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現代人の虫嫌いは「都市化に原因」、東大の研究で明らかに

2021.03.24

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 「キャーーーッ!」。家族の金切り声を聞き居間に駆けつけると、壁に小さな虫が1匹。こんな経験をした人は多いだろう。個人差も大きいようだが、虫が嫌いな人は多い。なぜ? 気持ち悪いから? では、一体どうして…? 現代人に虫嫌いが多い原因について「都市化で野外より室内で虫を見るようになり、また虫の種類を区別できなくなったため」とする見方を、東京大学の研究グループが明らかにした。1万3000人の大規模調査を通じた研究成果だ。コトは生物多様性の保全にまでかかわるとみて、対策も提言している。

リスク高い虫、多くないのに

 昆虫やクモなどの虫を嫌う感情は世界中、特に先進国や都市部に多くみられるが、これまで原因はよく分かっていなかったという。

調査で回答者に示した虫の画像の例(東京大学提供)
調査で回答者に示した虫の画像の例(東京大学提供)

 「人間の負の感情は大きくは、恐怖と嫌悪に分けられます。恐怖は身体に直接に害を与えるものを避けるための感情で、虫ではスズメバチなどごく限られます。一方、嫌悪は目に見えない感染症や病原体を避けるための感情とされ、リスクの高いものに対して抱くことが、いろいろな研究で分かっています」

 東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構助教の深野祐也さん(生態学)はこう解説し、続けて自身が虫嫌いの研究に挑むに至った思いを語る。「実際には、感染症のリスクが高い虫はさほど多くありません。にもかかわらず今の世の中、『いろいろな虫が大嫌い』な人が多くなっています。このギャップは何なのか、なぜ虫はここまで嫌われるのか、興味を抱きました」

「進化心理学」の視点から2つの仮説

 そこで深野さんと同研究科生圏システム学専攻准教授の曽我昌史さんは、虫嫌いの多くが嫌悪の感情であることや、都市部の人ほど虫への負の感情が大きいことに着目。人が進化の過程で適応に応じて心理を形成していくとみる「進化心理学」の視点から、「都市化が虫嫌いを増大させる」という仮説を立てた。

 仮説は2つからなる。一つは、都市化が進んで野外の虫が減る一方で、室内で虫を見る機会が増えたことを要因とするものだ。食事や休息などをする生活空間に虫が入ってくると、体に近づいて皮膚に接触したり口に入ったりしやすくなり、感染症のリスクが高まる。そのため、虫が野外にいる場合よりも強く嫌悪するという。これは嫌悪が、病原体を避ける行動をするための心理の適応であるという「嫌悪感の病原体回避理論」に基づいている。ここでは嫌悪の強さは、対象の感染症のリスクに応じて変わるとみられる。

 もう一つは「エラーマネジメント理論」に基づく。聞き慣れない言葉だが、本当は危険でないのに危険と判断してしまう「偽陽性」と、本当に危険なのに危険でないと判断する「偽陰性」とでは、コストが小さい、つまり安全な誤りである偽陽性の方に判断が偏る傾向があるという理論だ。これによると、少しでも感染症のリスクがあると感じるものは避け、また不確実性が大きいほど偽陽性への偏りが大きくなる。都市部の人が自然の知識を失い虫の種類を区別できなくなっていれば、避けなくてよい虫にまで嫌悪を感じそう、というわけだ。

カブトムシは“別格”、他は…

 これらの仮説を検証するため、深野さんらは全国の20~79歳の計1万3000人にアンケートを実施した。まず回答者には(1)幼少期と現在の居住地の7段階の都市化度、(2)13種類の虫を屋外と室内のどちらでより見かけるか、(3)識別能力を問うため、写真の虫の名前--を尋ねた。その上で、(4)さまざまな虫の同じ画像を、回答者の半数には屋外、残りの半数には室内の背景を合成した状態で見てもらい、嫌悪を感じるかをそれぞれに答えてもらった。

 その結果まず、ゴキブリやハエ、クモなどの都市でも生きられる虫はやはり、室内でよく見かけられていた。そして同じ虫の画像でも、室内背景の画像を見た人の方が、屋外背景の画像を見た人より明らかに強い嫌悪を示した。これは1つ目の仮説「都市化で野外より室内で虫を見る機会が増え、虫への嫌悪感が高まった」を支持している。

