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地球の火薬庫・熱帯泥炭を守れ - インドネシア泥炭・森林火災と炭素管理プロジェクト(大崎 満 氏 / 北海道大学大学院 農学研究院 教授)

2009.07.15

大崎 満 氏 / 北海道大学大学院 農学研究院 教授

北海道大学大学院 農学研究院 教授 大崎 満 氏
大崎 満 氏

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第4次アセスメントレポートによりますと、全世界の化石燃料による二酸化炭素(CO2)放出量は、2000-05年では年間264億トンと推計されています。一方、同レポートで、森林火災によって放出される二酸化炭素総量は年間約60-150億トンと推定しています。このことは、人為的攪(かく)乱などによる陸域生態系からの二酸化炭素の放出がいかに多いかを示していますが、しかし、この値は森林だけの評価で、地下に多量に炭素を蓄積している熱帯泥炭生態を考慮していません。熱帯に泥炭があることはあまり知られていませんが、低湿地では微生物分解が抑制されているために膨大な量の有機物(炭素)を蓄積している生態系があります。最近、この熱帯泥炭生態系の攪乱が進み、さらにエルニーニョの発生年には、化石燃料による二酸化炭素放出量に匹敵する量が熱帯泥炭生態系から放出されることも確認されています。つまり、熱帯泥炭は地球の火薬庫となりつつあります。

 2008年のギネスブックに、インドネシアは世界一森林消失の早い国として掲載されています。WWF(世界自然保護基金)-インドネシアと北海道大学、ドイツのRemote Sensing Solutionsによる共同報告書「スマトラ島の自然林破壊が地球温暖化と種の絶滅を促進:WWF」によりますと、インドネシア国内でも、スマトラのリアウ州で特に森林消失が大規模に速い速度で進んでおり、リアウ州だけで、過去25年間で420万ヘクタールの自然林が消失しました。これは、北海道の半分に相当する規模です。また、2005-6年の間にリアウ州では29万ヘクタールの自然林が消失しました。これは年間11%の森林消失で、世界でも最高の速度です。

 さて、インドネシアは世界一森林消失の早い国ということは、別の見方をしますと、まだ消失するだけの森林が残っているということでもあります。タイ、マレーシア(サラワク州を除く)などでは、山岳部をのぞいて熱帯雨林は1980年代にはほぼ消失して、ゴムやオイルパームのプランテーションに転換されました。なぜ、インドネシアに広大な熱帯雨林が残っていたのでしょうか。「World Resources 2000-2001」(ELSEVIER SCIENCE、2000)の世界の森林被覆度を見ますと、熱帯では、ボルネオ島やパプアニューギニア、アマゾン、中央アフリカで70%以上を示しています。また、世界の土壌中の炭素蓄積量分布を見ますと、1平方メートルあたり30キロ以上の炭素(C)を含む地帯は森林被覆度の高い地域と重なります。熱帯で土壌炭素の蓄積が多いということは、基本的に低湿地の地形で有機物が分解しにくい条件です。つまり、現在、地球上で森林被覆度が高い熱帯地域は、低湿地で有機物が蓄積している「水の森」といってもよいほどです。「水の森」は、開発しても土地利用が極めて困難なことから、あまり手がつけられずに来ました(大崎満・岩熊敏夫編「ボルネオ-燃える大地から水の森へ」岩波書店、2008)。

 主要な熱帯の低湿地・泥炭は東南アジア島嶼(しょ)部、アマゾン、中央アフリカに存在しますが、熱帯の低湿地・泥炭の炭素蓄積量(二酸化炭素換算。以下同じ)は、全体で3,070億トンですが、東南アジア島嶼部では泥炭が深いため約70%も存在し、特に、インドネシアで世界の熱帯泥炭の約半分の1,950億トンが存在します(Maria Strack ed., 2008: Peatlands and Climate Change. International Peat Society, 223pp.)。

