野菜づくりにおいては、土が農作物の品質、収穫量を大きく左右する。そのため、農家はそれぞれ土づくりに力を入れている。山形県の庄内地方で、未経験から農業を始めた高田庄平さんは、土づくりに試行錯誤する中、山形大学の「庄内スマート・テロワール構想」と出会ったことにより、土の状態を劇的に改善させた。さらに、地域一体となって取り組む活動や、パナソニックが開発中の栽培支援サービスの実証実験に参加することで、これからの農業のあり方が見えてきたという。
IT企業の社員から農業へ転身
野菜の品質や収穫量に苦慮
山形県の日本海沿岸に広がる庄内平野は、日本有数の米どころとして知られている。しかし、2018年まで実施された減反政策や、食習慣の変化による米の消費量減少の影響から、米の収穫量は年々減っている。農家の高齢化も進み、離農による耕作放棄地※となった水田は少なくない。このままでは祖先から営々と受け継がれてきた豊かな土地は荒れ、美しい田園風景も失われてしまうかもしれない。
※耕作放棄地:以前耕作していた土地で、過去1年以上作物を作付け(栽培)せず、この数年の間に再び作付け(栽培)する意思のない土地。
そんな中、脱サラして出身地である庄内地方の鶴岡市で野菜づくりに取り組むのが「ベジパレット」の高田庄平さんだ。現在高田さんは20ヘクタールもの広大な農地でアスパラガス、ニンジンなどを大規模に生産しているが、農業を始めたきっかけは意外なほどシンプルだった。
「大学卒業後は東京のIT企業に勤めていました。祖父母が家庭菜園以上、農家未満というような規模で野菜をつくっていて、時々送ってもらっていました。特にアスパラガスがおいしかったのですが、高齢のために野菜づくりをやめると聞いて、あんなにおいしいアスパラガスが食べられなくなるのは惜しいと思い、2010年、27歳のときに故郷に戻って農業に転職することにしました」(高田さん)
十分な農地も農業機械もなく、ノウハウや人脈もまったくない文字通り手探りの状態で農業を始めた高田さんは、地元農業協同組合の栽培技術などの指導を担当する営農指導員によるアドバイスを参考に野菜の生産に取り組むも、なかなか品質、収穫量は上向くことはなかった。例えば、ニンジンに関しては、主要産地の北海道では10アール当たり8トンも収穫できているのに対して高田さんの畑では2トンしかとれなかった。そのようなときに出会ったのが、カルビー株式会社元社長の故松尾雅彦さんが提唱した「スマート・テロワール」に触発されて始まった「庄内スマート・テロワール構想」だった。
休耕田や耕作放棄地を畑・放牧地に
「地消地産」で新しい経済の仕組み
テロワールと聞くとワインを連想する人は多いだろう。テロワールには、「風土の」とか「土地の個性の」という意味があり、ワインの世界では、味を決める要素であるぶどう畑を取り巻く、さまざまな自然環境のことをいう。では、庄内スマート・テロワールとは、どのような取り組みなのだろうか。この構想の実践を進めている、山形大学農学部附属やまがたフィールド科学センター教授の浦川修司さんがこう説明してくれた。
「そもそも、スマート・テロワールには、それぞれの土地に合った、洗練された特色ある地域づくりといった意味があります。これを提唱したカルビー元社長の松尾氏により、2016年4月に山形大学に開設された寄附講座『食料自給圏「スマート・テロワール」形成講座』を中心として、庄内地方でスマート・テロワールを実践するモデルが、庄内スマート・テロワールです」
具体的には、畑作と畜産の連携を図る「耕畜連携」、農業者と加工業者が一体となって加工食品を製造する「農工連携」、加工業者と小売店が連携する「工商連携」とこれらによって実現される「地消地産」の4つのピースで、地域の中で循環させて完結する、新しい経済の仕組みを構築しようとしている。
この構想のベースになるのは、休耕田や耕作放棄などされた水田の畑地化だ。地域の人たちが大切にしている、米どころ庄内の美しい田園風景を守りながら、農地を有効活用する鍵は平野部と傾斜のある中山間地の「ゾーニング」にある。中山間地では1枚の水田が狭いため、平野部に比べて効率的な水稲作が難しく休耕田や耕作放棄地が多くなっている。その畝を壊して、緩やかな傾斜のある広い畑地を造成すれば、畑作に適した水はけのよい農地ができるという考えだ。さらに、畑作にも適さないほど傾斜が急な土地は畜産の放牧地として活用することも提案されている。
