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「地層に刻まれた声を聴け」チバニアン決定、実ったグループの格闘≪特集 令和2年版科学技術白書≫

2020.09.03

地質年代「チバニアン」の基準地となった地層 ※画像提供:市原市教育委員会
地質年代「チバニアン」の基準地となった地層 ※画像提供:市原市教育委員会

今年1月、日本の科学界に一大ニュースが駆け巡った。地球の歴史を語るのに欠かせない地質年代の境界の基準地として、千葉県市原市の地層が選ばれ、そこから始まる約65万年間の時代を「チバニアン」(ラテン語で千葉時代の意味)と呼ぶことが国際学会で正式決定したのだ。この年代境界の特徴を世界で最もよく記録した貴重な地層だと認められた。これにより、この時代に関連する地質学や古生物学などの研究の拠りどころとなる基準が定まった。厳しい審査の過程からは、科学の成果をライバルと競うことの大切さも浮かび上がった。令和2年版科学技術白書のトピックとなった研究を詳しくご紹介する。

年代表の「Chibanian」見て実感

「地質年代表に『Chibanian』と刷り込まれているのを見て、ようやく実感が湧いてきました。一般の人の会話にまでチバニアンの話が出ていて、感慨ひとしおです」。チバニアンを学会に申請したグループの代表、茨城大学理学部教授の岡田誠さんは、決定から半年あまりを経た思いをこう語る。年代表には基準地が千葉に決まったことを示す、くさびのマークも描き込まれている。

チバニアン申請グループの代表を務めた岡田誠さん ※画像提供:茨城大学
チバニアン申請グループの代表を務めた岡田誠さん ※画像提供:茨城大学

グループのもとには教科書や地学関連の書籍に記載する相談が舞い込むなど、反響は大きなものになっている。6月にまとまった今年の科学技術白書でも「学術的に大きな意義を持つとともに、今後、地質学分野において日本がプレゼンス(存在感)を発揮する大きなチャンスといえる」と紹介された。

チバニアンの約65万年間に、地球は寒冷で氷河が拡大する「氷期」と比較的温暖な「間氷期」を何度も繰り返した。この時代の始まりの約77万年前は間氷期で、現在と特によく似ているとされる。グループの中心メンバーで国立極地研究所准教授の菅沼悠介さんは「今後の気候変動を探る上で注目されている時代です」と重要性を強調する。現生人類のホモ・サピエンスはチバニアンに誕生しており、私たちのルーツを考える上でも意義のある時代だろう。

岡田さんは「地層を調べることはいわば、地層に刻まれた声を聴くこと。すると、この世界で過去に起こった未知のことが分かって面白い。地味な分野と思われがちだが、わくわくします。チバニアンが、そんな分野に皆さんが興味を抱くきっかけになってほしい」と、穏やかな口調ながら熱く語る。

地質年代表に新たに入った「チバニアン」を指さす岡田さん ※画像提供:茨城大学
地質年代表に新たに入った「チバニアン」を指さす岡田さん ※画像提供:茨城大学

世界で1カ所、基準地を選定

チバニアンが正式に決まったとは、どういうことだろう。まず、話の概要は次の通りだ。

地質年代は地球46億年の歴史を、生物や気候などの変化を基準にして区切ったもの。例えば恐竜が繁栄した「ジュラ紀」「白亜紀」は、よく知られている。この2つを含む大きな時代区分の「中生代」が6600万年前の恐竜絶滅で終わり、哺乳類が繁栄する「新生代」が続く。新生代に含まれる3つの時代のうち現在に至るのが「第四紀」。そのさらに小さな区分の「更新世」の中期、77万4000~12万9000年前がチバニアンだ。

学術組織の国際地質科学連合(IUGS)は年代の境界全てに、境界としての特徴が最もよく表れ研究に役立つ見本となる基準地を、世界で1カ所ずつ設定することを目指している。候補地を推す研究グループがIUGSに申請し、4段階の審査を経て基準地に決まると、グループはその境界から始まる年代に、地名に由来する名前をつけられる。基準地を設定する可能性のある103の境界のうち、29は今も未定だ(ただし、これらの中には古いルールにより年代名が決定済みのものもある)。

約77万年前の年代境界も基準地が未定となっていた。2017年6月、岡田さんを代表者とする30人あまりのグループが、市原市の地層をこの基準地とし、そこから始まる時代をチバニアンと命名するように提案。同年11月の1次審査でイタリアの2カ所の候補地を破った。その後は適格性の審査が続き、今年1月の4次審査で正式決定に至っている。

ちなみに、中新世には約2300万年前に始まる「アキタニアン」という年代名があるが、こちらは秋田県ではなくフランスの地名に由来する。

「チバニアン」の根拠となった地層(市原市) ※画像提供:市原市教育委員会
「チバニアン」の根拠となった地層(市原市) ※画像提供:市原市教育委員会
中央の水平に連なる筋状の凹みが、地磁気逆転の目印となる火山灰の層。ここから上がチバニアンの地層 ※画像提供:市原市教育委員会
中央の水平に連なる筋状の凹みが、地磁気逆転の目印となる火山灰の層。ここから上がチバニアンの地層 ※画像提供:市原市教育委員会

