サイエンスウィンドウ

遺伝子解析で「より良い生活」をサポート~体質を明らかに、病気の予防も可能〜

2020.02.27

社会インフラが整い、医療技術が発達したことで寿命が延びる一方、「より良い生活」のあり方が問われる時代になってきた。私たちの生活習慣が主な原因と言われる病気にも、実は遺伝的な要因が関わっているという。遺伝子を調べて自身の体質を知り、将来かかるかもしれない病気が分かれば、生活習慣を改め、病気を未然に防ぐことも可能になるだろう。株式会社ジーンクエストは、将来の病気のリスクを含む多くの項目について、遺伝子を調べる一般向けの遺伝子解析サービスを提供している。遺伝子解析とはどのようなサービスなのか、若き起業家の高橋祥子さんに聞いた。

研究成果を社会に還元すべく起業

生命の設計図と言われるDNA。そこに記されている遺伝情報は、私たちの身体を形づくる一つの情報だ。身体的な特徴、生活の影響でかかりやすい糖尿病などの病気はもちろんのこと、お酒に対する強さや甘味の嗜好性などの体質にも遺伝情報が関わっているという。

「1990年に始まったヒトゲノム計画※では、2003年に解読を終了するまでに約100億円もの巨費が投じられました。その後、解読技術の進歩に加え、得られた遺伝子データを解析するためのコンピュータ技術の急速な発展を受けて、今や10万円程で一人分のDNAをすべて解読し解析できるようになっています。特定の遺伝子に限れば、1万円ほどで解読できるようになり、アメリカでは2006年頃から一般向けの遺伝子解読サービスが普及してきました。当時学生だった私は、研究の成果を社会に還元するとともに、サービスを提供することでデータを蓄積していく、というサイクルを回すことが可能なのではないかと考えました」

※ヒトゲノム計画:ヒトの全ての塩基配列情報を明らかにすることを目指した計画のこと。ゲノムとは、生物のもつ遺伝子(遺伝情報)の全体を指す言葉。

過去15年でゲノム解読の値段は10分の1になった。2001年には1億ドル(約100億円)だったのが、2007年頃から低価格の解読装置が登場し費用が下落。2015年には1000ドル(約10万円)になった。
過去15年でゲノム解読の値段は10分の1になった。2001年には1億ドル(約100億円)だったのが、2007年頃から低価格の解読装置が登場し費用が下落。2015年には1000ドル(約10万円)になった。

遺伝子を解読し、自身の身体の特徴や可能性を知ることで、より良い生活を送ることができるのではないか。当時農学部の学生だった高橋さんは、漠然と思いを巡らせていた。

「農学というと、農業のための研究をしていると思われがちですが、意外に研究範囲は広いです。私は生命活動に関わる遺伝子やタンパク質を対象とした分子生物学の研究に取り組み、糖尿病などの生活習慣病と遺伝子の関係を研究することで得られた成果を、社会に還元したいと考え、会社を設立しました」

世界中で遺伝子に関する研究が進められたことで、DNAのどの部分がどのような病気に関わるかの解明が進んだ。その現状から、高橋さんは今後の医療や健康には、遺伝子情報が重要になってくると予感していた。しかし、いくら遺伝子の謎が解き明かされようと、その役割を担う企業・機関がなければ、研究成果を社会に還元することは難しい。

高橋さんは、東京大学大学院農学研究科の大学院生の時に、研究室の仲間と、日本で初の一般向け遺伝子解析サービスを提供する会社「ジーンクエスト」を設立した。

自身の体質を知り、健康づくりに役立てる

遺伝子解析サービスの利用者は、購入したキットを使って唾液を採取して同社に送り返すだけで、前立腺がん、糖尿病、肥満、喘息、脱毛症などの疾患リスク、先祖がどの大陸から来たのかなど、約300の項目で自身の遺伝子を調べてもらえる。

お酒の強さは遺伝子で決まる

私たちは、生きていくために必要なタンパク質を自身の体の中でつくる。このタンパク質をつくるための情報は DNA の塩基配列に記録されている。私たちの身体の特徴もその塩基配列で決まりうる。DNAが生命の設計図なら、塩基はその設計図を書くための文字のような情報だ。約30億個の塩基の並びの内、たった1つ違っただけでも、タンパク質の働き方が変わってしまうこともある。