 北海道大学では、1997年からボルネオ島カリマンタンの「水の森」で生態系や炭素フラックスの長期観測を続けています。ここのボルネオ島の「水の森」の地下に貯蔵された泥炭の炭素量は550億トンとけた外れに多く、ここの生態系が1%破壊されて火災か土壌呼吸で泥炭が分解すると、5.5億トンの二酸化炭素を放出することになり、日本の年間排出量13億7千万トン(2007年)の半分ほどになります。実際にはそれ以上の破壊が進んでいます。1997年から98年にかけてエルニーニョが起き、極度の乾燥のために、泥炭を中心とする火災が頻発し、インドネシア全体から大気に放出された炭素は30-94億トンと推定されています(Susan Page et al, Nature, 420, 2002)。これは、世界の化石燃料による二酸化炭素放出の13-40%に相当します。

 このときハワイのマウナロア山頂で計測している大気二酸化炭素の上昇速度が通常年の約2倍になりました。一方、Guido R. van der Werfなどは、このときの大気の二酸化炭素(CO2)、一酸化炭素(CO)、メタン(CH4)の観測値とモデル解析により、大気二酸化炭素の上昇は陸域生態の火災によるものであることを明らかにしました(Science 303, 73-76, 2004)。

 インドネシアの熱帯泥炭の開発圧は極めて高い状態で、特にオイルパームのプランテーション栽培が急拡大しています。オイルパームは水に弱く、排水路を掘り、水位を下げて、泥炭を乾燥化する必要があります。このことは泥炭蓄積条件の逆を行うわけですから、排水すると微生物分解が急速に高まります。インドネシア・カリマンタンでは1990年代にメガライス(100万ヘクタールイネ栽培)計画により、大規模な運河掘削と熱帯泥炭林の伐採が行われました。この地域を中心に、北海道大学とインドネシア科学院生物研究センター(LIPI)との間で、日本学術振興会拠点大学交流事業で10年間にわたる研究を実施しました。二酸化炭素の収支を求めるために、熱帯泥炭では世界で唯一の観測タワー3基(自然林、排水のダメージがある自然林、焼け跡地)を北海道大学で設置しました。この計測から、排水された泥炭地からは1平方メートルあたり年1,500(排水のダメージがある自然林)-3,000(焼け跡地)グラムの二酸化炭素が放出されていることがわかりました。メガライス計画は頓挫して放棄されていますが、ここの100万ヘクタールを生態区分して、観測値をあてはめて二酸化炭素の放出を試算すると、2-3千万トンになり、ここだけでも日本の年間排出量の1-2%に相当することになります。これに火災が加わりますので、メガライスプロジェクト地域だけで、火災のひどい年には日本の排出量に匹敵する二酸化炭素が放出されていると推計されます。

 これまで熱帯の泥炭地は有機物を集積し、炭素の貯蔵庫としての機能を果たしてきました。しかしここの乱開発で、巨大な炭素放出源に転じています。正確な値を出すのはまだ困難ですが、(1)世界の熱帯泥炭地に3,070億トンの二酸化炭素が蓄積しており、わずか1%破壊しても(実際にはそれ以上のスピードで破壊が進んでいる)、世界の化石燃料による二酸化炭素の10%が放出されること、(2)1997-8年のエルニーニョにより、主に泥炭火災で、膨大な炭素が放出され、他の火災と併せて通常の大気二酸化炭素増加速度の約2倍になった(つまり化石燃料による二酸化炭素放出量に匹敵する量が陸域生態から放出された)こと、(3)二酸化炭素の現地でのタワー観測によっても、インドネシア・カリマンタンの泥炭で開発された100万ヘクタールのメガライスプロジェクトの放棄地から、微生物分解により日本の排出量の1-2%が常時排出されていることなどから、現在すでに、熱帯泥炭地から、少なくとも化石燃料による全世界の二酸化炭素放出量の数%が恒常的に排出され、エルニーニョによる異常気象年には、泥炭以外の火災も含めて化石燃料による全世界の二酸化炭素放出量に匹敵する量が放出されていることは確実と推計されます。