岩石は「地磁気の化石」

基準地となる条件は、例えば次の点だ。(1)海底に泥などが連続して積もってできた地層であること、(2)当時の環境が詳しく分かること。さらに、この約77万年前の年代境界の特徴として(3)「地磁気」の逆転が記録されていることが挙げられた。審査ではこの(3)が最も重視された。

地磁気とは天体が持つ磁場のこと。地球内部では高温と高圧で溶けた鉄が対流し続けることで電流が起こっており、それで地磁気が存在すると推測されている。地球が大きな磁石になっており、北極はS極、南極がN極になっている。方位磁石のNが北を指すのはこのためだ。そして、地球の歴史でこのS極とN極は逆転を繰り返している。現在の地磁気の向きと同じ「正磁極」と、反対の「逆磁極」とがおおむね数万~数十万年ごとに入れ替わってきた。逆転する時は、数千年かけてじわじわと変わる。

地磁気が逆転したことは、その時代にできた岩石を調べると分かる。溶岩が冷え固まって火山岩になるとき、磁性を持つ成分の酸化鉄がその時の地磁気の向きに応じて固まる。あるいは、火山岩が砕けてできた酸化鉄の粒子が、泥などとともに海底に降り積もる際にも、地磁気の向きに沿って固まって地層の堆積岩となる。このため、火山岩や堆積岩に含まれる酸化鉄をもとに、過去の磁極の向き「古地磁気」が分かる。岩石は「地磁気の化石」ともいわれる。直近の逆磁極の時代が終わり、現在の正磁極へと逆転したのが約77万年前だ。

市原市の約77万年前の地層は、海で積もった酸化鉄を豊富に含んでおり、この逆転がはっきり分かる。「これほど明瞭な場所は他になく、基準地にふさわしい」と注目され、申請する機運が1990年代初頭から高まった。

地磁気測定のため地層から採取した試料を手にする岡田さん ※画像提供:茨城大学
地磁気測定のため地層から採取した試料を手にする岡田さん ※画像提供:茨城大学

自然の好条件重なった奇跡の地

市原市の地層が優れているのは、地磁気だけではない。自然が引き起こしたいくつもの好条件が奇跡的に重なった場所といわれる。

ここを含む房総半島一帯の地層は第四紀に入ってから海底でできたものだ。日本列島の山地から土砂が盛んに海に流れ込み、どんどん堆積した。堆積が速いと細かい時期ごとの磁場や生物、気候の違いを把握でき、それだけ研究に適しているのだ。しかも、第四紀という新しい時代の地層が隆起して既に陸に上がり、私たちが目の当たりにできるのは、世界的にも極めて珍しい。

また、この地域は当時は黒潮と親潮が出合う場所に面していたため、海の生き物の化石が多彩だ。日本列島は標高差が大きく植生が多様で、海に流れ込む花粉の化石も豊富。これらは当時の植生や気候を理解する手がかりになる。紆余曲折を経て2013年に岡田さんらの申請グループが発足。国際学会への申請に向け、イタリア南部の2つの候補地、モンタルバーノ・イオニコとバレ・デ・マンケとの競争が事実上、始まった。

モンタルバーノ・イオニコ ※画像提供:チバニアン申請グループ
モンタルバーノ・イオニコ ※画像提供:チバニアン申請グループ
バレ・デ・マンケ ※画像提供:チバニアン申請グループ
バレ・デ・マンケ ※画像提供:チバニアン申請グループ

逆風、応酬、そして圧勝

千葉は当初、完全に逆風にさらされていた。地質学は歴史的に欧州で先行して発展しており、それを反映してか年代名は欧州にちなんだものが多い。特に恐竜が絶滅した6600万年前以降の決定済みの基準地はすべて地中海周辺で、今回もイタリアの選定が当然視される向きもあった。しかも千葉は申請グループが発足するまで招致活動の色彩が強く、望ましい科学論文が全くない状態だったという。

特に難敵として立ちふさがったのはモンタルバーノ・イオニコ。ここの地層はもともと、酸化鉄が溶けて地磁気逆転データが消えているのが大きな弱点だった。この点で千葉の優位は明白だったが、モンタルバーノ・イオニコは奇策に出た。地層の放射性元素「ベリリウム10」の分析で地磁気の変化を間接的にとらえ、逆転を推定できたと突然、主張し出したのだ。

ベリリウム10で地磁気が分かるとは、どういうことか。地磁気は地球を取り囲んで磁気圏を形成し、宇宙線と呼ばれるエネルギーの高い粒子などから地球を守っている。地磁気が逆転する途中で弱まると、大気中の酸素や窒素が宇宙線に破壊されてベリリウム10が増加する。そこで、各時代の地層に取り込まれたベリリウム10の濃度を測定すれば、その時の地磁気の強弱が分かり、地磁気の逆転が推定できるというわけだ。

