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緊急寄稿「東日本大震災と地学・地理教育」(小泉武栄 氏 / 東京学芸大学 教授)

2011.05.12

小泉武栄 氏 / 東京学芸大学 教授

東京学芸大学 教授 小泉武栄 氏
小泉武栄 氏

 大津波で家や車がマッチ箱のように流されて行く。あのシーンを私たちは決して忘れないだろう。東北から関東まで大きな被害をもたらした東日本大震災が発生して1カ月半が経過した。まだ余震が続く中、復興は遅々として進まず、避難した人々の不安や不満は強まるばかりである。言うまでもなく、福島で原発事故の発生したことが、事態を絶望的なまでに悪化させている。原発の今後については全く予断を許さないが、今回の大震災と原発事故について、地学や自然地理学を専門にする立場から論評したい。

 日本列島が危険な時期に入っており、大きな地震が近いという感覚は、震災前から地学研究者の多くが共有していたのではないかと思われる。日本には地震が頻発する時期と穏やかになる時期が、4,50年から100年ほどの間隔で交互にやって来る傾向があり、1995年の神戸の地震以来、日本列島は活動期に入ったとみなされてきた。特に21世紀に入ってからは、中越地震を初めとして震度6を超える地震が毎年1回は起こるようになり、私たちは不安感を強めていた。そこに今回の大地震が発生したわけである。

 地震の歴史を振り返ってみると、今回より1つ前の活動期は、太平洋戦争の末期ごろで、1944年の東南海地震と46年の南海地震の前後に、鳥取、三河、福井で大きな地震が起こっている。敗戦の痛手に加え、地震はまさに泣き面に蜂であった。しかしその後、日本列島は静穏になり、戦後の復興から日本経済の高度成長期に大きな地震はほとんどなかった。この間の日本人はまことに運がよかったといえよう。

 その前の活動期は1896年ごろで、この年、明治三陸大津波と陸羽地震が起こり、翌年には宮城沖と三陸沖で地震が起きている。また1891年には濃尾地震が発生している。そしてその1つ前の活動期は幕末の1854年前後で、この年、マグニチュード8.4の巨大地震、安政東海地震と安政南海地震が1日おいただけで連発し、翌年には安政江戸地震が起こるなど、1853年から58年にかけて10個ほどの大地震が全国各地で発生している。幕府にとっては黒船などの外患に震災が追い打ちをかけ、泣きたくなる10年だったに違いない。

 その前の活動期は1707年ごろで、この年の10月28日には東南海、南海の2つの地震が同時に発生した(宝永地震)。この地震はマグニチュードが推定で8.4〜8.7と今回の大地震に匹敵する規模で、西日本の太平洋沿岸が津波で大きな被害を受けた。そしてその49日後には富士山が噴火する(宝永噴火)。その4年前の1703年には元禄関東地震が起こっており、まさに天災の相次いだ時代であった。ただ3つの大地震の発生で日本列島は落ち着いたのか、1793年の寛政三陸地震まで大地震はしばらくなくなった。

 その前の巨大地震は1605年の慶長地震で、この時も南海、東南海地震が同時に発生している。そしてその前後に天正地震、慶長伏見地震、慶長三陸地震が起こっている。

 このように地震の歴史を振り返ってみると、大地震は忘れたころにやって来るが、いったん起こると連続して発生する傾向のあることがよくわかる。このような性質から考えると、今回の巨大地震もこれだけでは収まらないと思われる。今回の地震によって東北・関東地方の太平洋岸は数メートル、東側に向けて動き、その結果、東西圧縮の力が減少して、内陸の長野県栄村や福島県などで大きな余震が発生した。しかし影響はこれに止まらず、近未来に関東地震や東海地震の起こる可能性は極めて高い。それがいつになるかは残念ながら予測できないが…。

 関東・東海で巨大地震が発生すれば、その被害が今回の震災を上回ることは間違いない。例えば東京の首都機能は失われるだろうし、東海地方を大津波が襲えば、東海道新幹線も東海道線も東名高速道路もすべて寸断されてしまう。だが政府高官を含めて日本人のどれだけがこのことを自覚しているだろうか。誠に心もとないとしか言いようがない。高度成長期に大地震がなかったために、日本人は地震ぼけしてしまったのであろう。先日の震災では、東京は被災地でないのに大量の帰宅難民が発生したが、実際に東京や東海地域に大地震が起こった時、政府も国民もいったいどう対処するのだろうか。

 元々日本の自然は、地震や津波、火山噴火、台風、洪水、山崩れなどで多数の人命を理不尽に奪い、財産を破壊する恐ろしい存在であった。昔の日本人はそれを「荒ぶる神」と呼び、畏怖してきたのである。ただそれは日本の自然の一つの面であり、荒ぶる神は、反面で、地震や噴火、洪水などによって日本の国土を作り、農林業や水産業を通じて日本人に豊かな幸をもたらしてくれた。荒ぶる神は恵みの神でもあったのだ。今回大きな被害を受けた三陸海岸は、優れた漁港と漁業資源に恵まれ、まことに住みやすいところであった。だからこそ過去に何回津波の被害を受けても、その都度町が復興してきたのである。

