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アニサキスを感電死させ、安全な刺身提供 熊本大が産学連携で挑戦

2024.03.06

滝山展代 / サイエンスポータル編集部

 サバに代表される魚介類に生息する寄生虫のアニサキスを、非常に大きな電流で「感電死」させ、生魚の品質を落とさずに加熱や冷凍処理をしなくても食べられるようにしようと、熊本大学産業ナノマテリアル研究所の浪平隆男准教授(電気工学)らが取り組んでいる。開発した殺虫装置で処理し、試験出荷した刺身が小売店や試食会で好評を得ており、本格的に市場に出荷できるよう調整を続け、安心・安全な生魚を提供できる日を目指す。

アニサキスに驚き 恐怖心も

 2023年12月、熊本市内の書店で浪平准教授の講演とアニサキスの観察会イベントが開かれた。市民向けにアニサキスの処理を巡る研究内容の説明やその生態について紹介した。会場に置かれた生魚の身をUVライトで照らすと、見えなかったアニサキスが浮かび上がってくる。参加者からは「初めてアニサキスを見た。気付かずに口にする可能性があると思うと怖いと感じた」「生食文化を守るために、今後研究を応援していきたい」といった声が寄せられ、関心の高さがうかがえた。

アニサキスを顕微鏡で観察する参加者(2023年12月2日、熊本市内 熊本大学提供)
アニサキスを顕微鏡で観察する参加者(2023年12月2日、熊本市内 熊本大学提供)

毎年発生する食中毒 アニサキス症

 アニサキスはサバやアジ、イカやサンマに含まれる白い糸状の寄生虫で、長さ2~3センチメートル、幅0.5~1ミリメートルと目で見えるため、一部は調理中に取り除くことができる。しかし、魚をさばいた場所でなければ目視できず、生きたまま取り込むとアニサキス症として急性の強い腹痛と吐き気、嘔吐を引き起こす。厚生労働省への報告は年間400例ほどだが、日本は寿司や刺身を食べる文化があるため、病院等に行かなかった例も含めるともっと多い患者が潜んでいる可能性がある。

 アニサキス症を防ぐために、厚労省は目で見える範囲のものを除去するほか、60度以上の温度で1分加熱するか、マイナス20度以下で24時間以上冷凍させる方法を推奨している。ただ、これらの方法は加熱すれば生食ではなくなり、冷凍させると解凍時に若干身が軟らかくなるという課題があった。

軍事技術のパルスパワーを応用

アニサキスに強い電流をかけることで感電死させるイメージ図(熊本大学浪平隆男准教授提供のイラストを基に編集部作成)
アニサキスに強い電流をかけることで感電死させるイメージ図(熊本大学浪平隆男准教授提供のイラストを基に編集部作成)

 浪平准教授はこれまで非常に強い電力を一瞬でかけるパルスパワーの研究に取り組んできた。パルスパワーは米国で開発された軍事技術の一つで、兵器に用いられてきた歴史がある。100~200ボルトの電源から電気エネルギーを一度コンデンサーに蓄え、それをマイクロ~ナノ秒(マイクロは100万分の1、ナノは10億分の1)で高電圧・大きな電流を取り出す。爆発のように非常に短時間で強いエネルギーを生み出すことができる。浪平准教授はこれを平和利用し、排気ガスの無毒化やコンクリートのリサイクル技術に応用するような環境負荷軽減に関する研究をしてきた。魚の身の中に潜むアニサキスを感電死させるには通常の電流では難しいが、パルスパワーの技術なら生かせるのではないかと考えた。

パルスパワーを発生させる機器。感電に注意しながら取り扱う(熊本大学浪平隆男准教授提供)
パルスパワーを発生させる機器。感電に注意しながら取り扱う(熊本大学浪平隆男准教授提供)

 2018年から福岡市の水産加工会社「ジャパン・シーフーズ」と共に経済産業省の補助金を受けて、アニサキスのリスクを負うことなく刺身で食べる方法を模索した。最初は強い電圧をかける方法を試みたが、雷のようないわゆる「放電」が発生して魚の身がボロボロになってしまう。そこで切り身に強い電流をかけたところ、形状を保ったままアニサキスだけが動かなくなっていることが確認できた。「これならいける」と、どのような環境下で電流をかけるとアニサキスを感電死させることができるか実験を重ねた。

