歴史的・芸術的価値が高い「文化財」の中には劣化や破損から守るために非公開のものもある。
このように、傷つき失われるおそれもある文化財を再現し、制作当時に甦らせる「クローン文化財」が生まれた。
「保存」と「公開」という矛盾
文化財は、過去から現在へ受け継がれた人類の遺産である。その中には、数百年、あるいは千年以上前につくられたものもあり、自然環境による風化、災害や紛争による破損など、劣化や損失のおそれがあるものも少なくない。
こうした文化財を守るため、最も効果的な方法とはなにか。それは非公開で厳重に「保存」することだ。しかし、そうなると鑑賞は難しくなり、多くの人がその文化的、美術的価値を共有できなくなってしまう。このように文化財には「保存」が必要な一方で、「公開」が求められるという矛盾がある。この問題を解決する方法として文化財の複製技術が開発され、「クローン文化財」が誕生した。
文化財の遺伝子を受け継ぐ
デジタル技術と人の手による伝統技術を融合し、現代に甦らせたクローン文化財は、オリジナルを保存して劣化を防ぎ、それでいて公開によって多くの人が作品を鑑賞できるようになる。
クローン文化財という名称は、東京藝術大学COI(Center of Innovation)拠点で複製プロジェクトに携わる宮廻正明さんが名付けたもので、春になると一斉に花開くソメイヨシノに発想を得たという。桜といえばソメイヨシノが世界的に知られるが、ソメイヨシノは全てが同じ遺伝子を持つクローンであるといわれている。そのため、接ぎ木で増やすのが一般的だ。
しかし、クローンだとしても、人々がソメイヨシノを美しいと感じる気持ちに変わりはない。クローン文化財にはソメイヨシノのように、文化財が持つ歴史的背景や芸術性などの遺伝子が受け継がれ、どの時代でも多くの人に愛されるようにとの願いが込められている。
門外不出の国宝を世界へ
東京藝術大学COI拠点がクローン文化財として再現したもののひとつに法隆寺釈迦三尊像がある。法隆寺には現存する世界最古の木造建築群である西院伽藍があり、日本初の世界遺産にも登録されている。飛鳥時代につくられた釈迦三尊像は、その中心に建つ金堂に安置される門外不出の国宝で、日本仏教彫刻史における最高傑作と称されている。
複製プロジェクトは、日本の至宝ともいえる釈迦三尊像を再現し、それがクローン文化財となり、いつか世界へと旅立つことを願ってスタートした。
飛鳥時代の釈迦三尊像に迫る
釈迦三尊像の再現においては、東京藝術大学が有する最先端のデジタル技術と、芸術家の感性を生かしたアナログ技術をもとに、富山県高岡市の伝統的鋳物技術と、南砺市井波の彫刻技術をハイブリッドに駆使して進められた。
プロジェクトでは、釈迦三尊像を同じ素材、同じ質感で再現するのみならず、中尊(中央の像)の欠落した螺髪(仏像の丸まった髪)、仏像背面の大きな大光背周縁にあったとされる飛天を復元し、美術史の研究を踏まえて左右の脇侍を入れ替えて制作。制作年代当時の姿に迫る再現を模索した。
クローン文化財は、国宝を身近な存在にもする。金網越しに正面からしか見られないオリジナルとは異なり、クローンならば2mの距離から、背面の銘までしっかり見ることができる。
オリジナルを超越する日本の伝統文化
そもそもオリジナルの釈迦三尊像は国宝であるため、欠損部を付け足したり脇侍を正しい位置に戻すなど、手を加えることは難しい。その点、クローン文化財は容易に修正を加えることが可能なので、制作当時の本来の姿を再現できる利点がある。
さらに、宮廻さんはつくられた当初の状態まで戻し、クローン文化財よりもオリジナルに近い「スーパークローン文化財」を目指す。釈迦三尊像でいえば、復元したクローン像を原型として3D計測し、経年変化による付着物を除いた一段とシャープな像を再現するという。そうすることで時代を遡り、現存するオリジナルを超越する。そこにこそ、日本文化の原点があると宮廻さんは語る。
「文化はヨーロッパからシルクロードを通り、村から村へ、その土地の文化が混ざり合いながら伝わりました。日本はそれを受け入れて模倣し、さらに優れた文化をつくりあげました。模倣からスタートして、それを自国の文化につくりかえ、オリジナルを超えてみせる。日本製の車や時計が優れているのもそのためです。超越こそが日本の文化であり、クローン文化財もそのひとつといえます」
最終的には当時と同じアマルガムメッキを施し、黄金色に輝く釈迦三尊像に仕上げたいという。時空を超えて甦る神々しい像を前に、飛鳥人が抱いた畏怖の念をも体感できるに違いない。