 ちなみに唯一の例外はカブトムシで、屋内外で嫌悪度にほとんど差がなかった。「犬や猫のように室内で飼う文化があり、室内にいても普通のことだからでは」と深野さん。

左は回答者に示した虫の画像の例(上が屋外背景、下が同じ虫の室内背景)、右が結果で、同じ虫なのに室内の方が嫌悪度が高い。ただしカブトムシを除く(東京大学提供)
左は回答者に示した虫の画像の例(上が屋外背景、下が同じ虫の室内背景)、右が結果で、同じ虫なのに室内の方が嫌悪度が高い。ただしカブトムシを除く(東京大学提供)

 また、幼少期と現在の居住地の都市化度が高い人ほど、虫の種類を識別できなかった。虫の識別能力が高い人は、例えばゴキブリには嫌悪を感じてもテントウムシにはあまり感じず、差がはっきりしていた。これに対し識別能力が低い人は、テントウムシにさえ強い嫌悪を抱く傾向が強かった。このように自然の経験と虫の識別能力は明確に関係しており、都市化で識別能力が落ちると多くの虫を嫌うようになるという、2つ目の仮説とよく符合する結果となった。

左は調査で分かった、幼少期と現在の居住地が虫の識別能力に与える影響。右は虫の識別能力と嫌悪度の関係で、嫌悪度が最高だったゴキブリと最低のテントウムシの例(東京大学提供)
左は調査で分かった、幼少期と現在の居住地が虫の識別能力に与える影響。右は虫の識別能力と嫌悪度の関係で、嫌悪度が最高だったゴキブリと最低のテントウムシの例(東京大学提供)

「原因、今までで最もよく説明できた」

 こうしてアンケート結果は仮説を裏付ける形となり、都市化で虫を見る場所が室内に移り、また虫の種類を区別できなくなったことが、虫嫌いを強めたことが分かった。虫嫌いは、病原体を避けようとする進化の影響で形成された心理によるもので、それが都市化により強化されたことがうかがえるという。

 ただし深野さんらは今回の成果について「虫嫌いの原因を解明」といった、歯切れのよい発表の仕方はあえて控えた。プレスリリースの副題は「新仮説の提案と検証」と抑え気味にした。「虫嫌いの原因を、今までで最もよく説明できたとは思っています。ただ、都市化だけが要因ではないでしょう。例えば、今回は親やきょうだいなど家族の要因、個人的なトラウマは一切、検証できていません。あまり断定的にしない方がよいと考えました」と深野さん。少なくとも今回、虫嫌いの主要因として「都市化」というキーワードは確立できたとみてよいのではないか。

 成果は環境科学の国際専門誌「サイエンス・オブ・ザ・トータル・エンバイロメント」の電子版に掲載され、東京大学が3月12日に発表した。

生物多様性保全が進まぬ要因にも

この研究のまとめ(東京大学提供)
この研究のまとめ(東京大学提供)

 もっとも、虫の好き嫌いは個人の自由。嫌いなら、避けて暮らせばよさそうなものだ。ただ生態学者や生物学者らは虫嫌いについて、昆虫の生物多様性の保全が進まない要因の一つだとみているという。深野さんは「原因や対策を議論する中で、昆虫がネガティブなイメージを持たれていることや、その改善が課題だとしばしば議論しています」と説明する。

 今回の研究成果から、深野さんらは虫嫌いを緩和する可能性がある対策として、人々が野外で虫を見ることや、虫の知識を増やして種類を区別できるようになることを提唱している。

 「そのためには展示などを含め、都市部でも野外の虫を減らさないよう努力することが考えられます。幼稚園や保育園で虫について教育することなどを通じても、嫌悪感は変わっていくかもしれません。今後、こうしたことの効果も検証したいと考えています」と深野さん。

 筆者は室内で虫を見つけると挨拶してしまうくらい、嫌悪感があまりない。いずれ虫とともに、そんな自分まで金切り声を浴びることにならないよう、家族の「虫教育」が大切だという気がしてきた。

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