※資料提供:株式会社ジーンクエスト
※資料提供:株式会社ジーンクエスト

例えば、お酒に強いかどうかは、アルコールの代謝に関わる酵素の特徴によって決まる。遺伝子解析で自身のアルコールの代謝能力を知り、適度な飲酒量を把握することができる。

「アルコールの代謝は詳しく調べられていますから、酵素の遺伝子にどのような変異があると、代謝能力が低下しやすいかが明らかになっています」(高橋さん)

酵素とはタンパク質からできている分子で、さまざまな種類のうち、アルコールを分解するための消化酵素は肝臓だけに存在する。この酵素をどの程度持っているかは、DNAの塩基配列の違いで判別することができる。

DNAは四種類の塩基「ATCG」の複数の組み合わせで成り立っている。Aは「アデニン」、Tは「チミン」、Cは「シトシン」、Gは「グアニン」という。お酒に強い人は「G」を、お酒に弱い人は「A」を持っている。 人間はお酒を飲んだ時に発生する有害物質アセトアルデヒドを分解することで悪酔いしにくい体質になるが、「A」を持つ人は、お酒を飲むとアセトアルデヒドが分解されにくくなり、悪酔いしやすくなる。
DNAは四種類の塩基「ATCG」の複数の組み合わせで成り立っている。Aは「アデニン」、Tは「チミン」、Cは「シトシン」、Gは「グアニン」という。お酒に強い人は「G」を、お酒に弱い人は「A」を持っている。
人間はお酒を飲んだ時に発生する有害物質アセトアルデヒドを分解することで悪酔いしにくい体質になるが、「A」を持つ人は、お酒を飲むとアセトアルデヒドが分解されにくくなり、悪酔いしやすくなる。

「ただし、遺伝子の中には、まだ分子レベルのメカニズムでは明らかになっていないものもあり、アルコールの代謝のように明らかなものと比べ、その信頼性には差異があります。ですから、解析サービスを受けられた利用者には、項目それぞれがどの程度の信頼性の下で解析されているのかもお知らせしています」

しかし、信頼性の度合いを伝えることは難しい。そこで、解析項目ごとに信頼性を★印で表示するなどし、遺伝子に関する専門知識がなくても分かるように、遺伝子解析情報と病気の関連の示し方も工夫している。

解析項目ごとに信頼性を★印で表示するなどし、遺伝子に関する専門知識がなくても分かるように、遺伝子解析情報と病気の関連の示し方を工夫している。 ※資料提供:株式会社ジーンクエスト
解析項目ごとに信頼性を★印で表示するなどし、遺伝子に関する専門知識がなくても分かるように、遺伝子解析情報と病気の関連の示し方を工夫している。 ※資料提供:株式会社ジーンクエスト

遺伝子と発病の関連性について、現時点では明らかではなく、統計などをもとに解析をしている項目もある。また、遺伝子の研究は日進月歩で進んでいるため、それをいち早く一般の人たちに伝えることも大事なことだ。ジーンクエスト社では遺伝子研究の成果をウォッチし続けており、解析項目に関わる新たな研究が発表されると、利用者に提供する情報をバージョンアップさせている。

現在、遺伝子解析サービスを展開する会社は複数社存在するが、最新の研究成果を把握して、無償で解析結果に反映させている会社はジーンクエスト社のみだという。

「私にとってのハッピーな未来」

遺伝子の研究成果を社会に還元し、遺伝子解析サービスを通じて集められた遺伝子データを活用して新たな研究を実施する。この事業を通じて高橋さんはどのような未来社会を思い描いているのだろうか。

「人間は生物としての野性的な“感情”と理性的な“情報”の両方を合わせて、自分の行動を決めています。そのため、時には感情に流された科学的な根拠の希薄な健康情報に惑わされることもあり、『花粉症は気合いで治す』みたいな話をする人もいます。だからこそ、私たちが提供する遺伝子解析サービスによって得られる情報が、『自身の身体をどうしていきたいか』ということを含めて、自身の未来を決めていく際の判断を助けるツールになれればと考えています」

