サイエンスクリップ

“免疫のストッパーをはずす”がん治療法とは?

2016.05.09

日本のがん患者はおよそ98万人で、130人に1人が苦しんでいる※1。従来のがんの治療には、大きく分けて3つの方法がある。手術、放射線治療、抗がん剤だ。

※1 国立がん研究センターのプレスリリース「2015年のがん罹患数、死亡数予測」より。

 そして、第4の選択肢としてがん治療の新時代を開くと注目されているのが、「免疫療法」だ。その研究を先導する玉田耕治(たまだ こうじ)山口大学大学院医学系研究科教授が、2月19日、日本プレスセンターで行われた読売テクノ・フォーラムでその最先端を紹介した。免疫療法は、従来の治療のように直接がん細胞を攻撃するのではなく、体内の免疫システムの力を利用してがん組織を攻撃する。近年、がんに対する免疫療法は著しく進展しており、国内外で多くの臨床試験が実施され、がん治療薬として承認される薬剤も現れている。玉田氏のお話から、具体的な治療の仕組みや利点・欠点など、現在見えてきている状況をご紹介しよう。

免疫細胞とその働きを抑えるストッパーの仕組み

玉田 耕治 氏
玉田 耕治 氏

 免疫療法の歴史は古く、がんを攻撃させる免疫細胞の種類や、攻撃能力を高める方法を試行錯誤し、これまでに何種類もの方法が開発されてきた。だが、近年開発されている免疫療法は、従来の方法とは発想が違う。免疫細胞の攻撃能力を“高める”従来法に対し、免疫細胞の働きを抑える「ストッパー」をはずすことで“抑え込まれない”ことを目指す、という考え方だ。ではそのストッパーとはどのようなものだろうか。

 免疫細胞は、異物を排除して体を守る。一方で、暴走すると、自己免疫疾患やアレルギー疾患、慢性的な免疫反応などを起こす。これを防ぐために私たちの体に備わっているのが、免疫システムを抑えるためのストッパーである。

 ストッパーの仕組みを単純化して説明すると以下のようになる。まず、不審な細胞を見つけると、免疫細胞が検査を行う。表面に出ているさまざまなタンパク質を調べ、排除すべき相手かどうかを判断するのだ。そして、あってはならない異物の目印を見つけると、相手を排除するために動き出す。一方、自分自身の細胞など免疫細胞に攻撃されてはならない細胞たちは、「攻撃するな」と伝える目印(「免疫チェックポイント分子」)を出しており、免疫細胞の攻撃性を抑え込む。つまり、この免疫チェックポイント分子がストッパーである。

図1.免疫が暴走しないよう抑えるストッパーの仕組み
図1.免疫が暴走しないよう抑えるストッパーの仕組み

 だが、一部のがん細胞は、この仕組みをハイジャックする。つまり、免疫チェックポイント分子を表面に並べ、免疫細胞の反応を抑え込んで生き延び、増殖するのだ。

免疫細胞のストッパーをはずしてがん細胞を攻撃する

 玉田氏が所属していた米国の研究グループは、この分子の1つであるPD-L1(B7-H1)というタンパク質を1999年に発見した。そして、この分子の働きを抑える薬剤を外から加えたところ、免疫チェックポイント分子による免疫細胞の攻撃に対するストッパーが働かず、がん細胞は攻撃され、死んでいくことが分かった。

図2.外から加えた薬剤で免疫チェックポイント分子を覆うと、免疫細胞の作用を抑制するストッパーがはずれて免疫細胞の働きが増強し、がん細胞が減少した。
図2.外から加えた薬剤で免疫チェックポイント分子を覆うと、免疫細胞の作用を抑制するストッパーがはずれて免疫細胞の働きが増強し、がん細胞が減少した。