 これは実に驚くべき量ですが、いろいろレポートが出され、働きかけがあるにもかかわらず、なぜか、IPCCでは泥炭分解(火災と微生物分解)を全く考慮していません。工業的排出の評価は詳細を極め、それに基づいて削減枠まで決めようとしていることに対比しても、生態炭素、とくに泥炭炭素の評価のずさんさ(無視)には驚かされます。

 世界的にも熱帯林の保全の重要性が認識されつつあり、それを保全するメカニズムとして、CDM(クリーン開発メカニズム=Clean Development Mechanism)化やREDD(レッド=Reducing Emissions from Deforestation and Degradation in Developing Countries)化が検討されつつあります。しかし、REDDは名前からして森林を対象としており、これらのメカニズムは熱帯泥炭にはあまり有効ではありません。インドネシアでREDDを取り扱っているのは森林局で、森林を中心に考えるのでどうしてもそうなってきます。巨額の政府開発援助(ODA)が絡むので、援助する側も含めた省庁利害が全面的に出て来ているためか、何を保全し、何を世界に提言していかなければならないかの重要な視点が希薄になるようです。森林ではなく、インドネシアの泥炭を保全するだけで、日本の全二酸化炭素排出量をカバーし、お釣りがくる量です。

 まだ泥炭の炭素メカニズムができていませんので、排出権として今は代替えすることはできませんが、将来のことを考えると、世界に先駆けて、日本主導で泥炭炭素メカニズムの制度設計をする好機です。1兆円近くを投じて、自分たちに何のメリットもない工業的排出権を購入するぐらいなら、自然生態の保全と修復に投じるべきです。そのメカニズム確立のために日本のODAを投入すべきです。

 制度設計は本当に安い資金ででき、その成果は長く人類の財産となっていきます。しかし、日本は国際的ルールづくりがへたで、インドネシアで進んでいる国際的なREDD検討委員会ですら閉め出されている状態で、実に情けないことです。日本の国際援助機関の関係者と話しても、それ(REDDを含めた制度設計)を何とかしようという気も薄く、日本の国際援助とは一体何であろうか(あったか)と、あらためて考えさせられます。

 世界的に見ても二酸化炭素を多量に集積している生態系はインドネシアの熱帯泥炭です。ここが破壊されると、修復は極めて困難で、破壊が加速度的に進み、地球環境にとって取り返しのつかない事態に至ります。従って、今後は森林だけに閉じない、生態系全体の炭素を評価する炭素メカニズムが必要になってきます。幸い、科学技術振興機構(JST)-国際協力機構(JICA)地球規模課題対応国際科学技術協力事業に採択され、「インドネシアの泥炭・森林における火災と炭素管理」プロジェクトが開始されました。地球の火薬庫をいかに守れるかがプロジェクトの成否と考えています。地球システムの維持のための生態系側の防衛最前線でもありますので、「西部戦線異状なし」にちなんで「南部(熱帯)戦線異常なし」と、プロジェクト終了時に、このコーナで報告したいものです。

北海道大学大学院 農学研究院 教授 大崎 満 氏
大崎 満 氏
(おおさき みつる)

大崎満(おおさき みつる) 氏のプロフィール
976年北海道大学農学部卒業、78年同大学院農学研究科修士課程修了、81年同大学院農学研究科博士課程修了(農学博士)。82-84年国際トウモロコシ・コムギ改良センタ-(CIMMYT) 客員研究員。北海道大学農学部助手、同大学農学部助教授などを経て、2001年同大学大学院農学研究科教授、06年から現職。06年から北海道大学サステイナビリティ・ガバナンス・プロジェクト(SGP)リーダー、08年から北海道大学サステイナビリティ学教育研究センター(CENSUS)副センター長も。専門は植物栄養学、根圏制御学、栄養生態学。著書に「植物生態学」(共著、朝倉書店)、「サステイナビリティ学への挑戦」(共著、岩波書店)、「北海道からみる地球温暖化」(共著、岩波書店)、「ボルネオ 燃える大地から水の森へ」(共著、岩波書店)など。

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