あくまでも、遺伝子解析サービスは一つのツールに過ぎないという高橋さん。これまでの人類が体験してこなかった取捨選択を迫られる場面も増えてくるかもしれない未来。私たちは遺伝子情報にどのように向き合っていくべきなのだろうか。

「遺伝子情報を知ることで、病気のリスクを知って健康を保つこともできれば、差別につながるような使い方もできてしまいます。インターネットでも何でもそうなのですが、人をハッピーにすることができる反面、犯罪に使うこともできてしまう。遺伝子解析はまだこれからという段階ですので、良い未来に向かって使われるテクノロジーになっていくことが、私にとってのハッピーな未来です」

共通言語によるキャッチボールが重要

しかし、ハッピーな未来を実現するためには、研究者などのアカデミックな人々と、一般の人々、それぞれが寄り添い合うためのアクションが必要だという。高橋さん自身、積極的にマスコミの取材に応じているほか、自らビジネスパーソン向けのオンラインサロンを開設して、遺伝子解析に関する正しい情報の発信にも取り組んでいる。それだけに、その難しさも経験から実感しているという。

「普段、研究者が自身の成果を発表する学会では、相手も専門用語を理解する同業の研究者ですから、研究内容を伝えるのは決して難しいことではありません。しかし、一般の方々が対象だと、お互いに“共通言語”を持たないため、的確に理解してもらうのは難しいです。これからの時代、研究者は常に社会に寄り添い、一般の方々に伝えるための術を持たないといけないでしょう」

ジーンクエスト社の設立当初、日本で初めてインターネットを通じた遺伝子解析サービスを開始するということもあって、さまざまな意見が寄せられたという。しかし、その多くは遺伝子解析のことはもちろん「遺伝子」とは何かをよく知らない人々からの意見だった。遺伝子解析をはじめ、さまざまな科学技術が社会を変えられる時代だ。

だからこそ、研究者が積極的に科学技術を分かりやすく伝えることが求められる。一般の人々にも分かるような言葉、高橋さんがいう“共通言語”によるキャッチボール、それが実現すれば正しい知識が広まり、未知の技術に対する恐れ、言葉や仕組みを知らないことによるすれ違いが減り、研究の成果が還元され、科学技術が社会に浸透していく助けになるに違いない。

若さはそれだけで価値がある。
“経験のないことが武器になる”場面も

自ら遺伝子の研究に取り組み、それを社会に還元するために起業し、その普及に取り組んでいる高橋さんに、高校生をはじめとした若い人たちへのメッセージをお願いすると、こう語ってくれた。

「私の場合は起業する際、何の実績もないただの学生だったため、たとえ失敗しても元の学生に戻るだけ、という背景がありました。社会的に地位のある人ほど失敗した時のダメージが大きいと思います。新しいビジネスを立ち上げるなど、何が起こるか分からない世界では、“経験のないことが武器になる”という場合もあるのです。若い人たちには、これからいろんなことにチャレンジできる時間がたくさんあるわけですから、生きているだけで価値があると言ってもいい。ただ、意志のない楽観は良くないと考えています。次の世代を生きる若い人たちには、どういう社会を創っていきたいかという主体的な意志を持って行動していってほしいなと思います」

高橋さん自身、大学院での研究活動を通じて得た遺伝子研究の成果を社会に還元しようと、ビジネス経験がない中でジーンクエスト社を設立した。高橋さんのように積極的に行動し、自身の考えを実現していくことで、それぞれが思い描く未来社会に少しでも近づいていけるのではないだろうか。

高橋祥子(たかはし・しょうこ)
株式会社ジーンクエスト代表取締役 / 株式会社ユーグレナ 執行役員

1988年生まれ。京都大学農学部卒業。
2013年6月、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中に株式会社ジーンクエストを起業。
2015年3月に博士課程修了、博士号を取得。個人向けに疾患リスクや体質などに関する遺伝子情報を伝えるゲノム解析サービスを行う。
2018年4月株式会社ユーグレナ 執行役員バイオインフォマテクス事業担当就任。
著書に「ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?-生命科学のテクノロジーによって生まれうる未来-」がある。

<受賞歴>
経済産業省「第二回日本ベンチャー大賞」経済産業大臣賞(女性起業家賞)受賞
第10回「日本バイオベンチャー大賞」日本ベンチャー学会賞受賞
世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ2018」に選出など。

ページトップへ