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祝 江崎玲於奈賞受賞 −160億年に1秒しかずれない「光格子時計」とは

2017.10.20

田端萌子 / サイエンスライター

香取 秀俊氏
香取 秀俊氏

 時間の単位「秒」をより正確に測る発明をしたのは、日本人研究者だった。300億年(宇宙年齢は138億年)に1秒しか誤差が生じない「光格子時計」を発明したとして、9月7日、香取 秀俊(かとり ひでとし)東京大学大学院工学系研究科教授に江崎玲於奈賞※1の受賞が決まった。2001年に自身が光格子時計の構想を発表してから開発を続け、2014年に超高精度の光格子時計を実現した成果が評価された。光格子時計は、ストロンチウムなどの原子100万個を光の波に閉じ込めて実現する時計なのだという。一体どんなものなのか、迫ってみたい。

2台のストロンチウム光格子時計(JSTプレスリリースより)
2台のストロンチウム光格子時計(JSTプレスリリースより)

※1 江崎玲於奈賞/半導体結晶で初めてトンネル効果の観測に成功してノーベル物理学賞を授賞した江崎玲於奈氏の功績にちなみ、ナノテクノロジー分野において顕著な研究業績を挙げた研究者に贈られる。→江崎玲於奈賞概要

現代の時間はどう決められているか

 1967年以降、1秒は、国の定める計量単位令によって以下のように定義されている。「セシウム※2133の原子の基底状態の二つの超微細構造準位の間の遷移に対応する放射※3の周期の9,192,631,770倍の継続時間である」。

 難しいので噛み砕いて説明すると、まず、原子のエネルギーは、それぞれ固有の“とびとびの値”をもち、そのとびとびのエネルギー間で決まった共鳴周波数※4をもつ。「超微細構造準位」とは、このように原子の周りを運動する電子と原子核との間の相互作用によって生じる、小さなエネルギーの分裂のことだ。この共鳴周波数は基礎物理定数だけで決まる量なので、原子に電場や磁場が加わらない限りは変化しない。その前提に立てば、セシウム原子を励起する周波数を捉えることで、正確な時計の振り子にすることができる。

 次に、この共鳴周波数を求める方法を簡単に説明しよう。まず、セシウム133を炉で加熱し、セシウム原子の蒸気を作り出す。この中には基底状態のものと励起状態のものの両方が含まれるので、磁場で基底状態のセシウム原子のみを選別する。選別されたセシウム原子が最も多く励起される電磁波の周波数(91億9,263万1,770Hz)を測り、そこから1秒が定められる。

 このように原子を励起させる共鳴周波数を測って秒を決める時計を「原子時計」という。またこの1秒を基にした時間は「国際原子時(TAI : Temps Atomique International)」とも呼ばれ、3,000万年に1秒の誤差しか出ない最も正確な時間として、テレビ局、ラジオ局、GPS衛星などで使用されている。ちなみに身近にあるクオーツ時計はクオーツ(水晶)の振動を利用したもので、1月に数秒程度ずれるとされているが、電波時計では、原子時計の情報を受信してこの誤差を補正している。

 ※2 セシウム/2011年の東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質漏れの事故によりネガティブなイメージが浸透したセシウムだが、放射性同位体はセシウム134、135、137でセシウム133は安定同位体である。またストロンチウムも、 84?91(85はない)の同位体があるが、うち放射性同位体は89?91。原子時計には安定同位体のストロンチウム87や88が使われている。

 ※3 放射/ここでは原子が発する電磁波の放射を意味する。電磁波とは、(波長が大きい順から)電波、マイクロ波、光(赤外線、可視光、紫外線)、エックス線、ガンマ線 などの波の総称。

 ※4 共鳴振動数/原子は固有の周波数の電磁波を吸収して放出する性質を持っている。

光格子時計実現の背景と課題

 現在のセシウム原子時計は、最も精度の高いもので15桁の精度で1秒間を刻む。これに対して香取氏の発明した光格子時計は、18桁の精度で1秒間を刻む。セシウム原子時計も十分な精度をもっていると言えるが、なぜさらに正確な「秒」の測定・研究がなされてきたのだろうか。

 歴史をふり返ると、世界の覇権争いの中で、欧米は時計研究に多くの時間と資金を投じてきたと言えよう。香取氏は、「原子時計が長足の進歩を遂げた過去から、秒のような単位を支える技術やそれに基づくシステムやインフラなどの技術基盤を押さえることは、ビジネスや研究の成功の礎ともなってきました。その技術基盤を開拓するために各国が繰り広げてきた競争の中で、光格子時計は“Curiosity driven(一見ゴールとは関係のなさそうな方向に好奇心のままに寄り道をしながら進むアプローチ)”によって誕生したと言えます」と語る。また、「結果として光格子時計は、原子時計を原点とする研究や情報通信、さらに産業の発展に結びつく新たな技術基盤のカギとなる新しい物理学研究を拓くだろう」と期待する。

 しかし、原子という1,000万分の1ミリほどの極小の物質のふるまいを制御することで究める時計の研究は、困難を極めるものだった。原子時計で重要なことは、あらゆる電磁場の影響を排除していかに時の刻みの基準となる純粋な共鳴周波数を取り出せるか、という点である。原子は常に運動しているので、その動きによって生じるドップラー効果の影響を除くために、原子を動かないよう捕まえる必要がある。1980年代、H. デーメルトらによって、イオントラップ※5に捕まえた単一のイオンの共鳴周波数を測定する時計手法が発明され、これが次世代の時計候補と期待されていた。ところが、単一の原子を観測する際にどうしても周波数の不確かさ(量子雑音という)が生じる。このため、18桁の精度に達するには、1回1秒の測定を100万回も繰り返してその平均を取る必要があり、平均値の測定に10日以上かかることが予想された。

