レポート - 研究開発戦略ローンチアウト -

第85回「格差を生まない科学技術イノベーションを」

科学技術振興機構 研究開発戦略センター 上席フェロー 豊田欣吾 氏

掲載日:2018年5月18日

豊田欣吾 氏
豊田欣吾 氏

科学技術イノベーションの推進は、今や時の政権の成長戦略の最重要政策であり、我が国が引き続き経済成長していくための切り札であることは間違いない事実です。しかし、その一方で、科学技術イノベーションを通じた技術の進歩が、所得の格差をはじめとするさまざまな格差の拡大を助長しているとしたら、科学技術イノベーションに対する認識が大きく変わってしまう可能性があります。

このような問題意識から、今回、科学技術イノベーションが経済成長や格差にどのような影響を及ぼしてきたのか、これまでの研究成果を筆者なりに整理・分析してみました。最近では、新たな成長・発展、社会の進歩の形に関する議論が盛んに行われるようになっており、それを踏まえた科学技術イノベーションのあり方についても考えてみたいと思います。

人々の格差は拡大している

20世紀後半以降の世界経済をみると、世界規模での戦争が繰り返された20世紀前半とは異なり、着実な成長がみられました。しかし、その一方で先進国、とりわけ1980年代以降の英米を中心として、格差の拡大が継続的にみられるようになりました。

経済協力開発機構(OECD)の分析でも、1980年代半ばと2011/2012年を比較してみると、分析の対象になった22か国のうち、実に17か国で所得のジニ係数(所得や資産の分布の不平等さを測る指標)が上昇したことが明らかになりました。日本もジニ係数が上昇した国、つまり経済的な不平等が増した国の一つであり、2000年代以降に顕著になった非正規労働の比率の高まりもあって、格差問題がいろいろなところで取り上げられるようになっています。

格差拡大は経済成長を抑制する

このように世界的に格差が拡大していくなかで、経済学者の関心は、格差の拡大が経済成長に及ぼす影響に注がれるようになりました。論文数も1980年代以降、格段に増えています。しかし、格差拡大の影響については研究者によって捉え方がまちまちであり、経済成長を促すという説から抑制するという説まで、さまざまな考え方が出されているのが実情です。

ところが、2014年に国際通貨基金(IMF)やOECDといった国際機関が、相次いで格差拡大は経済成長を抑制するといった研究成果を示したことで、現在では、経済成長を促すためには格差拡大を放置することは賢明でないとの認識が定着しているように思われます。

技術の進歩が格差拡大の原因なのか

それでは、この格差拡大は何によってもたらされているのでしょうか。この点についても最近、多くの経済学者によって研究が行われるようになっています。格差の拡大は、主に「経済のグローバル化」と「技術の進歩」によってもたらされているとする認識が、これまでの研究によって定着しているように思いますが、こちらも、格差拡大の主因は技術の進歩にあるという研究成果をIMFやOECDといった国際機関が示したことで、どちらかというとこちらの捉え方が一般的になっているように思います。ただし、筆者としては、これまでの研究では、格差の拡大と技術の進歩の因果が必ずしも明らかになっているわけではなく、さらなる研究が必要だとも思っています。

格差の拡大を引き起こさない科学技術イノベーション

ここまでで、格差の拡大は経済成長を抑制する可能性があり、そして格差拡大には技術の進歩が影響していると考えられていることがわかりました。つまり、技術の進歩が経済成長を抑制するということです。しかしながらその一方で、冒頭でも触れたように、科学技術イノベーションは成長戦略の切り札であると捉えられています。ここに一種の矛盾が生じているのです。

したがって、どのようにすればこの矛盾を解消することができるのか、早急に詰めていくことが必要です。その際、格差の拡大を助長しかねないから科学技術イノベーションを抑制するというのでは、本末転倒です。格差を拡大させずに、科学技術イノベーションをいかに推進していくのか。それを明らかにしていくスタンスで臨むことが重要です。