スマート・テロワールを構成する主要なピースである「耕畜連携」は、収穫された農作物のうち加工に適さない規格外品や余剰分は畜産の飼料として利用するとともに、家畜の排せつ物は堆肥化して畑地に施すことで循環型農業を確立し、畜産物の自給率の向上を目指すものだ。
この「耕畜連携」で得られた大豆、小麦、ジャガイモ、豚肉などを原料とした加工品を生産するのが「農工連携」だ。ハム、ソーセージ、ベーコンといった畜産加工品やパンや麺などの小麦製品は、原料を輸入に頼ってきたが、これらを地域産原料に転換して、純庄内産の畜産加工品や小麦製品を生産しようとしている。
そして、消費の川下にあたる小売店にも関わってもらうのが、スマート・テロワールの詰めのピースである「工商連携」だ。これは、単に純庄内産の加工品を小売店で販売してもらうだけでなく、例えば、スーパーの店頭で実施したアンケートの結果を加工の現場にフィードバックして、地元の消費者がより望んでいる味・価格・パッケージや量などを反映した製品の開発につなげようというものだ。
浦川さんがこう続ける。
「地産地消が地元の特産品を地元で消費してもらうという考えなのに対し、庄内スマート・テロワールが目指すのは『地消地産』。地元庄内の消費者のニーズに合わせたものを提供できれば消費者は喜んでそれを選んでくださるでしょう。これが実現できれば、生産者、加工業者、小売業者、消費者など庄内で暮らす全ての人がつながる新しい経済循環の仕組みができると考えています」
輪作の工夫で収穫量が飛躍的に向上
「消費者が望む農作物を生産したい」
ベジパレットの高田さんは未経験からの就農で農作技術や土づくりに試行錯誤する中で、スマート・テロワールが推奨する輪作を取り入れることにした。
一般的に、同じ場所で同じ農作物を繰り返し栽培する連作を行うと、その農産物を冒す病原体が増える一方で、土壌中から特定の栄養素が不足して、農作物の成育が悪くなることがある。このような連作障害にならないために、従来の農業生産でも、栽培する作物を周期的に変える輪作が行われてきた。スマート・テロワールでは特にデントコーン(飼料用トウモロコシ)、大豆、小麦、ジャガイモの輪作を推奨している。
高田さんは、専用の農業機械を必要としないデントコーン、小麦を主として、さらにニンジン、長ネギ、赤カブを加えた輪作に取り組んだところ、土が変わっていくのを実感したという。
「土がふかふかと軟らかくなりました。デントコーンは地下2mぐらいまで根を張るので、農業機械でもできないぐらい深く耕すことができるんです。これで土壌の透水性が高まりました。さらに、デントコーンや小麦を収穫した後、残った茎を粉砕して畑に漉(す)き込みます。こうすることで土の中に空気を含ませることができ、大量に漉き込んだ有機物(粉砕した茎)と相まって、てきめんに土が変わったことを実感しました。そこにニンジンを植えたところ、品質や収穫量が大幅に改善されたのです」
植物が生育するには酸素、水素、窒素、リン酸、カリウムなど17種類の栄養素※が必要といわれており、それらを空気や水、土壌から吸収している。土壌中の細菌(バクテリア)などの微生物は、有機物をエサとし、植物が栄養素として吸収できる物質まで分解する重要な役割を果たしている。そのため、有機物が含まれていない化学肥料ばかりを施していると微生物が減少し、いわゆる土が痩せた状態になってしまう。その点、収穫後のデントコーン、小麦を漉き込んで空気を取り込み、有機物を多く含む堆肥を施すことにより、微生物が増加。漉き込んだ植物や堆肥は微生物によって吸収されやすいように分解される。こうして作物を生育させる地力(ちりょく)が向上していったのだろう。
※植物の必須元素:炭素(C)、水素(H)、酸素(O),窒素(N)、リン酸(P)、カリウム(K)、硫黄(S)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、鉄(Fe)、マンガン(Mn)、ホウ素(B)、亜鉛(Zn)、銅(Cu)、モリブデン(Mo)、塩素(Cl)、ニッケル(Ni)
土壌の改善が農作物の品質、収穫量の改善に直結することを実感した高田さんは、農作物のさらなる品質、収穫量の向上を目指し、より科学的に土づくりをするため、パナソニックの「最適な土づくりと栽培の見える化」の実証実験に協力している。(下記コラム参照)
