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“大地”の価値を見つめ直す ジオパーク活動で地域に貢献

2018.10.17

秋田県と山形県の県境にそびえる鳥海山と日本海に浮かぶ飛島。このエリアは2016年に「鳥海山・飛島ジオパーク」として認定された。その背景には、「鳥海山・飛島の価値を見直して、地域を元気にしたい」という地域の人々の思いがあった。

山と海の恩恵を受けて発展した地域

 秋田県と山形県の境に位置する鳥海山。日本海から標高2,236mの山頂までのびるなだらかな稜線を持つこの山は、「出羽富士」とも呼ばれ、古くからこの地域のシンボルとして親しまれてきた。

 鳥海山に降る雨や雪は地下に浸透し、長い年月をかけて川となり海へ流れ出る。麓の平野では、この山からの豊かな水を利用し、米などの農作物の栽培が盛んだ。また、海に運ばれた山の栄養分が良質な漁場をつくり、この地域に豊かな海の幸をもたらしている。

 そして、鳥海山の麓から西の日本海に浮かぶ3km2の小さな離島「飛島」は、古くから、この海の恵みを生かし漁業で栄えてきた。現在も約200人が暮らす、秋田・山形県で唯一の有人島である。

地域の活性化を目指して

 豊かな自然の恵みを受けて発展してきたこの地域だが、日本の地方都市に共通する課題ともいえる、人口減少や高齢化による産業の担い手不足などに直面している。

 秋田県にかほ市は、この地域に新しい価値を見いだし、活性化していく取り組みとして、すでに同県で3地域が認定を受けていた「ジオパーク」に注目。秋田県由利本荘市、山形県遊佐町および酒田市に相談し、県をまたいだ3市1町が連携して2016年に日本ジオパークとしての認定を受けた。

 「ジオパークとは、『ジオ(地球・大地)』と『パーク(公園)』を合わせた造語です。地層や火山などを見て地球の成り立ちに気づき、そこに生きる動植物や人々の暮らしをつなげて考える場です」と、認定に向けて尽力した一人、鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会の岸本誠司さんは説明する。

ジオパークの考え方と仕組み

 ジオパークの考え方は2000年頃にヨーロッパで生まれた。「ジオパークには、3つの活動の柱があります」と岸本さんは話す。「1つ目は地層・岩石・地形・火山・断層などの地球の成り立ちを知る手がかりとなる資源(ジオサイト)を『保護・保全』すること。2つ目は『教育』。その地域の成り立ちが動植物や生態系とどんな関係があるのか、そこに暮らす人間の歴史・伝統・文化にどんな影響を与えてきたのかを、伝えていく活動です。そして3つ目が『持続可能な地域づくり』です。具体的な活動の一つに、地域の人や観光客に向けた『ジオツーリズム』があります。研修を受けたジオガイドが地層や特徴的な地形などを案内し、その魅力を伝えます」

 ジオパークには、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が推進するプログラムで認定する「ユネスコ世界ジオパーク」と、「日本ジオパークネットワーク」が認定する国内版の「日本ジオパーク」がある。どちらのジオパークも、認定を受けて「ジオパーク」を名乗れば終わりという活動ではない。多くの人がその地域を訪れ、地球の営みや自然と人のつながりについて考え、「守りたい」、「また来たい」と感じてもらえるような活動を継続していくことが肝心なのだという。日本ジオパークでは、4年に1度の再認定審査があり、基準を満たさなければ認定を取り消されることもある。「従って、常に地域の価値を高めていくための工夫を続けていく必要があります」(岸本さん)

3市1町の連携によるジオパークの誕生

 鳥海山・飛島ジオパークは、構想から約2年で認定された。近年では最速だという。

 にかほ市の発案に由利本荘市、遊佐町、酒田市が応じ、準備会が立ち上がったのは2014年。2015年3月には「鳥海山・飛島ジオパーク構想推進協議会」へと発展し、3市1町の基礎自治体と商工会などの関係団体を中心に体制を構築。また、地質、観光、地域づくり、生態系などの専門家をアドバイザーとして迎えたほか、地域の研究教育機関に属する研究者たちによるサポート体制を整えた。「県をまたいだ複数の自治体がかかわる鳥海山・飛島エリアですが、意見の食い違いなどはなく、さまざまな取り決めがスムーズに進みました」と岸本さんは振り返る。

