シェア ポスト

レビュー

編集だよりー 2010年9月8日編集だより

2010.09.08

小岩井忠道

 北陸に上陸して東海へ、という珍しい進路をとった迷走台風のおかげで、ことしの北アルプス歩行もえらい迷惑を被った。初日(6日)は好天下、新穂高口から西穂高口までケーブルカーで揺られた後、西穂山荘まで気分よく歩く。そこで一泊、翌日、独標(2,701メートル)を目指せば途中から素晴らしい眺望が、と楽しみに寝床へ入る。ところが夜中に不気味な風の音が気になったら、案の定、翌朝は雨もようの天気。風速10メートルを超えたらケーブルカーも運行停止に、と聞いて早々に山荘を発ち、昼前に山を下りてしまった。

 1年前も天候にはたたられている。雨の中、西穂山荘から、ほうほうの体で上高地にたどりついたものだ。ひたすら下るだけという急な山道は雨で滑りやすく、何度もよろめいたり尻もちをついたりと、さんざんだった。それに比べればケーブルカーで下りてしまったことしは、まだましということだろうか。翌8日も、台風に追われるように一目散の帰京となった。

 ひょっとして山好きの人たちの楽しみには、一筋縄でいかない面もあるのではないか。天気というどうにもならない偶然に左右されるうちに、好天気ばかりが続くとかえって物足りなくなる。“自虐的”というか、そのうちさらに山伏や修行僧のように進んで苦難を求めるようになり…。山歩きの素人として、妙なことを考えた。

 台風のおかげで時間が空いてしまった半日、高山市内を見物する。意外な発見は、あるものだ。飛騨千光寺という寺に、円空(1632-95年)が彫った仏像がたくさん展示されていた。これまで見慣れた“立派な”仏像と表情が異なる。どこか人間らしい感じがするのだ。多くの人たちになでられたため、頭がつやつやと光っている仏像もあった。柳家金語楼の顔を思い出す。

  両面宿儺(りょうめんすくな)という名前を初めて目にした。「顔が2つ、手が4本、足が4本の怪物」として日本書紀に出てくるそうだ。仁徳天皇の時代に、朝廷に逆らい討伐されたというのも面白いし、飛騨地方では逆にその後も崇拝され続けていたというのも、何かわけがありそうで興味深い。考えてみれば、大和朝廷が力を持つ以前に、日本列島のあちこちにさまざまな勢力があった方が自然だ。さらに、そうした事実が勝ち組によって隠ぺいあるいは歪曲(わいきょく)されてきたとしても…。

 この両面宿儺の像も円空の代表作として展示されていた。両面宿儺を悪逆非道な怪物などと、円空が考えていなかったことは明らかだ。

 千光寺の円空仏寺宝館でこれら円空作の仏像をたくさん見た後、気になったことがある。これらの仏像がすべて県の重要文化財、ということに対してだ。国の重要文化財に指定されているものが一つや二つあってもおかしくないのでは、と。

 そもそも国の重要文化財に指定されるかどうかは、どんな基準によるのだろうか。円空作と言われる仏像は、あちこちに5,000体もあるということだが、多作だったために一つ一つの作品が低く見られているということはないのだろうか。版画などは何枚刷った中の何番目という番号を振ることで、商品価値を保つ仕組みがあるようだし。

 例えば同じ芸術でも音楽の場合、ある作曲家がたくさん作曲すると一つ一つの作品の評価が下がる、などということはまずないのでは。いったん創られ、楽譜が残れば、曲が破壊されたり紛失されたりする心配もないだろう。時の権力者がある曲の演奏を禁止する、などということが、将来、ないとは言えないだろうが…。クラシックも、現代の音楽も、鑑賞者が好む作品が、数多く演奏あるいは放送され、CDが数多く売れる。大まかにいえば、そんな作品の評価システムができているような気がする。

 「何でも鑑定団」がテレビ番組として存在し得る大きな理由の一つは、対象が美術・工芸品だからではないだろうか。