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自主性があってこそチャンスはつかめる《橋本恵さんインタビュー》<特集 令和3年版科学技術・イノベーション白書>

2021.07.15

鴻知佳子 / フリーライター

米カリフォルニア大学サンフランシスコ校で認知症について研究する橋本恵さん(本人提供)

 令和3年版科学技術・イノベーション白書では、未来のための基礎研究の強化や、人材育成の重要性が強調されている。では研究者として道を切り開こうとする時、どんな取り組みが効果的な後押しになるのだろうか。海外で約3年にわたる任期付きの訪問研究員(ポスドク)の生活を今まさに終えようとしているお茶の水女子大学お茶大アカデミック・プロダクション特任助教の橋本恵さんに、これまでの研究についてオンラインで聞いた。

リーディングプログラムが転換点

 神経の病気である認知症は、高齢化の加速で患者数が増えていくと予想されている。橋本さんはその治療法開発に挑み、研究の第一線で活躍中だ。発症のメカニズム解明に取り組んだ米カリフォルニア大学サンフランシスコ校での最初の2年間の研究は2020年に科学誌ネイチャーに掲載され、その後は治療薬候補となる化合物を見つけた。今年3月に母校で特任助教のポストを得て、ポスドク生活の総仕上げをしているところだ。

 研究職に就きたいとの思いを強くしたのは、修士課程で研究の現場に触れてから。それまでは、高校時代に気の合う生物学の先生との出会いもあり、好きな生物学に関われるような仕事、例えば中学や高校の生物学の先生になれれば、と思っていたという。「大学の学部や修士課程に進んですぐのころは、実は目の前にある課題をこなして、流されるままに研究をしていました」と振り返る。

 それが変わる大きな転換点となったのが、「博士課程教育リーディングプログラム」だ。お茶の水女子大学が文部科学省の支援を受けて、「『みがかずば』の精神に基づきイノベーションを創出し続ける理工系グローバルリーダーの育成」というプログラムで理工系女性リーダーの育成に取り組むこととなったのだ。まずは「プログラムの一環で、与えられた課題ではなく自主的な研究テーマを探すことになりました」と橋本さんはいう。

「博士課程教育リーディングプログラム」では異分野・異文化の人とコミュニケーションを積極的に取る自主性も磨かれる(橋本恵氏提供)

 修士課程の時から神経とその病気に関心を持っていたが、関連分野の論文を読んでいる中で出合ったのが「神経細胞は老化しない」という研究成果だった。マウスはラットより寿命が短いが、マウスの神経細胞をラットに移植すると、移植された細胞はマウスの寿命を超えて生き続ける、という結果に驚いた。

 では、神経細胞が失われる認知症はなぜ起きるのだろうか。その論文で注目していた細胞こそが、橋本さんの今の研究につながる「グリア細胞」だった。神経細胞の周りの環境を整え、脳の免疫細胞としての役割を持つ。グリア細胞の手助けがあってこそ神経細胞は機能する一方で、活性化したグリア細胞は神経細胞を攻撃する一面も見せる。自分で興味を持ち、選び取った研究テーマとして、グリア細胞が加わった。

ドライな評価に「海外流」を痛感

 「領域横断的なプログラムだったので、異なる専門分野の学生との交流もいい刺激になりました」。数学専攻と物理専攻の2人の学生と同じチームになった科目では、「話が通じない」と最初は戸惑ったものの、細胞の写真を2人に見せたところ、「細胞の行動を数式で表せるよ」「物理で解析できるよ」と言われ、アイデアを出し合って細胞の数理モデル化を進めた。こうして自主的に取り組む姿勢が着実に身についていった。

専門分野の異なるメンバーと自主課題に取り組む(橋本恵氏提供)

 一方で、フランス人の先生が英語で教える数学は容赦なく、それまでの橋本さんがほとんど取ったことがない「C」という成績がついてしまった。「専門外だし、それなりに頑張れば単位がもらえる」と思いきや、ドライに評価されてしまったのだ。「徹底的に勉強するんだな」と海外の学生たちの頑張り度合いを垣間見た。今までは研究室の中でほぼ完結していた意識が、少しずつ外を向くきっかけになった。

 「博士課程教育リーディングプログラム」には、こうした研究者としての自主性を培う環境があるだけではなく資金的なサポートもあり、生活費を心配せずに研究に専念できる。実際、このプログラムがあるから博士課程に進学する選択をした仲間もいたという。そして資金的なサポートは、橋本さんがポスドクとして研究を続ける際の後押しにもなった。

「持参金」がハードル下げる

 「海外に出なさい」。博士課程修了が近付くと、海外経験のある先生たちが口をそろえて勧めるようになったという。もともと英語が得意というわけでもなく、研究はどこであってもグローバルな活動だと思っていた橋本さんは、留学を計画していなかった。だがそんなに言うのなら、と半ば先生たちのアドバイスに押し切られるような形で、指導教官が紹介してくれたカリフォルニア大学の研究室に留学を決めた。