 今回の震災では被害があまりにも大きかったため、三陸海岸では破壊された町の再建に当たって、復旧ではなく復興をとか、山を削って町を移すべきだといった類の議論が飛び交っている。しかし復旧が遅れて苦しむのは被災者である。がれきが片付いたら、プレハブででもいいからまずかつての家の跡に落ち着く場所を作り、漁業や関連産業を再建すべきである。避難路や避難用の高台の建設などは、それがある程度進んだところで考えればよい。もちろん地盤沈下してしまったような場所については、別の方策が必要であるが。

 今回の大震災はいくつもの教訓を残した。次にそれについて述べたい。まずは防災教育、あるいは上で述べたような日本の自然の両面性についての教育の必要性である。今回の大地震の際、静岡県や和歌山県、高知県など太平洋に面する6県にも大津波警報が出たが、避難対象者のうち実際に避難したのはわずか2.5%だったという(東京新聞2011年4月18日)。あまりにも警報が頻繁に出されるので、オオカミ少年のようになってしまったのかもしれないが、それにしても低すぎる数値である。日本人は長い静穏期の間に津波の恐ろしさを忘れてしまったのであろう。

 そこであらためて防災教育や自然の怖さと恵みについての教育を再開せざるを得ないが、それを担うのは地学教育と地理教育である。両方とも高度成長の時代にはもはや必要ないとして高校では必修からはずれ、履修者は大幅に減少してしまった。しかし危険な場所を知ってそこに住まないようにしたり、いざという時に被害に巻き込まれず生き抜いたりするためには、地学、自然地理についての知識が不可欠である。また復興や今後の国土計画の策定においても、地学、自然地理についての知識は重要である。

 現在、高校地歴科では、国際化時代に対応するという理由で世界史が必修になっているが、これは早急に見直して世界史は必修からはずし、地理の履修者を増やすことが必要であろう。中央教育審議会では早急にこの問題を検討していただきたいと思う。

 2つ目は原発事故についてである。筆者は地震国日本に原発はふさわしくないと考えてきたが、ついに破局的な事故が起きてしまった。柏崎刈羽原発の事故と今回の事故は、原発はもうやめよという警告であろう。御前崎のような誰がみても危険な場所にある浜岡原発はすぐに停止し、他の原発もできるだけ早く停止すべきである。安全神話を信じて運転を続け、もう一度事故を起こしたら、日本が国際的に非難されるだけでなく、放射能汚染で私たちが住む場所や食べられる物がなくなるのだということを自覚すべきである。

 国も電力会社も、安くて安全、二酸化炭素(CO2)が出ないということを理由に原発の建設を推進してきたが、今回の事故で原発は安全なエネルギーでも安いエネルギーでもないことがばれてしまった。原発の放射能は何万年にもわたって地球を汚染し続け、子孫に迷惑をかける。諸外国も日本のような危険な国に対して、原発でCO2を削減することなど今更求めないだろう。日本の電力の3割は原発でまかなっているといっても、それは石油火力やLPガス火力で十分代替が利くし、原発の1機数千億円という巨額の建設費を自然エネルギーの開発に振り向ければ、原発に見合うくらいのエネルギーの開発が可能になるだろう。

 また国も電力会社も原発は安全だとして、事故の時の対策を全く考えてこなかった。これはもう非常識としか言いようがない。そのツケを今、福島県の人たちが代わりに払わされているわけだが、避難先も避難のための交通手段も何も用意しないでおいて、「危険だから出てください。出ないと罰金ですよ」などいう政府があり得るのだろうか。

 教訓の3つ目は、私たちが電気をあまりにも大量に使い過ぎているということが分かったことである。今度の原発事故の最大の責任は国と東京電力にあるが、野放図に電気を使い、次々に余分な電力を要求してきた都民や都内にある会社や工場にも責任の一端がないとは言えない。都民の豊かな生活や盛んな経済活動は、福島や新潟などの他県に迷惑をかけることによって成り立っている。電気漬け、エネルギー漬けの生活を見直し、もっと簡素な生活をするように、考えを変えるべきであろう。またこれ以上の原発の新設をなくすために、夏の電力需要の数時間のピークさえしのげば、原発1,2機分の電気がいらなくなるというなら、その時間、クーラーを止めるなどの協力をすべきである。私たちの子孫のために、資源も地球もよい形で残るよう努力したいものである。

東京学芸大学 教授 小泉武栄 氏
小泉武栄 氏
(こいずみ たけえい)

小泉武栄(こいずみ たけえい)氏のプロフィール
長野県生まれ。飯山北高校卒。1970年東京学芸大学教育学部卒、77年東京大学大学院理学系研究科地理学博士課程単位取得。理学博士。東京学芸大学助手、講師、助教授を経て94年から現職。日本ジオパーク委員会の委員も。専門は自然地理学、第四紀学、地生態学。著書に『日本の山はなぜ美しい』(古今書院)、『山の自然学』(岩波新書)、『山の自然教室』(岩波ジュニア新書)、『登山の誕生』(中公新書)、『自然を読み解く山歩き』(JTBパブリッシング)など。

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