不可欠なものでノックアウトできない遺伝子も含む。そこで、マウスにこの受容体の働きを阻害する薬を投与し、神経細胞にカルシウムイオンが入らないようにする実験を行うと、睡眠時間は減った。

 脳内の変化を観るために、薬を投与したマウスと投与していないマウスで、脳の神経細胞の活動を比べたのが下の写真だ。ここでは、脳を透明にして画像解析するCUBIC※4という技術が使われた。

図6.神経活動部位を緑色に光らせたマウスの全脳イメージング
図6.神経活動部位を緑色に光らせたマウスの全脳イメージング

 受容体をブロックした方(左)は、神経細胞の興奮を表す緑色のシグナルが強く光っている。カルシウムイオンが神経細胞に入らないと神経の興奮状態が続き、睡眠量が減ると解釈できる。

※4 CUBIC (Clear, Unobstructed Brain Imaging Cocktails and Computational analysis)/脳を透明化し、全脳イメージングする技術。2014年に上田さんら研究グループが発表した。尿素とアミンアルコールを含む透明化試薬に浸して透明化した脳を、高速で3次元画像を撮影するシート照明顕微鏡で、細胞レベルの解像度で観察することができる。

睡眠を通して病気を理解し、治すことを目指す

 「従来、陽イオンであるカルシウムイオンは、神経細胞を興奮させると考えられてきました。今回、さまざまな技術を駆使したアプローチによって、カルシウムはむしろ逆に神経細胞を休め、眠りに導くような役割を担っていることが分かってきました。睡眠の基礎研究から炙り出されてきた『カルシウム依存的な過分極機構』は、さまざまな精神・神経変性疾患の病態理解・治療戦略を書き換えるポテンシャルを秘めていると思います」と上田さんは言う。

 統合失調症、アルツハイマー病、うつ病などの精神疾患や神経変性疾患では、必ずと言っていいほど睡眠に異常がある。例えば、統合失調症様の症状を示す動物は寝たら寝っぱなし起きたら起きっぱなしの症状があり、逆にうつ病様の症状を示す動物では寝たり起きたりを繰り返す。疾患に特有の睡眠パターンを分類できれば、それを元に病気の根本原因の究明や治療標的遺伝子の同定が可能になるだろう。

 2015年11月、上田さんが所属する理化学研究所の生命システム研究センター(Qbic)に、1000匹近いマウスの睡眠を測定する施設が完成した。統合失調症等の疾患遺伝子を検証したり、創薬のターゲットとなる遺伝子を調べたり、今後の研究の可能性を多いに広げてくれそうだ。

 睡眠研究の難しさは、時間のスケールのギャップをいかに埋めていくかだ。上田さんは、これまで追究してきた個体体内の「時間」の謎の解明で、新たに着眼した課題をこう語る。

 「私たちの脳は、ある晩頑張りすぎて徹夜をすると、次の日はより多く休憩を必要とすることが知られています。脳が一定の睡眠時間を正確に保つためには、ある日の頑張りを眠気や疲れとして脳のどこかに記録しているはずです。ミリ秒から秒単位の神経活動の頑張りを数時間から数日単位で眠気や疲れとして記憶する分子の仕組みは何なのか、また脳のどこにある細胞で記憶しているのかは、まだはっきりとは分かっていません。

今後、「時間単位」で移り変わる睡眠と覚醒という現象に、「秒単位」で移り変わる神経活動の実態把握がつながり、個体の「時間」の謎が解明されていくだろう。

サイエンスライター 丸山 恵

画像提供:東京大学・理化学研究所・日本医療研究開発機構・科学技術振興機構
*本記事は2016年3月29日に基礎生物学研究所で行われた上田氏によるセミナーの内容を元に執筆しました。

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