関係者の認識を統一し、戦略的に取り組む

 日本ジオパークネットワークに加盟する地域同士は、さまざまな情報を共有し、連携し合いながら活動する。「私たちは認定を目指すにあたって、ネットワークの中でジオパークの考え方を理解し、他の地域の経験から多くの学びを得ました。その中で、早い段階から自分たちのエリアの特徴や魅力を明確化しておくことが大切だと考えたのです」と岸本さんが話すとおり、協議会発足時には「日本海と大地がつくる水と命の循環」というメインテーマが決定した。

 2015年6月には、ジオガイド養成講座を開講。ジオパーク活動のポイントはジオツーリズムであるとの理解から、早い時期よりその担い手の育成に力を入れて取り組んだ。

法体の滝/由利本荘市
法体の滝/由利本荘市
玉簾の滝/酒田市
玉簾の滝/酒田市
勝浦港/飛島
画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会
勝浦港/飛島
画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会

景色を見て、地球の営みを知る

 遊佐町にある釜磯海水浴場。夏は海水浴客でにぎわうこの砂浜のあちこちでは、ぽこぽこと水がわき出す様子が見られる。これは海水ではない。この地域は鳥海山から流れ出た溶岩でできており、鳥海山の溶岩の層を長い年月をかけて通ってきた地下水がわき出しているのだ。さらに沖でも海底から湧水が出ており、山の栄養分が海へと運ばれ、豊かな海洋資源を生み出している。

 ぽこぽこと出る湧水も、海水浴や観光であれば「珍しい光景だな」と感じるだけかもしれないが、その成り立ちを知ると、鳥海山の溶岩が水を溜め込みやすいこと、流れ出た溶岩の上で人々が生きていることやその恩恵を受けていることが理解できる。

 ジオパークにはこうした場所がたくさんあり、ジオツーリズムなどによって訪れる人にこうした体験を提供している。

元滝伏流水/にかほ市
元滝伏流水/にかほ市
釜磯の湧水/遊佐町
釜磯の湧水/遊佐町

ジオパーク活動を支えるジオガイド

 鳥海山・飛島ジオパークの活動の中で、最も力を入れているジオツーリズム。その案内人であるジオガイドの役割は大きい。2015年から開催しているジオガイド養成講座を経て認定されたジオガイドは現在50名ほど。山岳ガイドや教員、会社員、主婦など多様な経歴の持ち主がそろう。

 ジオガイドは、それぞれの経歴を生かしながら、この地形はどうやってできたのか、ここにはなぜこの生き物が生息しているのかなど、専門的な内容を分かりやすく伝える工夫を凝らしている。参加した地域の子どもたちにとって、身近な自然を地球科学の観点からあらためて見つめる直すきっかけになっているという。

ジオガイド養成講座の様子
ジオガイド養成講座の様子
出前授業の様子
出前授業の様子
海岸清掃活動の様子
画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会
海岸清掃活動の様子
画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会

ジオパークは新しいつながりをつくる

 鳥海山・飛島ジオパークでは、準備段階からアクションコピー「Touch! ふれる・楽しむ・好きになる」を掲げている。「実際にジオサイトを訪れ、五感を通して地球を感じながら、楽しく自然と人のつながりについて学ぶことができれば、おのずと地域を好きになってくれるはずだと考えています。地域のファンが増えれば、その中から、再びこの地域を訪れる人や、活動にかかわる人が生まれてにぎやかになっていくでしょう。また、人が動くことで地域経済の活性化も期待できます」(岸本さん)

 さらに岸本さんは続ける。「私は、ジオパークは『新しいつながり』をつくる活動だと考えています。かつて、人の生活は大地や自然とともにありましたが、現在は人の暮らし方が変わりました。ジオパークによって人の自然に対する見方が変われば、新しいつきあい方ができるのではないでしょうか。また活動は、ジオツーリズムなどに集う人同士で新たな交流が生まれるなど、人と人とをつなげるものでもあります。そのつながりの中で、応援してくれる人や参加してくれる人が増えていけば、この地域はもっと元気になっていくでしょう」

