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その場で上達する学習、後で身につく学習…脳では全く別過程 東北大など

2023.07.20

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 何かをトレーニングする時、“その場”ですぐ上達する学習と、後の休憩や翌日などにかけて“じわじわ”身につく学習があるという。これらはそれぞれ脳の細胞の働き方が違い、互いに関連しない別の過程であることがマウスの実験で分かった。東北大学などの研究グループが発表した。脳のグリア細胞から特定の物質が出ないようにすると“その場学習”ができなくなる一方、“じわじわ学習”は成立した。グリア細胞の理解をさらに深めれば、私たちのさまざまな学習やリハビリなどの効果アップ法につながる可能性があるのだとか。

後から「できた!」体験

トレーニングいろいろ。物事を身につけるため、脳で何が起こっている?
トレーニングいろいろ。物事を身につけるため、脳で何が起こっている?

 いきなり筆者の体験談になってしまうが、大人になってから水泳を習った時、平泳ぎの手と足の動きのタイミングがなかなかうまく取れなかった。インストラクターの言う意図は分かるものの体に反映できず、もどかしく…。ところが次にプールに来て泳いでみたとき、「ああ、こういう感じ!」というひらめきとともにできた…ということがあった。これが果たして今回の話の実例だったのかは分からないが、似た経験をされた方もいるのではないか。

 研究者たちはこれまで、トレーニングでその場学習の出来が良いほど、それを引き継ぎ、後のじわじわ学習もよくなると考えてきたという。ただ、私たちの経験上は、その場で実感できなくても後で上達している場合や、逆に、その場でうまくできたはずなのに、翌日に実感できないことがある。そこで東北大学大学院生命科学研究科の松井広教授(脳生理学)らの研究グループは、この2種類の学習が、互いに違う記憶形成過程による可能性があるとみてマウスによる実験に挑んだ。

 今回の実験に当たっては特にグリア細胞に着目した。グリア細胞は脳内の神経細胞以外の細胞。神経細胞と違い電気信号を出さないため、情報処理に関わらないと考えられてきた。一方、松井教授らはグリア細胞が神経細胞とは違う形で情報処理や記憶に関わっていることをひも解いてきた。

 なお、研究者の間では、その場学習を即時性があるというニュアンスから「オンライン学習」と呼び、その後のじわじわ学習を「オフライン学習」と呼ぶという。ただ、字面が似て直観的に区別しにくいことなどから、この記事では仮に、その場学習、じわじわ学習と言い換えることにしたい。

学習実験、マウスにも個性いろいろ

 実験ではまず、マウスの目の動きを利用した。動物には動く物を自然に目で追う習性がある。マウスの目の前で縦縞模様が左右に行き来すると、追いかけるように目が動く。初めは追いきれないが、次第に目の動きの振幅が大きくなり追えるようになる。このように体で覚える学習は、小脳が担っているという。

実験の概要。2種類の学習に、小脳のグリア細胞はどう影響しているのだろう。マウスを使い、縦縞を目で追う実験に挑んだ(東北大学超回路脳機能分野提供)
実験の概要。2種類の学習に、小脳のグリア細胞はどう影響しているのだろう。マウスを使い、縦縞を目で追う実験に挑んだ(東北大学超回路脳機能分野提供)

 この目の動きを15分間トレーニングさせた後、暗闇で1時間休ませて振幅を調べた。すると、15分のその場学習では目の振幅が大きくなったのに休憩で戻ってしまったマウスや、逆に休憩後にだけ良くなったマウス、どちらでも良くなったマウスがいて、個性があることが分かった。つまり、その場とじわじわ、2種類の学習は互いに独立し、並行して成り立っているようだ。

グリア細胞、その場学習の鍵握る

 続いて、2種類の学習が働く仕組みの解明に、遺伝子改変の技術を採り入れた実験で挑んだ。小脳にはグリア細胞の一種の「バーグマングリア細胞」があり、神経細胞間のつなぎ目「シナプス」を覆っている。バーグマングリア細胞は神経伝達物質のグルタミン酸に反応し、また自らもグルタミン酸を放出し、神経細胞を興奮させる信号を増幅している。

