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マウスの母親も育児経験ないメスに子育て指導 犬の情動伝染のように「愛情ホルモン」が関与、麻布大

2021.10.14

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部

 母親は育児の経験がない同性に子育てを教える。こうした行動は人間だけでなく、霊長類や犬でも見られることはこれまでの研究で知られている。今回、麻布大学獣医学部の茂木一孝教授と菊水健史教授らの研究グループは、マウスもそうした行動をすることを明らかにした。「愛情ホルモン」と呼ばれるオキシトシンが関与しているという。

子育て中の母親マウス(茂木教授提供)

 菊水教授はこれまでに、愛犬が秒単位という短い間で飼い主のストレス変化を察知し、共感できる「情動伝染」の仕組みを解明している。茂木教授は、犬を飼育することにより思春期の子どものメンタルヘルスが良くなることも明らかにしている。いずれもオキシトシンが鍵を握っているようだ。

犬が人間に共感する能力を持っていることを明らかにした実験に参加した犬(菊水教授提供)

同居で母性が速やかに発達

 霊長類では育児経験がないメスでも、群れをともにする母親が育児する様子を見ることで母性が発達することが分かっていた。麻布大学の茂木教授、菊水教授や大山瑠泉研究員のほか、米ニューヨーク大学の研究者も参加する研究グループは、霊長類以外の動物でも同じように母性が発達するのか、またどのような神経メカニズムが関与しているかを調べることにした。

 茂木教授らは、育児未経験のメスが一定時間内に子マウスを巣に回収できるかを調べる「子マウス回収テスト」を1日1度実施して母性の発達を測定した。すると、単独でメスマウスを飼育した場合は約5割の確率で「子マウスを2分以内に回収」(テスト合格)できるようになったのは3日後だった。一方、子育て中の母マウスと一緒に飼育した場合は1日後には約5割の確率でテストに合格できたという。

母子と同居させた子育て未経験マウスは母性が速やかに発達する(麻布大学/茂木教授ら研究グループ提供)

 研究グループは次に、育児未経験のメスを母マウスとその子マウスと同居させ、24時間体制で撮影。未経験メスについてはオキシトシンを産生する「視床下部室傍核の神経細胞」などの脳領域の電気信号を測定した。

 その結果、母マウスが未経験メスを巣に誘導する行動が頻繁に観察された。また、子マウスが巣から離れると母マウスは時に未経験メスの前に子マウスを置き、巣に運ばせるよう促す行動も見られたという。

母親マウスが育児未経験のメスマウスを巣に引き入れる様子(麻布大学/茂木教授ら研究グループ提供)

 脳領域の電気信号測定では興味深い結果が明らかになった。未経験メスが母マウスに巣に誘導される時は、自分から巣に入る時よりもオキシトシン産生神経細胞の活性が2倍程度高いことが判明した。また母マウスにより巣に誘導される回数が多いほど母性が発達することが「子マウス回収テスト」結果で明らかになったという。

 これらの結果から茂木教授は、マウスの母性は育児未経験であっても母マウスと同居する経験によって発達し、オキシトシンが重要な役割を担っていることが分かったとしている。

母子との共飼育による未経験マウスの母性促進(麻布大学/茂木教授ら研究グループ提供)

愛犬が飼い主のストレスに共感

 茂木教授や菊水教授らは麻布大学附属生物科学総合研究所の「ヒトと動物の共生科学センター」の主要メンバーとして、人間と動物、そして環境との新しい共生のあり方を探求している。

 菊水教授は、奈良先端科学技術大学院大学、熊本大学、名古屋大学の研究者らと犬と飼い主の心拍の変動を詳細に解析し、犬は飼い主のストレスも感知し、共感する能力を持っていることを明らかにしている。研究発表は2年あまり前だが、当時多くの反響を呼んだ。

 同教授らは、飼い主と愛犬34ペアの双方に心拍計を装着してもらい、飼い主がリラックスしたり、ストレスを感じたりする作業をしてもらった。すると、全てのペアではなかったが、一部のペアでは心拍変動が同じように変化(数値の同期化)したのだ。

 菊水教授らが着目したのは、親しい関係にある個体間で互いに同調し合う「情動伝染」だ。人間社会では、例えば子どもが悲しい思いをすると多くの親は辛く感じる。クラスやチームの仲間が活躍して成果を上げると嬉しく感じることは多い。これが情動伝染だ。