 ジオパーク認定により、そこにある自然が地球科学の観点から価値のあるものとして見直された鳥海山・飛島エリア。「これからも地道にジオパーク活動に取り組み、より魅力的なジオパークへ高めていくことで、鳥海山・飛島エリア全体の地域づくりに貢献していきたいですね」(岸本さん)

岸本誠司さん(きしもと・せいじ)
鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会・主任研究員。兵庫県出身。専門は環境民俗学。2005年、東北芸術工科大学東北文化研究センターに赴任。環境民俗学の視点から飛島の文化継承活動を続け、2015年より現職。
岸本誠司さん(きしもと・せいじ)
鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会・主任研究員。兵庫県出身。専門は環境民俗学。2005年、東北芸術工科大学東北文化研究センターに赴任。環境民俗学の視点から飛島の文化継承活動を続け、2015年より現職。

地学から学ぶ「鳥海山・飛島エリアはどんなところ?」

 鳥海山・飛島ジオパークのアドバイザーを務める林信太郎さんに、火山地質学から見た鳥海山と飛島の特徴を聞いた。

林信太郎さん(はやし・しんたろう)
秋田大学教育文化学部教授。専門は火山地質学。北海道大学理学部卒業。30年以上にわたり鳥海山をメインの研究テーマとする。
(画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会)
林信太郎さん(はやし・しんたろう)
秋田大学教育文化学部教授。専門は火山地質学。北海道大学理学部卒業。30年以上にわたり鳥海山をメインの研究テーマとする。
(画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会)

鳥海山

山の始まりは約60万年前

 鳥海山は今から約60万年前に火山活動を始めた、比較的若い山です。噴火を繰り返し、大量の溶岩を噴出することで、きれいな円錐形の山になりました。約40万年前には、すでに標高2,000mほどに成長していたと考えられます。約60万年前から16万年前まで続いた火山活動は「ステージI」と区分けされ、現在の鳥海山の約3分の2の体積はこの時期に噴出した溶岩です。

崩壊と成長の繰り返し

 火山の地層は、砕けた溶岩や火山灰、軽石などが積み重なってできています。このような地層はもろい部分が多く、地震や水蒸気噴火、地下にマグマが入り込むことなどによって、山の一部が崩れ落ちる「山体崩壊」が起こります。鳥海山は、約60万年間の歴史の中で幾度となく山体崩壊を繰り返し、特徴的な東西二つのカルデラ(火山活動によってできた窪地)が生まれました。崩壊と成長を繰り返しながら、長い時間をかけて変化に富んだ鳥海山の形がつくられていったのです。

水の恵みをもたらす山

 鳥海山をはじめ東北地方の日本海沿岸は積雪の多い地域として知られています。大陸から吹く寒冷で乾燥した季節風が日本海を渡る際、南からの暖かい海流がもたらす水蒸気を含んだ空気が鳥海山とぶつかることで、この地域に大量の雪を降らせるのです。鳥海山の溶岩の層はすき間だらけのため水を溜め込みやすく、これが長い時間をかけて地下に浸透して湧水や川になり、やがて海に流れ出ます。こうした水の循環が、さまざまな動植物の生きる環境を整え、人間の命を育んできました。鳥海山は、火の山であると同時に水の山でもあるのです。

山体崩壊でできた流山(九十九島/にかほ市) (画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会)
山体崩壊でできた流山(九十九島/にかほ市) (画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会)

飛島 海から生まれた島

 飛島は、1,500万年ほど前に海底火山から噴出した火山灰や岩石が積み重なり、それが地殻変動によって隆起してできた島です。島全体が平らなのは、波の働きで削られたから。大地の隆起と海水による浸食、海面の上昇や下降が繰り返されることで独特な「海成段丘(階段状の地形)」ができあがりました。島には火山に由来する岩や礫などが多く見られます。

飛島の全景
飛島の全景
海成段丘(ゴトロ浜周辺/飛島)
画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会
海成段丘(ゴトロ浜周辺/飛島)
画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会

鳥海山・飛島ジオパークと暮らす

 鳥海山・飛島ジオパークが認定され、地域の人々の暮らしにはどのような変化があったのだろう。
鳥海山・飛島エリアで暮らす2名の活動家に話を聞いた。

五十嵐和一さん(鳥海山・飛島ジオパークガイド)