 最初は金属容器の中に魚を並べて入れ、エネルギーを加える方法を採っていたが、これでは大量の魚が処理できない。そのため工場のように流れ作業ができる方法を検討した。

 塩水の中に置いたアジの切り身が流れるベルトコンベアーに15キロボルト、80マイクロファラッド下で、60マイクロ秒ほどのパルスが出力される。そのうち約1マイクロ秒が100メガワット(1億ワット)になり、アニサキスが感電死する。この方法は切り身の温度が1回のパルスで0.1度しか上がらず、身が縮んだり食感に影響を与えたりしないことが分かった。約10センチメートルの厚みがある魚でもアニサキスの感電死が確認でき、寿司のような厚みのある魚の調理法にも適用できると判断した。

 ジャパン・シーフーズがこれまでに電流処理した30トンを超えるアジの刺身の試験出荷を行ったところ、店舗から「売れ行きが良かった」という意見が寄せられた。各地で開いた試食会でも「食感が良い」「安心して食べられる」と好評だったという。今後、本格的に市場に流通させるため、浪平准教授は地元の保健所と協議を重ねる予定だ。

パルスパワーによる電流をかけたアジ(写真下)。切り身の大きさが保たれ、温度もほとんど上がっていない(熊本大学提供)
パルスパワーによる電流をかけたアジ(写真下)。切り身の大きさが保たれ、温度もほとんど上がっていない(熊本大学提供)

熊本の食文化に支えられて

 冷凍食品大国である日本はそもそも冷凍か生食かどうか、食べ比べても分からないほど品質が高い。それでも生食にこだわる理由を浪平准教授に尋ねたところ、「熊本出身で小さい頃から親が馬刺しを買ってきた思い出がある。今の馬刺しは主に冷凍で流通しているため、大学生が『生で食べたことがない』という。それはもったいないと思ったから」だという。浪平准教授が幼少の頃の馬刺しは肉屋でそのまま生食用として売られていた。そのおいしさは生でしか味わえないと考えており、魚にも同じことがいえるという思いからだった。「熊本は生の魚や肉を食してきた土地。食文化の継承に貢献したい」という。

 そこで、浪平准教授は熊本大学が行うクラウドファンディングで「日本の生食文化を守りたい 新アニサキス撃退法の社会実装へご支援を」と題して2023年11~12月に寄付を募った。当初の目標400万円に対し、1397人から1412万5000円が集まった。今年3月22日には豊洲市場(東京都江東区)で、国立感染症研究所の研究員らを交えた講演会が開かれる。釣ったばかりの魚を衛生的に食べられる数少ない国、日本発の研究として国内外の関連業界や消費者などにインパクトを与えたい考えだ。

今回の実験の模式図。通電する塩水の中に浸すことができれば他の魚介類や肉類にも応用できると考えている(熊本大学提供)
今回の実験の模式図。通電する塩水の中に浸すことができれば他の魚介類や肉類にも応用できると考えている(熊本大学提供)

重度のアニサキスアレルギーには注意

 ただ、パルスパワーによるアニサキスの殺虫が社会実装できたとしても、一部の人にはリスクはある。帝京大学医学部附属病院小児科の遠海重裕講師(感染症学)によると、急性胃アニサキス症はアニサキスが胃粘膜に侵入することで急性のアレルギー反応を生じて激痛が起きる。死骸になれば刺さらないのでリスクは消失するとした上で、「一方で全身の発疹や激しい呼吸困難などが起きる『アニサキスアレルギー』も臨床では問題になっている。これは死骸でも起きうるため、重度のアニサキスアレルギーを持つ人のリスクがどれくらい軽減できるのか興味深い」と分析している。

 浪平准教授は今後、ジビエなど魚以外の食品やほかの寄生虫への応用も目指すという。「生食による食中毒は食べた人の健康被害のみならず、食品加工会社などの経営への影響もある。安全で安心な食を提供できるように研究を続けたい」としている。国際的にも人気の高い刺身の食文化の継承に、科学の挑戦が続いている。

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