子どもの重度の鶏卵アレルギーに悩む研究者らの産学連携グループが、原因物質の一つであるオボムコイド(OVM)を除去した卵をゲノム(全遺伝情報)編集技術で作製した。孵化させ育ったニワトリを交配して生まれた卵もOVMが含まれず、遺伝子にも異常がないなど安全性を確認したという。今後、加工調理した卵を食べた際のアレルギー反応の有無などを調べ、製品化を目指す。医療用ワクチンへの応用も期待している。
加熱で消えない原因物質を遺伝子ごと除去
研究に取り組んだのは、広島大学大学院総合生命科学研究科の堀内浩幸教授(免疫生物学・動物生命科学)のグループと、キユーピー研究開発本部技術ソリューション研究所のメンバー。
広島大の堀内教授は家族が重度の食品アレルギーに悩んでおり、長男の場合、ごく微量の卵が混入しているだけで反応した。「家族旅行に行ってもお土産が買えないし、遠出のためのワクチンも接種できない。なんとかならないだろうか」との思いがあった。
キユーピーはマヨネーズなど卵を使う製品を多く扱っている。同社によると、アレルギーの原因の第1位が卵で、特に卵白に含まれるたんぱく質が原因とされている。「卵の会社」としてアレルギーに悩む人を減らし、食の選択肢を広げる取り組みを進めていた。
両者は2013年から産学連携による研究をスタート。アレルギー原因物質(アレルゲン)の大半は熱で変成するため、十分に加熱すれば反応が起きにくいが、オボムコイド(OVM)は加熱調理しても消えずにアレルギー発生の要因となる。OVMが含まれない卵の研究に取り組む中で、堀内教授らは「遺伝子ごとOVMを作り出す部分を切り取ってしまえばいいのではないか」と考案。ゲノム編集技術を今回の研究に応用した。
広島大で生まれたゲノム編集技術を活用
ゲノム編集に関して堀内教授らはアレルゲンを完全に除去した卵を流通させるには幾度となく交配を繰り返したあとで、少しの遺伝情報のずれがアレルゲンを再び生み出すことは避ける必要があると考えた。
広島大では微少なミスコピーを発生させないように、DNAの翻訳開始点により近いところで編集でき、DNA結合性が高いゲノム編集技術「プラチナ ターレン(Platinum TALEN)」を独自開発しており、それを用いて研究に取り組んだ。
遺伝子組み換えとゲノム編集は異なる。食品に表示が義務づけられている遺伝子組み換えとは、遺伝子の中に外来の別の遺伝子を入れ込む手法で、ゲノム編集は突然変異を利用するものだ。突然変異のエラー修復機能を用いて、特定の機能を無くす編集を「ノックアウト」といい、オボムコイド(OVM)の除去に施すことにした。
交配繰り返しても他の遺伝子への影響なし
ゲノム編集を行うときは、鳥以外の生物には受精卵にだけ編集を行えばそれが次世代に受け継がれる。ただ、ニワトリにこの手法は採れない。受精に15分、卵白形成が3時間、卵殻膜形成に1時間半、殻の形成に20時間と非常に短い時間で卵が作られ、研究室内ではノックアウトするタイミングがつかめないからだ。そこで、堀内教授は卵の幹細胞を培養してノックアウトを施し、卵の殻に細胞を戻して再び培養し、3日間待つという方法でOVMノックアウト卵を作った。
OVMノックアウト卵に関しては、1品種だけで交配させると知的財産権の問題などがクリアできないため、商品化を考え、2品種で作製に取り組んだ。それぞれ作製した卵からヒナを育て、ニワトリにして卵を産ませ、その卵にOVMが含まれていないかどうかを確かめた。その結果、交配を繰り返しても、OVMが含まれない卵を産むことが分かった。交配を繰り返したあと、遺伝子に異常がないかどうか調べたところ、他の遺伝子への影響は見られなかった。
OVM除去卵と普通の卵を堀内教授の研究室の学生に食べ比べてもらったところ、「OVM除去卵は少し白身が固いかもしれない」という程度の感想で、味や見た目の差はほとんどなかったという。今後、キユーピーや相模原病院(神奈川県相模原市)の医師と連携し、アレルギー患者の血清を使った反応試験とOVM除去卵で調理済みのお菓子やおかずなどを実際に食した際に反応が一切ないかどうかを確かめる。どのような加工形態であれば安心して食べられるのか検証していきたいという。
鶏卵由来のワクチンへの応用にも期待
今回の研究には食とは別の観点での成果も期待している。堀内教授の研究室にはごくわずかなOVMを検出できる機器があるが、鶏卵を用いて作られる各種ワクチンにはピコグラム(1兆分の1グラム)単位でOVMが混入しており、重度卵アレルギー患者は予防接種を打てないことがまれにある。堀内教授はOVM除去卵を使えばこの問題を解決できるのではないかと考えている。
研究成果はオランダのエルゼビア社が発行する「フード・ アンド・ケミカル・トキシコロジー」5月号に掲載され、4月26日に広島大学がキユーピーと共同発表した。
堀内教授は「この卵なら安心して食べていただけますよ、と言える日が来るといいなと思って研究を続けてきた。ただでさえ卵が高くなっている今のご時世、安全を担保した上で量産化でき、安く手に入るようになるといいと思う」と話した。家族を思って始めた研究が、卵アレルギーがある家庭の食卓を救う救世主になるかもしれない。