高田さんはパナソニックとの協働についてこう付け加える。
「土壌が良くなって、それにより農業生産が軌道に乗ってきたのですが、今後は消費者の需要に合った農作物を生産していきたいと考えています。そのためには生産する農作物から逆算して、どのような栄養素が必要なのかを、科学的に割り出していかなければなりません」
科学的な土づくりを基盤に消費者が望む農作物を生産したいという高田さんの思いは、庄内スマート・テロワールの地消地産の考えへとつながっているのだ。
そんな高田さんにこれからの農業のあり方を聞いた。
「これからは、共感してくれる仲間と一緒に楽しい時間を共有していきたいと考えています。例えば、ベジパレットでは毎年夏にトウモロコシの巨大迷路をつくっていますが、これは単に遊んでもらうためだけのものではありません。そのトウモロコシを飼料にして育った豚を見てもらい、さらにその豚からどうやって肉を得るのかも知った上で食べてもらうということを体験できるのです。それこそが、スマート・テロワールだからこそできる本当の食育だと思います。地元のものを地元で消費しようというだけの地産地消ではなく、野菜も肉も、理由があって選んで食べる、それがスマート・テロワールを実践する意味でもあるのです。どのような生産者が、どういうところで、どういう思いでつくっているかということを知って選んでもらえるよう、消費者の理解を促すことも生産者の責任だと思っています」
「ベジパレット」という名前には、野菜(ベジタブル)によって庄内平野を色とりどりの絵の具のパレットのようにしていきたいという願いが込められている。この願いは、庄内スマート・テロワール構想が目指す、美しく彩られた未来の庄内の風景とも重なっている。高田さんの夢への挑戦は、これからも続いていく。
科学的な土づくりを支える土壌の“見える化”
土壌の成分を生産者の感覚だけで把握することは難しい。そこでベジパレットの高田さんはパナソニック株式会社アプライアンス社が提供する「最適な土づくりと栽培の見える化」の実証実験に参加し、科学的な土づくりを目指している。
これまでも、土壌の成分や温度、湿度などの栽培環境の可視化は行われてきた。また、パナソニックの従来サービス「栽培ナビ」では栽培環境だけでなく、種をまいた日や苗を定植した日、作物の収穫日や収穫量、農薬や肥料の使用状況といった営農履歴の記録・管理ができる。ただ、そういったサービスの多くは、それらのデータを別々に見るだけであり、作物自体を可視化できてはいなかった。その点、同社が「栽培ナビ」に追加しようとしている新サービスは、従来の栽培ナビで提供してきた環境データ、営農履歴に、さらに土壌の状態、作物を加えた4項目の栽培過程と結果のデータを総合的に分析して“栽培の見える化”を目指すという。
同社の取り組みについて、事業開発センターの新居道子さんが解説してくれた。
「従来の『窒素・リン・カリ』だけではなく、アミノ酸、ミネラルにも着目し、さらに作物も一緒に見るという新しい方法で、『土』と『作物』を見える化し、より安定的な栽培のための手法を確立したいと考えています。特に、有機栽培を行う場合、その基本である健康な土づくりのためにはアミノ酸肥料やミネラル肥料、微生物などの土壌改良資材の使い方が重要です。例えば、窒素過多の土壌は病虫害を誘引し、その防除のために余計な時間や費用がかかりますが、土と作物の見える化に基づく適切な資材投入により、それらを抑えることができます。こうした土と作物についての記録は、まるで人間ドックのように、それぞれの生産者に特有の状況をつかみ課題解決につなげられるのではないか、また、それぞれの生産者の独自の栽培手法の確立にも貢献できると考えています」
さらに同社では、こういった農業を支援するサービスで得られる土壌データをAI(Artificial Intelligence:人工知能)で分析し、目指すべき「良い土」を数値化し、それを生産者に活用してもらえる仕組みの開発を検討している。
「このようなサービスを通じて、昔ながらの環境に配慮し、地域の資材を活用したサステナブルな循環型農業に向けて有機栽培の普及を目指したいと考えています」(新居さん)
経験と勘に頼る農業から、栽培の可視化による誰もが使える農業技術の確立へ。それは、環境の保全と、私たちの健やかな体づくりにつながる安心安全な農作物の供給を期待させてくれる。