死者1万5901人、行方不明者は2519人。関連死を含めて2万2000人を超える犠牲者を出した東日本大震災は戦後最悪の自然災害だった。さらに東京電力福島第1原子力発電所事故も起きて、今だに約2万6000人が避難生活を余儀なくされている。巨大地震と大津波に襲われてから15年となった3月11日、岩手、宮城、福島3県の沿岸部の震災伝承施設周辺などで犠牲者を追悼するイベントが行われた。そして犠牲者遺族や被災地の住民、伝承に携わる関係者らが突然命を奪われた人々の無念にあらためて思いを寄せ、記憶と教訓の伝承を誓った。
被災地の悲しみは消えることはない。どの震災遺構もあの大震災の凄まじさを伝え続けているが、社会の関心の低下と今後の伝承活動の継続に不安を抱く声も聞かれる。ある伝承活動関係者は「震災の記憶や教訓は、ただ伝えるだけでなく、いずれまた起きる大地震や津波から命を守るためのものだという視点が大切だ」と語っている。


「大震災の悲劇から学ぶ」多くの伝承施設
岩手、宮城、福島の被災3県には震災後、数多くの震災伝承施設や伝承のシンボルができた。「震災遺構」「伝承館・展示施設」「震災メモリアル公園」「石碑類」に分類され、総数は300を大きく超える。
宮城県石巻市の児童が犠牲になった門脇小学校や大川小学校、多くの住民が津波に流された仙台市荒浜地区の住宅基礎などは震災遺構として知られ、訪問者も多い。また、名取市閖上(ゆりあげ)地区の震災復興伝承館や宮城県南三陸町の南三陸311メモリアルなどの伝承施設も修学旅行の生徒を含めて若い人も訪れてきた。
閖上では巨大津波に襲われて14人の中学生を含む約750人が犠牲になった。震災復興伝承館は震災の記憶や教訓を伝えるだけでなく、いずれはまた起こる大地震に対する危機意識を持ってもらうことも目的に2020年5月に開館した。「あの日」から15年を迎えた3月11日も「甲子園の強豪校」として知られる仙台育英学園高校野球部の部員が教員らに引率され、バス2台で訪れていた。


閖上の惨状伝えるリアルな絵画
館内には大震災前に住宅が密集していたころの閖上地区を再現したジオラマや大津波を伝える展示などのほか、震災直後の閖上の惨状をリアルに描いた大きな絵が目を引いた。訪れる多くの人は立ち止まり、まるで壁一面の大写真のような絵をじっと凝視していた。描いたのは埼玉県川口市在住のアーティストのヤダ・シンタロウ(本名・矢田信太郎)さんで、15年という節目のこの日に伝承館に来ていた。
ヤダさんは震災間もなくボランティアとして訪れた際に撮影した何枚もの写真を基に2019年にこの大作を制作発表した。この絵があまりにリアルなために館内の展示に難色を示す声もあり、最近になって展示された経緯があるようだ。
館内で震災説明ボランティアをしていた高野俊伸さんは伝承館ができて以来、コロナ禍もあったが来訪者は減る傾向にあると心配する。「戦争は防ぐことはできても自然災害は防げない。ならば、教訓を伝えて(防災・減災)意識を持ってもらうしかない」と言う。
そしてヤダさんのリアルな大作については「閖上にはあれほどの甚大な被害があったのに震災遺構(の建物)がない。震災がいかに過酷であったかを伝えるためにもずっとここに残してもらいたい」と話していた。

遺族の記憶を記録し伝え続ける「わすれな草」
犠牲者遺族との対話を続け、悲しい記憶を丁寧に記録して伝え続ける活動がある。
青森公立大学経営経済学部地域みらい学科准教授の野坂真さんらが中心となって続けている「災害遺族の心の復興過程記録集 わすれな草」の活動だ。遺族の思いや経験を聞き書きした「わすれな草」は既に5集まで刊行し、今後6集以降も予定しているという。
野坂さんと、妻で被災地での心のケア活動をしている産業カウンセラーの野坂紀子さんらは3月7日に岩手県大槌町とオンラインで公開シンポジウム(主催・野坂ゼミ、共催・早稲田大学「地域社会と危機管理」研究所、早稲田大学総合人文科学研究センター)を行った。
野坂さんはシンポジウムに先立って聞き書きした遺族から「わすれな草」に協力した理由などをアンケート調査した。
「義理の両親が生きた証を残したい。後世に悲惨な出来事を知って学んでほしい」「胸のうちに秘めていた思いを吐露することで長い間縛られていた重い鎖のようなものが解き放たれた気がした」「普段の何気ない暮らしは当たり前ではない。明日生きている保証はないので悔いが残らないように家族も隣人も自分も愛してほしい」。これはごく一部だが、どの言葉も思いは重く胸に刺さる。
野坂さんはシンポジウムで震災遺族が心の復興の過程をどのように経験してきたかなどについて紹介した。多くの遺族は「経験の壮絶さや喪失の大きさなどから無感情に近い状態」「怒りや悲しみ、不安など負の感情が強く出て、その感情を隠すように(過剰に)頑張ったり、強く落ち込んだりして生き残った自分を不条理に責める」「負の経験を受け止め『自己受容』し日常のちょっとしたことに心の支えを見つけながらその後の人生を歩んでいこうとする」といった主に3つの段階を経験していると指摘した。
そして「回復してきている部分と回復しない部分とを『ゆらぎ』ながら歩んでいる心の復興過程にある」などと述べて、長期的、継続的な関わりと理解の重要性を強調した。「復興」が被災者の「心の復興」を含めてのことならば復興は道半ばだ。