菅沼さんは「モンタルバーノ・イオニコはベリリウム10の測定に不向きと思われていたのに、彼らは千葉に対抗するため、技術開発による新手法で実現した。とてもよいデータが出ていて、純粋に驚かされた」と振り返る。しかし、グループの方針は「イタリアにあって、千葉にないものがないようにする」。すかさずベリリウム10のデータをそろえ、地磁気逆転の直接データともよく一致することを示して応戦した。

もっともベリリウム10の手法だと、測定施設は世界に数えるほどしかない上に、高度な作業が必要でコストがかかる。測定可能な地層もごく限られる。したがって、この手法を基に基準地を選んでしまうと、その後のあらゆる研究にとって高いハードルとなる。そもそも、地磁気の逆転を直接捉えてはいない。千葉グループがこうした考え方を整理して審査員にメールで伝えたのは、1次審査のディスカッション締め切りの35分前。理路整然と説明を尽くした上で、最後にとどめを刺す戦術も行使した。

地層に眠る化石のデータはモンタルバーノ・イオニコが先行してまとめていたが、千葉も負けじと充実したデータを提出した。一方、バレ・デ・マンケは地磁気逆転が直接分かると主張したが、ベリリウム10を測定すると年代にズレが生じ、劣勢となってしまった。

そして迎えた17年11月、1次審査の投票では千葉が15票中11票を獲得。イタリアの2カ所に大差をつけ、千葉が2次の適格性審査へと進むことになった。

チバニアン誕生の立役者となった菅沼悠介さん ※オンライン取材時の画面から
チバニアン誕生の立役者となった菅沼悠介さん ※オンライン取材時の画面から

科学の競争は、よりよい結果のため

行政の強い後押しも得られた。政府は2次審査中の18年10月、市原市の基準地候補の地層を天然記念物に指定。3次審査中の19年9月には同市が、調査研究のため地層の隣接地に立ち入ることの妨害を禁じる条例を制定し、基準地にふさわしいことを世界にアピールした。そして今年1月17日、韓国・釜山で開かれたIUGSの理事会で、理事10人の6割超の賛成によりチバニアンがついに正式決定した。

「『絶対に地中海でなければ』という委員も複数いるなど逆風が強く、まさか1次審査で圧勝するとは思わなかった。データを基に論理的に議論したことで、審査はきちんとした結果を出してくれました」と菅沼さん。特に、イタリアが千葉に対抗すべくベリリウム10を測定したのを受け、千葉も計測し、古地磁気の直接計測データとの一致を確かめたことに注目したい。「信頼性が一段と高い形で結論が導き出されました。科学の国際競争は決して相手をおとしめるのではなく、よりよい結果を目指すためのものです」と菅沼さん。

地磁気逆転が繰り返し起きていたことは1920年代に、京都帝国大教授だった松山基範博士が発見している。1世紀近い時を経て、今度は地磁気逆転を基準とした年代名が国内から誕生した。日本の地質学の歩みを実感し、今回のチバニアン誕生をまず喜びたい。同時に、「地層に刻まれた声を聴く」努力を地道に積み重ね、よりよい成果へとつなげていく科学の営みにも、改めて目を向けるできごととなった。

現地に2019年12月にオープンした解説の展示施設「チバニアンビジターセンター」。なお地層は養老川岸にあり、見学時には長靴の持参が推奨される。増水などで立ち入れないことがあり、見学可否の最新情報はセンターのインスタグラム(@chibanianvisitorcenter)で確認したい。 ※画像提供:市原市教育委員会
現地に2019年12月にオープンした解説の展示施設「チバニアンビジターセンター」。なお地層は養老川岸にあり、見学時には長靴の持参が推奨される。増水などで立ち入れないことがあり、見学可否の最新情報はセンターのインスタグラム(@chibanianvisitorcenter)で確認したい。 ※画像提供:市原市教育委員会

<プロフィール>

岡田誠(おかだ・まこと)
茨城大学理学部教授

1987年静岡大学理学部卒業。92年東京大学理学系研究科博士課程修了。93年茨城大学理学部助手、2001年同助教授などを経て15年より現職。専門は古地磁気学、古海洋学、野外地質学。堆積物を用いた古地磁気、古海洋学的研究を通して過去の地磁気逆転や気候変動を解明する研究を行う。

菅沼悠介(すがぬま・ゆうすけ)
国立極地研究所地圏研究グループ准教授

2000年茨城大学理学部卒業。02年東京都立大学大学院理学研究科修士課程、05年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。同特任助教、国立極地研究所助教などを経て16年より現職。専門は地質学、古地磁気学。海や湖の地層や氷河地形などから、過去の地球環境の変動メカニズムの解明を目指す。南極地域観測隊に6回参加した。

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