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コラム - インタビュー -

第2回「研修義務化で事態さらに深刻」

東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授、同メディカルゲノム専攻長 渡邉俊樹 氏

掲載日:2009年2月16日

「基礎研究と臨床医療を隔てる死の谷」

救急治療が必要な患者に医療機関側が適切に対応できないという不幸なニュースが相次いだ。関係者だけが警鐘を鳴らしていた「医療崩壊」という言葉が、普通の人々からも聞かれるようになっている。しかし、問題は患者と医療関係者の接点で起きているこうした目に見える現象だけではない。医療のより根っこのところで深刻な事態が進んでいる、という危機感が内外の医学・医療関係者に強まっている。基礎医学の研究成果を臨床医療に結びつけるトランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)の立ち後れだ。渡邉俊樹・東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻長に現状と対応策を聞いた。

- 研究活動と臨床のギャップが大きくなるばかりということですが、臨床の現場にいる方たちはどういう立場に置かれているのでしょう。

渡邉俊樹氏

渡邉俊樹 氏

何十年か前は、臨床で患者を実際に診ながらなおかつ研究をやっている人たちが、臨床研究だけでなく一部の基礎的領域の研究をリードしている時代がありました。フィジシャンサイエンティストと呼ばれるこうした人たちが、医学研究を支え、プリンシパルインベスティゲータにもなっていたのです。ただ、その後、分子生物学をはじめとする基礎研究そのものの知識や技術もどんどん進んだため、1人の人間が臨床と基礎の両方にまたがって活動するのが事実上、不可能になったというのが今の流れです。これは世界共通なのですが、日本の場合、それに日本固有の事情が重なって、欧米で議論されているよりさらに深刻な事態になっているということです。

- 日本固有の事情というのははっきりしているのですか。

はい。元々さまざまな事情があるのですが、主に制度上の変化です。中でも数年前に起きた医療研修の義務化、これが医者から研究の時間を決定的に奪ってしまいました。大学の医局制度が崩壊したからです。人件費削減でマンパワーが減らされ、非常に限られた人員で大学病院の医療を担わなければならなくなりました。以前は安い労働力として若い医局員がいて、医療と研究の全体を支えていたのですが、その部分がごっそりいなくなったのです。新しい研修体制では、若い人たちの多くが民間の病院で研修することになったので、大学病院から若い医者が消えてしまったわけです。残された人たちで大学病院に期待された医療の質を維持するためには、ほとんど24時間医療だけに集中せざるを得なくなりました。その影響ははっきりしています。大学医学部発の論文の数が年々減少していることがデータからも確かめられます。医師として患者を診る立場にある人が、研究という領域に事実上時間を割けなくなってしまった。これは日本だけの固有の現象だろうと思います。

- それを放置していくとどうなってしまうのでしょう。

日本における医科学研究体制の崩壊です。医者は臨床に関する知識に関しては責任がありますから、徹底的にフォローして最新の治療を試みるでしょう。しかし、新しいことを生み出す能力はなくなってしまっています。すべてお仕着せ、輸入された知識、手法に頼らざるを得ないということです。患者にどういう薬を使って効いた、効かないといった臨床の研究はできるかもしれません。しかし、患者を診ながら、その過程で得られた経験と知識に基づいて病気の成り立ちやメカニズムを含めた研究も行い、それを通じて疾患の予防や治療に役立つ知見を生み出すばかりでなく、一般生物学にもインパクトを与える新たな概念を生み出すという過去の大学病院での研究室が持っていた機能はどんどんなくなっていると言っていいと思います。

東京大学あたりになると、まだその機能を持ち続けてはいますが、そこでも深刻な事態が起きつつあると聞きます。ましてや地方大学では、すでに事実として存在しているのが実態で、現在進行中の現象では既になくなっているところまで来てしまっています。臨床と基礎研究の両立が難しくなっている。欧米にもみられるこうした現実をさらに深刻にしている日本固有の問題とは、以上のようなことです。

もう一つの本質的な問題としては、それぞれの専門性が高まって、基礎研究を進めること自体が簡単ではなくなっている現実があります。研究者個人の技術に加え、基礎研究に必要な資金や装置、それらがいずれも高度化していますから、基礎研究と臨床の両方をカバーすることが難しくなっているのです。その分、医学者ではない人たちが基礎的な生物学研究の推進力になっています。問題は医者とそれらの生物学の研究をしている人たちの間に共通語が存在しないことです。つまり、コミュニケーションが成り立たないということです。欧米でも事情は同じようで、科学誌「ネイチャー」にも取り上げられています。両者の間に言葉が通じないのです。もちろん一部例外的なところはあります。東大の医学部でも基礎的研究成果をどんどん出しているところはあるわけですから。しかし、全体的な傾向としては、今お話したようなことが実態です。

基礎研究を担っている研究者たちが、それぞれの興味と能力をフルに使って生命現象の謎に迫っているのは疑いのないことで、もちろんそれ自体には問題はないわけです。しかし、トランスレーショナルリサーチにどう応用するか、医学において何が問題で何が求められているか、あるいは病気を通じて何が明らかになっているかといったことに関する部分は、どうしても抜け落ちてしまっているわけです。医者とのコミュニケーションの場がないためです。

医者ではない人たちが発表する論文に、生物学的に面白いと言うだけではなく「こういう病気の原因解明や治療法につながるかもしれない」ということをしばしば書きますね。これを臨床の人たちがどう見ているかと言えば、大半は現実の医療とは全く無縁のことでしかない、というものです。「単なるレトリックでしかない」と実際に口に出して言う臨床の人たちもいます。

基礎研究を進める人たちが、それぞれの興味や論理で走る。それは当然ですね。それがモチベーション、原動力になっているわけですから。それを認めた上で、基礎研究と臨床とのギャップをどうしたら埋められるのか。欧米でも何とかしようとしています。われわれもこうした取り組みを国内で組織化して行く必要がある、と考えているわけです。

(続く)
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渡邉俊樹
渡邉俊樹 氏

渡邉俊樹 氏のプロフィール
1979年東京大学医学部医学科卒、81年東京大学医学部第4内科医員、82年癌研究所研究生、85年東京大学医学部第4内科助手、87年米スクリプス研究所客員研究員、88年癌研究所流動研究員、90年東京大学医科学研究所助教授、2004年から現職。成人T細胞性白血病(ATL)と原因ウイルスHTLV-1の研究を続け、NF-κBという転写因子の新しい阻害剤がATLの新しい治療と発病予防につながる可能性を示した。「サルのT細胞白血病ウイルス(STLV)の研究」で比較腫瘍学常陸宮賞受賞(2008年)。

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