資金や担い手確保が課題で伝承は事前復興の核心
東日本大震災の継続的な伝承活動を目指す公益社団法人「3.11メモリアルネットワーク」の代表理事を務める武田真一さんによると、同ネットワークの調査の結果、岩手、宮城、福島3県の42伝承施設の2025年の来訪者は約150万3800人で、新型コロナ禍の影響の年を除くと初めて減った24年に続いて2年連続で減少したことが分った。民間だけでなく、公的にかなり整備された震災遺構や伝承施設でも減少しているという。
訪問者の減少傾向が止まらなかっただけでなく、震災学習プログラムの実施団体の96%が今後の伝承の担い手確保などについて不安を感じているとの調査結果もある。伝承活動に携わる関係者が抱く「資金と担い手」に対する不安や懸念が強く出ている。
震災から15年が区切りとなり、まだ帰宅困難区域が残る福島県を除いて岩手、宮城両県では復興関連予算が今年度で終了、または大幅に縮小される。被災者支援の名目でわずかに予算が出ていた伝承関連事業も今年度末で終了する。
伝承をめぐる課題について武田さんは「国や自治体がこれまで伝承事業を重要施策と位置付けてこなかったことが影響している」と指摘する。確かに復興事業は巨額の予算が投入された災害公営住宅や防災施設の建設などの「ハード面」優先で、被災者の心の復興や伝承といった「ソフト面」では民間ボランティア頼りで手薄だった。
武田さんは大震災当時、河北新報社の報道部長として現場取材を指揮。同社退職後、宮城教育大学の特任教授として学生らと伝承の意味や意義を考え続けてきた。今、南海トラフや首都直下などの巨大地震や大地震が懸念される中で事前に災害に強い町づくりをする「事前復興」の大切さが叫ばれている。「東日本大震災の経験と教訓を未来に伝える伝承の継続は事前復興の核心だ」と武田さんは強調する。



「命守る取り組み」を未来の世代に託して
名取市・閖上で行われた追悼のつどいに集まった500人近い遺族、住民らの中に2人の女子高生の姿があった。1人は1歳の時に当時61歳だったおじいちゃんを亡くした伊藤美桜音さん。両親とお姉さんと一緒に来た。もう1人は一家の津波被害はなかったが大震災当時生後10カ月だった大津美海さんで仙台市内からお母さんと来た。2人とも現在、同市内の高校に通う1年生だ。
黙とうの後に飛ばすハト型風船に美桜音さんは「高校生になって、新しいことにチャレンジして充実した日々を送っています。1歳だったみおっちを助けてくれてありがとう」と青いペンで書いた。美海さんのメッセージは「2011.3.11 0歳10カ月 当時の記憶はありませんが伝えていきます」。赤と青のペンで白い風船にしっかり書いた。美海さんは「(被災はしなかったが)これまでつないでくれた命に感謝しながらこれからも大切にしたい。そんな気持ちで今日は来ました」としっかりとした口調で話してくれた。
人々の記憶は日々さまざまな出来事が身の回りで、遠くで、起きる中で薄れていく。東日本大震災から15年を経て、社会の関心は低下しがちだ。それでも閖上にいた2人の女子高生のように大震災の教訓をしっかり受け止め、伝えていく意識と覚悟を持つ若い人は多い。
「防災・減災とは、単にどうやって逃げましょうとか、そういう話だけでなく、悲惨な形で死ぬことがないよう、命の尊厳をきちんと直視してそれを守ることを考えることです」「震災の経験を意識変容と行動変容につなげることが大切です」。武田さんの言葉が印象的だ。



「自分事」として取り組む
東日本大震災が「過去」のものとして消え去ることはない。だが、震災の記憶と教訓を伝えてきた遺族や被災者もこれから歳を重ねていく。震災の記憶のない若い人も増える。そして「地震大国」のこの国では大地震はいつ、どこで起きても不思議ではないという残酷な現実がある。
震災を知らない世代も、被災地から遠い人も、多くの人がしっかり自然災害を「自分事」として受け止め、取り組んでいくことが大切だろう。そのことが未来に備え、避けられない災害の日が来た時にひとりでも犠牲者を減らすことにつながる。

関連リンク
- 復興庁ホームページ
- 3.11伝承ロード推進機構
- 「3.11メモリアルネットワーク」ホームページ