毎年のように日本に大きな被害をもたらす台風は、放っておいても強大化して乱暴な振る舞いをする困り者だと思われがちだ。だが、じつは台風も、いろいろな逆境を乗り越えなければ生き延びることはできない。そんな台風を発達させる条件には、どんなものがあるのか。地面や海面に接して流れる大気についての古典的な理論を見直したら、台風の命ともいえる「壁雲」を発達させる新理論が見つかった。
台風の一生は逆境に満ちている
台風のおもなエネルギー源は、海面から大気に供給される水蒸気なので、海面がじゅうぶんに温かくなければ発達できない。台風が発達して風が強くなれば、風と海面との摩擦で失うエネルギーも多くなる。また、強い風で海面近くの水をかきまぜるので、深いところの冷たい水と混じって海面の水温が下がり、台風は発達しにくくなる。つまり台風は、強くなると、その発達に何重ものブレーキがかかってしまう。そして、上空で風の向きが急変しているような領域に突入すると、発達はさらに厳しくなる。
しかし、こうした難関をくぐり抜けた強い台風がやってくるのも、また事実だ。台風が発達するしくみに、なにか見落としはないか。慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく)の宮本佳明(みやもと よしあき)専任講師らの研究グループがこのほど米国気象学会の論文誌で発表した研究成果は、台風の発達にとってマイナスだと思われていた現象が、条件によってはプラスに働くという話だ。新しい発達材料が見つかったのだ。強い台風にしばしば「外側壁雲」が現れる理由の説明が、これでつきそうだという。
強い台風では外側から第二の「壁雲」が押し寄せる
台風の中心には、雲がなく風も弱い「目」がある。その目の周りを、円筒状の巨大な壁のような雲が囲んでいる。これが「目の壁雲(かべぐも)」だ。目の壁雲の内部では激しい上昇気流が起きている。水蒸気をたっぷり含んだ空気が上昇して雲を作り、その際に熱を放出するので、ますます空気は上昇しやすくなる。目の壁雲は台風の主役といってよい。
強い台風になると、目の壁雲の外側に、もうひとつ円筒状の雲の壁ができることがある。これが「外側壁雲」だ。強い上昇気流域がこの外側壁雲に移って本来の目の壁雲が衰え、やがて発達した外側壁雲が中心に寄ってきて目の壁雲の位置に収まるのだという。こうした壁雲の交代は、強い台風でよく観測されている。外側壁雲ができると台風の構造が激変するので、その先の強度予測のうえでも重要だ。しかし、この第二の壁雲がどのようなときに形成されるのかは不明だった。
そこで宮本さんらが再考したのが、「地球上の大気に渦ができたとき、その渦は成長するのか消滅するのか」という気象学の基本のキともいえる問題だ。
地面に接した大気の渦には自分を素早く消したがる性質がある
ティーカップの紅茶をスプーンでかき混ぜて回転させ、そのまま放置するとやがて静止する。カップの内壁との摩擦で動きが止まってしまうのだ。
だがこのとき、不思議な現象が起きている。紅茶の底に沈んでいる葉のくずが、中央部に集まってくる。つまり、カップの底に接している水は、ぐるぐると回転しているだけでなく、周りから中央に寄ってきているのだ。集まってきた水は中央部で行き場を失って上昇し、紅茶の内部で周りに広がる。
じつはこのとき、周りに広がる水は渦を弱めるように働いている。スケートのスピンで、水平に伸ばしていた腕を選手が身に寄せると、スピンの速度が上がる。逆に、腕を伸ばすとスピンの速度は下がる。ティーカップの中心部から周辺部に出ていく水も、こうして紅茶の回転速度を下げる。この水の動きがあることで、カップの壁と水の間に働く摩擦による流れの減衰効果が、素早く全体に行きわたる。
地球上で発生する大きな渦でも、ティーカップの中の渦とよく似た現象が起きている。カップの底は地球の地面や海面だ。渦とともに中央部で上昇流が発生しても、ティーカップのように渦や上昇流はすぐに消えるもの。なにか特別な別の原因がなければ渦は成長しない。宮本さんによると、それが渦の「常識」だったのだという。
上昇気流の成長という考え方は、そもそも台風の発達にとって魅力的だ。台風の内部でこうした渦がいったん成長すれば、さきほど説明したように、上昇気流が水蒸気を上空に運んで雲を作り、蓄えていた熱をその際に放出して、ますます上昇気流は強まる。そして、強い積乱雲ができる。壁雲は積乱雲の集まりなので、もし外側壁雲の付近で渦や上昇気流が成長可能になっていれば、その有力な発生原因になりそうだ。
外側壁雲の発生を可能にする新理論
そして、実際にそうだった。いったん成長した台風の内部では、目を中心にして反時計回りの風が吹いている。中心からやや離れたところに環状にできる外側壁雲は、まさにこの風の中にある。
この反時計回りの風は、目を取り囲む「目の壁雲」の位置でもっとも強く、それより外側では、中心から離れるとともにしだいに弱まる。宮本さんが発見したのは、この「風の弱まり方」の特殊なケースとして、壁雲の卵になる上昇気流の成長を促す場合があることだ。そもそも風がかなり強く、しかも、中心から離れるにしたがって、急にではなくダラダラと弱まっていくこと。さらにこの二つの条件が、目の半径の2〜7倍くらいの距離で満たされていると、その付近で渦や上昇気流の成長が可能になるのだという。
大気の中には、大小さまざまな渦が無数にある。もしその場に、いま説明したような条件を満たす風が吹いていれば、生まれかけた渦と上昇気流が一気に成長する可能性がある。
宮本さんらがコンピューターで計算上の台風を作って調べたところ、たしかに外側壁雲は、反時計回りに吹く風がこの条件を満たすところにできていた。上昇気流が成長しやすい環境は、外側壁雲が実際にできる数時間ほど前に整うとみられる。もし、台風内部の風速を測る観測を日常的に行えれば、外側壁雲の発達を予測できるかもしれないということだ。
最近の気象学では、コンピューターの高性能化を背景に大量の計算をこなすシミュレーションタイプの研究が多いが、宮本さんらの今回の成果は、いうなれば「紙と鉛筆」を基本としたものだ。専門的には「エクマン理論」「エクマン・パンピング」とよばれる古典的な分野。地球上を流れる大規模な風や海流などを扱う「地球流体力学」の根本にかかわる成果で、宮本さんは「台風以外にも、これに関係している現象があるかもしれない」という。その広がりにも期待したい。
(サイエンスポータル編集部 保坂直紀)
関連リンク
- 慶應義塾大学プレスリリース「台風の急激な構造変化のメカニズムを解明 −台風の強度予報の精度を飛躍的に向上できる可能性−」