 マウスの実験で、バーグマングリア細胞のグルタミン酸の出口を遺伝子改変で欠損させると、その場学習が全く成立しなかった。ただ、このマウスも1時間後には、遺伝子欠損のない普通のマウスと同様の成績になった。

 また、光で活性化するタンパク質を細胞に発現させ、光を当てて細胞の機能を制御する「光遺伝学」のノウハウを活用。タンパク質「チャネルロドプシン2」をグリア細胞に発現させ、光を当ててグルタミン酸を出しやすくすると、その場学習がよく進んだ。しかし効果はじわじわ学習にまで反映せず、1時間の休憩後、光刺激を受けていないマウスと同様の成績になった。

 逆に、グリア細胞に発現させた別のタンパク質「アーキオロドプシン」に光を当て、今度はグルタミン酸放出を抑えると、その場学習が抑えられた。しかし、この後のじわじわ学習は正常で、最終的には普通のマウスと同様の成績になった。

 つまり、グリア細胞の働き次第で、その場学習の成績を高めることも抑えることもできる。そして、それとは無関係にじわじわ学習は進むのだ。

その場学習は、チャネルロドプシン2(ChR2)に光を当てると進んだ(青線)が、アーキオロドプシン(ArchT)だと逆に抑えられた(黄色線)。しかし、どちらも休憩後は普通のマウス(黒線)と同水準(n.s.=有意差なし)となった(東北大学超回路脳機能分野提供)
その場学習は、チャネルロドプシン2(ChR2)に光を当てると進んだ(青線)が、アーキオロドプシン(ArchT)だと逆に抑えられた(黄色線)。しかし、どちらも休憩後は普通のマウス(黒線)と同水準(n.s.=有意差なし)となった(東北大学超回路脳機能分野提供)

 休憩中にアーキオロドプシンに光を当てると、学習がよく進んだ。その場学習と仕組みは違うが、じわじわ学習にも何らかの形でグリア細胞の働きが関わっているらしい。今後の解明に期待したい。

 マウスの脳の標本に電気刺激を与える実験では、グリア細胞のグルタミン酸放出量がシナプスでの信号の伝わりやすさを左右し、その場学習の成績が決まる仕組みがうかがえた。

すぐに上手くいかなくても

 縦縞を目で追う実験による一連の結果から、研究グループは、その場学習とじわじわ学習はトレーニング時に別々に始まり、独立し併存していると結論づけた。その場学習の延長にじわじわ学習があるのではない。じわじわ学習には遅れがあり、効果の発揮に時間がかかるようだ。その場学習の成立のしやすさは、グリア細胞の作用で決まることも分かった。

「2種類の学習が直列につながっているのではなく、並列して存在することを初めて示した」と松井教授(オンライン会見の画面から)
「2種類の学習が直列につながっているのではなく、並列して存在することを初めて示した」と松井教授(オンライン会見の画面から)

 研究グループは東北大学、専修大学、東京医科歯科大学で構成。成果はグリア細胞研究の国際専門誌「グリア」に6月27日に掲載されている。

 松井教授は会見で「2種類の学習の独立、並行は大発見。それぞれの学習の仕組みを理解し、グリア細胞の機能の操作法を開発できれば、効果的なリハビリ法、認知症患者の学習機能回復法の開発などにつながると期待される」と話した。さらに「生来の能力以上の知能を備えた『拡張脳』を、動物や人に実装する方法も見つかるかもしれない」と、話は大きく広がった。

 その場学習が役に立つ具体的なシーンについて、「例えばグラグラした橋の上を歩く時、最初の数歩で『こうなるとグラつく』と学ぶ、つまりいち早く適応する必要がある場面が相当するのではないか」と松井教授。いわば、とっさの安全確保だ。私たちは2種類の学習の仕組みを巧みに生かしながら、生活しているのだろう。

 今回はあくまで体で覚える学習に関わる、マウスを使った基礎研究。とはいえ、私たちの人生は幼児期に話せるようになること、歩けるようになることに始まり、試験勉強、自転車や車の運転、スポーツ、仕事を覚える、リハビリ…まさに学習の連続だ。それだけに、実に示唆的で気になる成果となった。練習してもすぐに上手くならないとついクヨクヨしてしまうが、そんな時でも脳の細胞はちゃんと、じわじわ働いてくれているのかもしれない。

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