五十嵐和一さん (いがらし・かずひと)
鳥海山・飛島ジオパークジオガイド。小学校で理科を教えていた経験を生かし、小中学校や自治会などでの出前授業も行う。 (画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会)
五十嵐和一さん (いがらし・かずひと)
鳥海山・飛島ジオパークジオガイド。小学校で理科を教えていた経験を生かし、小中学校や自治会などでの出前授業も行う。 (画像提供/鳥海山・飛島ジオパーク推進協議会)

 私はジオガイドとして、鳥海山・飛島ジオパークを訪れた人々に、ジオサイトを案内しながら、その成り立ちや動植物・人間とのかかわりなどを説明しています。内容によっては、言葉だけで伝えることが難しいため、模型や化石など目に見えるものを準備したり、滝の高さを「おおよそ国会議事堂くらいの高さ」とたとえてみるなどの工夫をしています。また、安全第一のため、コースの下見や救急用品などの準備は徹底しています。

 小学校で教えていた頃に、職場の先輩から鳥海山や飛島のことを教わったこともあり、その面白さや素晴らしさを地域の子どもたちに伝えたいと思い、ジオガイドを目指しました。ジオパークとなってから約2年がたちますが、初めは「ジオパークって何?」と思われていた地域の人々にも、「ジオパークって面白そう」と思ってもらえるようになったと感じています。さらに「自分たちが見ているこの風景は、長い間の地球の営みによるもので、その恵みでおいしい食べ物がとれる素晴らしい場所に住んでいるんだ」という誇りを持ってもらえるよう、活動を続けていきたいと思っています。

幅広い年代の参加者に説明するため、小学校高学年に伝わる言葉遣いを心がけている。
砂浜の砂を実物で見せながら説明するなど、五感を使って理解してもらえる工夫をしている。
画像提供/五十嵐和一
砂浜の砂を実物で見せながら説明するなど、五感を使って理解してもらえる工夫をしている。
画像提供/五十嵐和一

松本友哉さん(合同会社とびしま副代表)

松本友哉さん(まつもと・ともや)
合同会社とびしま副代表。2012年4月より飛島で暮らし、2013年3月に合同会社とびしまを設立。事業の統括・企画・デザインなどに携わる。 (画像提供/合同会社とびしま)
松本友哉さん(まつもと・ともや)
合同会社とびしま副代表。2012年4月より飛島で暮らし、2013年3月に合同会社とびしまを設立。事業の統括・企画・デザインなどに携わる。 (画像提供/合同会社とびしま)

 合同会社とびしまは、高齢化の進む飛島の産業の担い手となるべく、漁業の手伝いから食品加工、カフェや土産物店の運営などを総合的に手がけ、6次産業化を目指しています。さらに、独自の概念として「第0次産業」を掲げ、産業になる前の「風景の保存・伝承」に取り組んでいます。その一つとして、島の暮らしを写真や聞き書きで記録して展示する活動などを行なっています。今は20代〜30代の社員10名の小さな会社ですが、島の人口が今の200人から100人になると予想される20年後までに、100人の仲間を増やすことを目標としています。

 大学でデザインを学んだ私は、地域で活躍するデザイナーを目指し、2012年に飛島へ移住しました。1年後、同じ世代で帰郷・移住した3人と会社を設立し、今に至ります。島の特産品のパッケージデザインなどを手がけてきましたが、島の暮らしの中で、大切なのは外側の装飾ではなく中身の質ではないかと考え方が変わりました。飛島には誇るべき産業や風景がたくさんあります。鳥海山・飛島ジオパークの認定は、その魅力を新しい視点で気づかせてくれるきっかけとなりました。

※6次産業:生産(1次産業)、加工(2次産業)、流通・販売(3次産業)まで総合的に取り組み、地域資源の新たな活用を目指すこと

会社の1階スペースにある「地域資料館」。島で撮影した写真などを展示している。
会社の1階スペースにある「地域資料館」。島で撮影した写真などを展示している。
運営するカフェスペース「しまかへ」。観光客に地域食材を使った料理を提供している。
画像提供/合同会社とびしま
運営するカフェスペース「しまかへ」。観光客に地域食材を使った料理を提供している。
画像提供/合同会社とびしま

動画:サイエンスウィンドウ ザ ムービー 2018年秋号

岸本誠司さんのインタビューの様子を動画で視聴できます。(MP4形式 41MB 5分14秒)

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