※5 振動する電場により電荷を帯びたイオン粒子を捕まえる装置

 原子を効果的にトラップしつつ、もっと短い時間で測定できる方法として香取氏が考えたのが、「光格子」という光の波長よりも小さな領域を多数作り出すというものだった。そして、この光格子に100万個の原子を閉じ込めて同時観測できる原子時計「光格子時計」を開発し、2003年、基礎実験に成功した。

 繰り返すが、重要なことは、あらゆる電磁波の影響を排除することだ。原子を効果的にトラップするこの光格子は、ある特定の波長のレーザー光の干渉で作られるが、この波長の選び方がポイントだった。電場の中では原子は分極する(例えば+極には電子、?極には正の電荷をもつ原子核が引きつけられる現象)。そのために電子の動きが影響を受けて、励起状態と基底状態のエネルギーに変化が生じる。図1のように、空間的にエネルギーが極小となる場所を作り出すことによって原子を捕まえることができるが、一般には、この結果、共鳴周波数もずれて正確な時間が測れなくなるのだ。これに対して香取氏は、励起状態と基底状態の本来のエネルギー差を変えない波長「魔法波長」の着想で、共鳴周波数を変えない光格子を作ることに成功した。こうして2014年、世界で最も高精度の原子時計の開発に成功したのだ。

図2.秒の定義の変遷(香取氏提供)横軸は時間、縦軸は秒の不確かさ(上に行くほど秒は正確なものとなる)を示す。光時計は80年代に研究が始まって、現在まで精度が向上しているのが分かる。あと10年ほどで秒の定義が再び変わるかもしれない。
図1.原子を光格子にトラップするイメージ (香取氏提供)
「魔法波長」のレーザー光で作った光格子では、基底状態と励起状態のエネルギー差をより正確に測れる。つまり共鳴周波数のズレが生まれない

 こうした香取氏による光格子時計の発明は、世界の原子時計研究の流れを変えた。現在では、イッテルビウムや水銀など、ストロンチウム以外の光格子時計についても30近くの研究グループが高精度化にしのぎを削っている。この流れを受け、現在のセシウム原子時計による秒の定義は、10年程度で光格子時計によって再定義される可能性があるという。

図1.原子を光格子にトラップするイメージ (香取氏提供)「魔法波長」のレーザー光で作った光格子では、基底状態と励起状態のエネルギー差をより正確に測れる。つまり共鳴周波数のズレが生まれない
図2.秒の定義の変遷(香取氏提供)
横軸は時間、縦軸は秒の不確かさ(上に行くほど秒は正確なものとなる)を示す。光時計は80年代に研究が始まって、現在まで精度が向上しているのが分かる。あと10年ほどで秒の定義が再び変わるかもしれない。

相対性理論を可視化する?!重力差も測れる時計に

 香取氏らが光格子時計の基礎実験に成功した後、世界中の研究者が光格子時計の開発に取り組んだ結果、光格子時計の精度がさらに向上し、アインシュタインの相対性理論を可視化できるレベルにまで到達した。つまり香取氏いわく「時空間の構造や、新しい物理に迫る研究」が、光格子時計によって可能になったのだ。

 一般相対性理論では、「重力が強いところでは時間がゆっくり進む」とされている。高い地点(重力が弱い地点)と低い地点(重力が強い地点)では、重力差から時間のズレが生まれる。それを光格子時計で測定し逆算することで、2地点の高低差を測定することが可能になる。

 この方法によって香取氏らのグループは、2016年には約15キロメートル離れた2地点の時間差を測定して重力ポテンシャルエネルギー差を割り出し、センチメートルレベルで標高差を計測することに世界で初めて成功した。光格子時計を各地に配置しネットワークを構築することで、各時計は「量子水準点」となり、時計間の標高差を正確に測ることができる。例えば、火山活動による地殻変動や、月や太陽の潮汐効果による地球の変化の観測も可能になるのだ。

 それらの観測により「地球の柔らかさが見えてきます。東京と九州の時計をつなぐと、潮汐効果で6時間ごとに14センチメートルの相対的な浮き沈みが見えるでしょう」と香取氏は言う。光格子時計を活用したこうしたネットワーク化の動きは既に他国でも始まっているそうで、ヨーロッパでは、ドイツからフランスまで1,000キロメートルをリンクした光格子時計の比較実験が行われ、イギリス、イタリア、ポーランドへの拡張も予定されているという。

 このように香取氏は、「光格子時計」の発明や精度の向上とともに、基礎研究から応用研究まで、新たな時計活用の可能性を開拓してきた。最後に一連の研究の最終ゴールについてうかがうと、「19世紀末、ドイツで鉄鋼業が盛んだった時代に、高炉の温度を正確に評価しようとする過程で光量子が見つかり、量子の時代が始まりました。Curiosity drivenに誕生した光格子時計を、工学的ニーズをテコに進化させていきたいと考えています。科学と技術の協奏は、知のらせん階段を押し上げる原動力です。光格子時計は時間を共有し、確認しあうための道具から、時空の歪みを利用して物理の常識に挑むセンサへと変化していくでしょう」との答えが返ってきた。

より正確な秒を測る光格子時計は、私たちの日常生活だけでなく、物理的な「当たり前」の感覚をも変えてしまうかもしれない。これからますます目が離せない。

(サイエンスライター 田端 萌子)

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