 日本学術振興会の特別研究員だった橋本さんに支給されていた研究奨励金は留学先でも活用でき、お茶の水女子大学の独自の海外留学助成も受け取れることになったため、「持参金」を持っていけることも留学のハードルを下げることにつながった。米国の研究室ではポスドクを最低賃金で雇うが、その分の賃金を自分で確保できると研究室も外からのポスドクを受け入れやすくなるのだという。

 米国での生活に慣れるのに半年ほどかかったものの、研究室にはアジアからの留学生も多く、研究はすんなりと続けられ、「色々な国から来た研究者がいて、日本では味わえない研究が経験できました」という。「ラーメンが食べたくなる」ものの、ひとまず1年間の挑戦と思っていたのが、引き続き日本学術振興会の海外特別研究員として合わせて3年間、カリフォルニアで過ごすことになった。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究室では各国からの留学生とともに研究に取り組む(橋本恵氏提供)

米国流と日本流の良さを合わせて

 ポスドク生活で取り組んできたのは、4大認知症の一つである「前頭側頭型認知症」の発症メカニズムの解明だ。このタイプの認知症では、患者は衝動的な行動を取ってしまい、社会的に孤立してしまうという。グリア細胞がうまく働かなくなることで、周囲の環境が乱れて神経細胞も傷付くと考えられている。

神経細胞(緑)のそばでグリア細胞(青)は周囲の環境を整える(橋本恵氏提供)

 治療薬の候補化合物は、米国のベンチャー企業が有効性を調べる次の段階に移るところだという。橋本さん自身も、研究職としてキャリアアップを目指し、日本に戻る決断をした。米国で研究に使っていたモデル細胞で、前頭側頭型認知症に対する別の化合物の治療効果を調べる研究という「横展開」を予定している。同じようなメカニズムで発症することが分かっている多発性硬化症の治療薬が有効かもしれないのだ。

 日本では例えば1つのタンパク質の機能の深掘りなど、より深く理解する方向で研究を進めるが、米国では1つの事象が他でも起きていないかなどと横展開する傾向があると感じているという。米国流の良さと、日本流の良さを合わせて、橋本さんは自分らしい研究の進め方を構築していこうとしている。

 海外でのポスドクの経験を、今後留学を目指す人と共有できればとも橋本さんは考えている。留学を検討し始めた時、大学院の先輩で相談できる人がいなかったため、1人で手探りで進めることも多かったが、それが留学先では日本から来ているほかの留学生と情報交換できる場があり、少し先の見通しが立つようになった。研究者としてのステージに合わせた支援を活用できた具体例として、経験を役立てたいという。

ライフイベントと研究の両立がカギ

 日本では結婚や出産、子育てなどのライフイベントの影響を男性研究者よりも女性研究者が受けがちだが、研究を継続したいと考える女性研究者にどんな支援があるといいのかを、米国で見てきた事例も踏まえて考えていきたいと橋本さんはいう。やはり研究は日々の蓄積が重要だと実感したため、「中断」をどうやって減らすかがカギになるのかもしれないという。

 カリフォルニア大学サンフランシスコ校には看護系の研究科があったからか、博士課程に在籍している女性の数の多さに驚いたという。男性も産休や育休を取得したり、ベビーシッターを雇う慣習が浸透していたり、あるいは男女問わず若手研究者への経済的支援の仕組みが充実していたり、と日本との違いがあるからなのかもしれないが、まずは自分の周りの環境整備のために何かアイデアを出せれば、と意気込む。

 「研究では行動力も大事ですね」。研究職として一つステージが上がる橋本さんがこれまでを振り返り、自主性に加えて行動力も研究者には欠かせないという。研究をどう進めるかは自分で考えなければならない。仮説を立てるのも実証するのも自分だ。迷っていると時間が過ぎてしまう。でも高すぎる目標を設定してしまうと、足がすくんでしまう。

 橋本さんは「高い目標と、ちょっと頑張れば届く目標と、行動すれば実現できる目標」と3段階の目標を設定し、自分の指針にしていたという。最初から研究者を目指していたわけではない橋本さんだからこその気付きを踏まえた実践的なアドバイスかもしれない。「理工系リーダー」の一人として、続く次世代の研究者に橋本さんが伝えられることはたくさんある。

編集注:「博士課程教育リーディングプログラム」の公募受付は平成25年度で終了し、現在は「卓越大学院プログラム」(日本学術振興会)が実施されている。

橋本恵プロフィール

橋本恵(はしもと・けい)
お茶の水女子大学お茶大アカデミック・プロダクション特任助教
2013年お茶の水女子大学理学部生物学科卒。2018年お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科修了。博士(理学)。米カリフォルニア大学サンフランシスコ校に訪問研究員(ポスドク)として滞在中。2021年3月から現職。

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