レポート - 研究開発戦略ローンチアウト -

第13回「医療のパラダイムシフト~先制医療~」

科学技術振興機構研究開発戦略センター臨床医学ユニット フェロー 辻 真博 氏

掲載日:2010年6月25日

辻 真博(科学技術振興機構研究開発戦略センター臨床医学ユニット フェロー)

科学技術振興機構研究開発戦略センター臨床医学ユニット フェロー 辻 真博 氏
筆者は、科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)臨床医学ユニットで、医療に関する規制環境および研究開発戦略の調査、分析、提言活動に携わっている。本稿では、現在検討を進めている「新しい医療~先制医療~」という考え方について紹介したい。(医療分野の規制環境などについては、2009年10月の掲載記事「科学技術の健康、医療への応用と臨床研究の推進」(川上 浩司 氏・京都大学大学院医学研究科 教授、研究開発戦略センター 臨床医学ユニット フェロー)も併せて参照されたい)

 

医療の進展に伴う恩恵と問題点

わが国を含む世界各国でライフサイエンス研究が活発に推進された結果、医薬品をはじめとする医療技術は目覚しい進歩を遂げた。その結果、従来は不治の病とも言われた多くの疾患について、治癒あるいは症状の進行を遅らせることが可能となり、より多くの人々が健康に長生きすることが可能になった。しかし、新しい医療技術は非常に高価であることが多く、超高齢社会を迎えたわが国にとっては、医療技術の進歩のみならず今後予想される医療費の高騰にどう対処するかも大きな課題となっている。

 

従来の予防医学

国民の健康を守りつつ医療費の高騰を抑えるための最善の方法は、「国民ができるだけ病気にならないようにすること」であろう。この考え方を実現するため、従来の予防医学は、主に経験的事実を根拠として、すべての人を対象に展開されてきた(例:生活習慣の改善など)。このような従来型の予防は一定の効果を上げてきたと考えられるが、今後より多くの人々が病気にならないようにするためには、発想の転換が必要なのではないかと考えられる。

 

新しい医療の方向性

ライフサイエンス研究の進展の結果、さまざまな疾患で発症機構の解明が進みつつあり、医学が経験の学問から精密科学へと発展しつつあると言える。一般に慢性疾患、特に加齢に伴って増加する疾患は、遺伝素因(ゲノム)を背景とし、さまざまな環境因子が複雑にかかわりあって発症することが強く予想されている。しかも、発症の時期は明確でなく、病因が成立することと実際に臨床症状が現れることとの間に長い期間を要するものが多いと考えられる。このように、臨床症状の発現に先立って診断し、適切に対処するのが先制医療という考え方である。

 

先制医療とは

先制医療(Preemptive medicine)とは、発症前に高い精度で発症予測(Predictive diagnosis)あるいは正確な発症前診断(Precise medicine)を行い、病気の症状や重大な組織の障害が起こる前の適切な時期に治療的介入を実施して発症を防止するか遅らせるという、新しい医療のパラダイムである。本パラダイムは、今後の医療の進むべき方向の1つであると考えられる(図参照)。先制医療が従来の予防医療と異なるところは、病態・病因の発生や進行のメカニズムにあわせて、予見的に介入する点である。

 

先制医療(preemptive medicine)の概念図(検討中)

図. 先制医療(preemptive medicine)の概念図(検討中)

 

先制医療の実現に向けてなすべきこと

先制医療の基盤となるのは、高い精度の発症予測、あるいは正確な発症前診断である。そのために重要なのは、各種疾患の診断に有効な(バイオ)マーカー候補(例えばゲノム、エピゲノム、タンパク、メタボロームや、CT・MRIなどの画像)の探索および、疫学研究などによる有効性、妥当性の確認であろう。全国民に対して先制医療のパラダイムを適用するためには、例えば尿や血液など、安全・安価で簡便に採取可能で、予測精度の高いバイオマーカーであることが求められる。疾患によってはバイオマーカーでハイリスク群を絞った後、コスト面を考慮した上で高感度な検査を実施し、正確な発症前診断を行う必要もあるだろう。また、先制医療の実現には発症前の治療的介入方法の確立も必須である。廉価で副作用の少ない治療法のシーズ探索、および臨床研究での安全性、有効性の確認を実施する必要がある。

以上のような研究開発に関する課題に加えて重要なのは、国民への啓発活動である。先制医療という新しいパラダイムの実現は、国民の健康の向上へ直結するものであり、国民の理解と支援が必須である。

 

期待される波及効果

先制医療を実施し、疾患の発症を防止あるいは遅らせることで、健康長寿社会が実現すると考えられる。それにより、少子高齢化が進むわが国において、持続可能な活力ある社会の構築に資することが期待される。

また、先制医療の実現は、医療費の抑制にもつながることが期待される。医療費の高騰は世界各国で大きな問題となっており、その抑制に向けた方法論や手法への関心は高い。そこで、世界に先駆けて超高齢社会を迎えたわが国で先制医療を実現することは、医療産業の国際競争力の強化にもつながり、新たな経済成長と雇用の創出に資すると考えられる。

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