 それまでの研究で飼い主が悲しい顔をした時の愛犬の行動変化などが調べられていたが、秒単位で変化するストレスをも犬が共感するかどうかは分からなかった。飼い主から愛犬に対してだけでなく、愛犬が飼い主のストレスをも共感することを突き止めた研究だった。

 犬の人間に対する情動伝染の鍵を握るのはオキシトシンだ。やはり麻布大学が中心になった別の研究で、愛犬と飼い主との交流によって尿中のオキシトシン濃度が変化することが解明されている。

 愛犬と飼い主30ペアを対象に「飼い主をよく見つめる犬」「あまり見つめない犬」の2グループについて、それぞれについて尿のオキシトシン濃度を調べた。すると、よく見つめる犬と飼い主のグループは、犬と飼い主の両方に有意な濃度上昇が見られたという。

実験中の飼い主と愛犬。犬は飼い主の表情を見つめている(菊水教授提供)

思春期児童のメンタルヘルスを改善

 茂木教授と菊水教授らは、思春期の子どもが犬と交流することによってメンタルヘルスが改善することも明らかにし、昨年6月に研究成果を発表している。あまり知られていないので改めて紹介する。

愛犬と遊ぶ子ども(茂木教授提供)

 茂木教授らは、東京都医学総合研究所や東京大学医学部附属病院の研究者らと、犬の飼育が多感な思春期にある子どもにどのような影響を与えるかを調べるために「東京ティーン・コホート研究」(TCC)に参加した。

 調査対象のメンタルヘルスの状態を調べる指標には世界保健機関(WHO)の「Well-being」指標が使われた。この指標は「健康とは身体面、精神面、社会面におけるWell-being(良好性)」の状況を判断するものだ。いくつかの質問に答えてもらい、答えによって5~0点のスコアを出す。スコアが高いほどメンタル、つまり精神的健康状態が良好と言える。

 茂木教授によると、Well-beingは多くの国でおおむね10歳ぐらいの思春期初期から下がり始めるようで、40~50歳の壮年期まで下がり続け、その後高齢期に向かうと上がるパターンが多いようだ。これは全体的な傾向であり、もちろん個人によってばらつきはあるとみられる。

 茂木教授らの研究グループはTCCに参加する2584人の子どもを対象に、10歳時と12歳時のWell-beingを調べた。その結果、これまでの調査と同じように全体的に10歳から12歳に向けてスコアが下がる傾向にあった。そこで犬を飼育している子ども252人と飼育していない子どもに分けて比べた。すると、飼育している子どもは、飼っていない子どもよりもスコアの下がり方が有意に緩やかだった。

子どもとWell-beingと犬の飼育の関係。犬を飼育する子どもは、一般に10歳時から12歳時で低下するスコアが高い値で維持されることが明らかになった(麻布大学/茂木教授ら研究グループ提供)

 興味深いことに猫の飼育ではこのような結果は見られなかったという。茂木教授らは「今後、犬の飼育によるどのような経験が具体的にどのような心身の機能に影響するか、を行動学的視点、内分泌学的視点から明らかにしたい」としている。

今後も注目されるオキシトシン

 犬と人間の共感・情動共有だけでなく、今回小型ほ乳類げっ歯類のマウスにも「子育て教育」の実態があり、オキシトシンの関与が明らかになった。

 オキシトシンは9個のアミノ酸がペプチド結合でつながったホルモンで1952年に分子構造が決定されたとされる。古くから知られるホルモンだが、末梢組織で働く作用だけでなく、中枢神経での神経伝達物質としての作用がある。麻布大学のほか、さまざまな研究により、最近では「愛情ホルモン」のほか「抱擁ホルモン」「癒やしホルモン」などと呼ばれて注目されている。

 現代はストレス社会の時代だ。しかも長引くコロナ禍で多くの人が行動制限などにより人と人の触れあい時間は減少し、ストレス度を高めている人、癒やしを求める人は少なくない。オキシトシンは、犬などの動物だけでなく、感触がいい柔らかい物に触れたり、「素晴らしい」「感動した」などと感じることをしたりしても、その分泌は促進されるとされている。これからも麻布大学の「ヒトと動物の共生科学センター」などによる研究に大いに期待したい。

愛犬と一緒の茂木一孝教授(茂木教授提供)
菊水健史教授(菊水教授提供)

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