社会の進歩、成長・発展に関する新たな視点

最近は、成長率の大小だけではなく、成長の質が注目されるようになっています。現実にみられる世界的な格差の拡大も、こうした認識の変化の背景にあると思います。開発政策の分野には従来から、経済が成長すれば貧困問題は解消するといった考え方がありました。しかし、足下の状況をみると、途上国においては、持続的な成長が実現しても貧困問題が一向に解消されていません。また、気候変動などの地球規模の環境問題も厳しさを増してきました。

このため、世界銀行は2000年に「成長の質」に関する書籍を刊行し、たんに国内総生産(GDP)を増やすだけではなく、格差を回避し誰もが取り残されないといった包摂性、人的資本や自然資本の維持・蓄積をも考慮した持続可能性、そしてグローバルな金融リスクや災害リスクに適切に対処することのできる強靭性を備えた質の高い成長を実現することの重要性を指摘しました。

一方、先進国のサイドでは、一人当たりのGDPが上昇しても、それが人々の満足度や幸福度に必ずしもつながらないという、いわゆる「幸福のパラドックス」の存在が何度となく指摘されるようになりました。これに格差の継続的な拡大も加わって、真の豊かさとは何か、社会の真の進歩とは何かという点の追求が本格的に行われるようになりました。

スティグリッツ委員会報告と持続可能な開発目標(SDGs)

こうした流れのもと、2008年2月にサルコジ仏大統領(当時)の呼びかけにより「経済パフォーマンス及び社会進歩の計測に関する委員会(いわゆるスティグリッツ委員会)」が設置され、その翌年9月には、同委員会報告が公表されました。たんにGDPといった集計値だけではなく、人々の暮らしの質や持続可能な発展の姿を適切に計測し、それらを政策立案に活用していく姿勢を示したという点で、開発政策の分野における「質の高い成長」の考え方とほとんど重なっています。この報告書を受けて、OECDなどでは暮らしの質に関する指標を作成するようになっており、先進国を中心に、経済政策を実施する際には、たんにGDPだけではなく、人間一人ひとりの満足度や幸福度に直結するような指標もきちんとみていこうとする動きが広がっています。

また、2000年につくられた「ミレニアム開発目標(MDGs)」を発展させて、2015年9月には国連で「持続可能な開発目標(SDGs)」が採択されました。SDGsの17の目標と169のターゲットを設定するに当たっては、持続可能性の視点に配慮することはもちろん、貧困や格差、教育に関する目標を取り上げることを通じて、経済成長に誰もが取り残されないといった包摂性にも配慮し、そして、災害に強い持続可能なまちづくりなどの強靭性にも配慮するなど、質の高い成長の考え方が色濃く反映されています。

スティグリッツ委員会報告とSDGsは、重点の置き方に若干の違いがみられますが、最終的な目標を人間一人ひとりの満足度や幸福度を高めていくことに置くという点で同じです。いずれも、社会の進歩、成長・発展の新たな形を追求したものと位置づけることができます。

「質」の高い成長を促す科学技術イノベーションを

こうした動きのなかで、科学技術イノベーションを推進していく際に人々の格差を拡大させないことが、ますます重視されるようになってきています。繰り返しますが、格差の拡大は、質の高い成長や人間一人ひとりの満足度や幸福度の向上を阻むものだからです。

人類は、20世紀までの驚異的な量的拡大を経験した後、人口減少、高齢化、格差拡大、資源制約などの極めて困難な課題を抱えるようになりました。これらの課題を克服していくためには、量だけではなく質の追求が不可欠です。それは、人間一人ひとりの満足度や幸福度を向上させることでもあります。科学技術イノベーションはそうした要請に応えることが期待されているし、応えるものでなければならないのだと思います。

筆者自身も、科学と社会の相互作用に気を配りながら科学技術イノベーションを推進していくことの重要性を、改めて認識せずにはいられません。より詳しい内容は「経済成長と格差、科学技術イノベーション」(概要のスライドはこちら)としてまとめましたので、そちらも併せてご覧ください。

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