釈迦三尊像の制作プロセス ~3Dデータから鋳造まで~
進化したデジタル技術が不可能を可能に
釈迦三尊像をデジタルで解き明かす
宮廻さんらは釈迦三尊像の再現で、最初に金堂内へデジタル機材を持ち込み、3D計測、蛍光X線分析、高精細写真の撮影などを行った。金堂内には他にも国宝や重要文化財があるため、大きな機材は持ち込めない。しかも、一度では全体を撮影できないため、小型の機材を用いてさまざまな角度から撮影が行われた。
重なった部分や壁に近い像の後ろ側は、機材が入り込めず撮影できないため、データの不足部分については彫刻家が形状を推測しパソコン上で像を成形。そのデータをもとに3Dプリンターによって樹脂製の原型(樹脂型)を作成した。その後、樹脂型からつくったロウ型をもとに鋳型がつくられた。
デジタル技術により広がる可能性
デジタル技術によりクローン文化財という新たな価値を持つ作品を作り出したが、そこには芸術家としての感性や伝統技術が欠かせない。
「デジタル技術と芸術が一体化することで新たな可能性が生まれました。たとえば、洞窟など曲面に描かれた絵の写真からコンピューターで立体を再現しましたが、どうしてもズレやゆがみが生じてしまう。それを修正できるのが芸術家の感性であり手技の力なのです。テロで破壊されたバーミヤン東大仏仏龕天井壁画(アフガニスタン)も同様に復元しました。デジタルとアナログ、科学と芸術が融合することで、不可能が可能となったのです」(宮廻さん)
さらに、東京藝術大学特任教授の伊東順二さんのコーディネートにより、富山県高岡市や南砺市井波の職人による伝統技術との連携が実現した。
「藝大には芸術に関するあらゆる技術が集まっていますが、その土地や技術にまつわる背景を持ちません。古くからの技術を受け継ぐ職人たちと一緒になってつくることで、工芸産業により立国した1300年前と同じ"ストーリー"が生まれました」(伊東さん)
宮廻正明(みやさこ・まさあき)
日本画家。東京藝術大学名誉教授。東京藝術大学発ベンチャー 株式会社IKI代表取締役社長CEO。平成30年度文部科学大臣表彰「科学技術賞(科学技術振興部門)」を受賞。東京藝術大学COI拠点にて「クローン文化財」プロジェクトに携わる。
400年の伝統技術で飛鳥の至宝が甦る
鋳物職人の技を集結
高岡銅器の歴史は400年以上前に遡る。鉄器にはじまり、江戸中期からは銅を使った美術・工芸で広く知られ、優れた鋳造技術の伝統を今に受け継ぐ。銅器の制作は分業体制で成り立っていて、原型づくりから鋳造、仕上げ、彫金、研磨、着色など、それぞれの工程で職人が専門技術を磨いてきた。
鋳造ひとつとってもさまざまな技法があり、伝統工芸高岡銅器振興協同組合には約200の事業所が加盟している。通常は事業所ごとにそれぞれ仕事を行うが、今回は5つの事業所が協働し、関わった職人の数は100を超える。それぞれの職人が得意とする専門技術を合わせ、この大事業に挑んだのだ。
3Dプリンターによる原型の課題
高岡銅器にとっては、国宝はもちろん、3Dプリンターの原型から何かをつくるのも初の試みだったという。新たな挑戦で見えた課題について、理事長の梶原壽治さんは次のように語った。
「特別許可を得て釈迦三尊像を間近に見る機会を得ましたが、確認したかったのは『鋳肌』と呼ばれる像表面の質感でした。原型と同じものをそのまま銅器に置き換えるのが鋳造の仕事です。原型をみると3Dプリンター出力時にできる層状の積層痕があり、オリジナルにない痕が鋳肌に残るのが気掛かりだったのです。最終的には職人の手できれいに仕上げることができ、高岡銅器の仕事として誇りになりました」
デジタルとアナログの融合により復元された世界のクローン文化財
東京藝術大学COI拠点
産学官連携により「感動」を創造する
東京藝術大学COI拠点は、芸術と科学技術の異分野融合、そして教育・医療・福祉産業との連携を目的とした産学官連携の枠組み。文部科学省及び科学技術振興機構(JST)の「革新的イノベーション創出プログラム(COI)」で採択され、東京藝術大学を中核機関として発足した。
同拠点は、クローン文化財や共感覚メディアを研究対象とする「文化を育む」イノベーション、ロボットパフォーミングアーツの教育・福祉活用と障害者から芸術に触れる感動を学ぶ「心を育む」イノベーションを柱に取り組む。さらに、産学官連携で生まれたコンテンツを、「絆を育む」文化外交とアートビジネスで国内外に展開することで、誰もが芸術を楽しめる社会インフラをつくり、文化により豊かになる国を目指す。