 この成果に湧いたのが、アメリカのベンチャー企業や製薬会社だ。PD-L1とPD-1という免疫チェックポイント分子の結合を阻害する薬剤(これらの分子を標的とした抗体)の開発戦線に次々と参入し、臨床試験が進んだ。2014年を皮切りに、PD-1に結合する抗体が、Nivolumab(ニボルマブ)、Pembrolizumab(ペンブロリズマブ)の名で、がん治療薬として本格的に欧米で承認された。日本でも、ニボルマブは2014年にメラノーマ(悪性黒色腫)に対して、2015年に肺がんに対して、承認された。

図3.抗PD-1抗体は、世界各国でがん治療薬として次々と承認されていった。
図3.抗PD-1抗体は、世界各国でがん治療薬として次々と承認されていった。

 現在、さまざまながん種への効き目に加え、効果的な投与タイミングや、他のがん治療薬との組み合わせの有効性について、さらに臨床試験が進んでいる。

臨床試験から分かってきた効果と課題

 臨床試験からは、効き目の“くせ”が見えてきた。いったんがん組織が大きくなった後、遅れて効果が見られる場合や、薬の投与を止めてもがんの進行がくい止められる場合があり、抗がん剤とは異なる効き方も見られた。単剤での効き目は高くない場合でも、他のがん治療法と組み合わせると効果が高まることも分かってきた。

 一方で課題もある。結果的に免疫細胞が暴走することによる重い副作用が見られる。がんだけでなく、他の「攻撃すべきではない自分自身の細胞」に対しても攻撃を始め、自己免疫疾患のような状況を生み出すのだ。呼吸器障害や胃腸障害など、重篤な副作用が見られる割合は約5~10人に1人と報告されている。また、薬の値段が1年間で3千万円ほどかかるため、患者本人や国の医療財政に与える経済的負担は極めて大きい。

 がんの種類や患者による向き・不向きも分かってきた。がん組織では、一部の免疫細胞が刺激を受け続けることで活性を失い、最後に死滅する「免疫疲弊」という現象が見られることがある。免疫チェックポイント阻害剤が効果を発揮するには、免疫細胞が存在し、免疫応答を起こす能力を失っていないことが大前提だ。

 また、がん細胞が“目立つ”ほど効果が高いことも分かった。例えば、突然変異を起こしたタンパク質をたくさん持っているタイプのがんは、今回の治療法によりストッパーをはずされた免疫細胞の攻撃を受けやすいとの報告もある。

免疫細胞療法のこれから

 個別化医療※2ががん治療の分野でも現実味を帯び、遺伝子の全配列や全タンパク質レベルで患者が持つがんのタイプをあらかじめ特定し、効果のある患者に照準を絞って「適切な」治療を施すシステムが将来実現するだろう。玉田氏のチームも、今回の治療法の効果・予後の指標となるタンパク質を目下探索中だ。

※2 個別化医療/テーラーメイド医療とも呼ぶ。治療前に患者や疾患組織の遺伝情報などを調べ、その結果に基づいて効果が高く、体への負担や副作用の少ない治療法や治療薬を患者ごとに選択すること。

 免疫細胞に、攻撃してはならない自分の細胞とがん細胞を完璧に区別させることは難しい。免疫細胞治療のプロセスでの副作用との闘いは、今後も続くだろう。だが、他の組織への悪影響を軽減するアイデアの1つとして、薬剤をがん組織周辺にだけ送り届ける方法が考えられる。「ドラッグデリバリーシステム」※3と呼ばれるこの方法の開発が進めば、解決に近づくかもしれない。

※3 ドラッグデリバリーシステム/Drug Delivery System, DDS。薬物輸送システム。目標とする疾患組織に、薬剤を送り込む技術。薬剤を膜などで包むことにより、体内を通過する間に吸収・分解されることなく目標に到達させ、そこで薬剤が放出されて治療効果を発揮する。

玉田氏は語る。「免疫チェックポイント阻害剤は今後間違いなくがん治療法の一つの重要な基盤となります。しかしながら、この治療法だけですべてのがん患者さんが救命されるわけではないのも確かです。この治療法が効果を示す患者さんを的確に見極めること、この治療法の効果をさらに高めるための集学的がん治療法を見つけること、そして、この治療法が効果を示さないがんに対して、さらに進んだ免疫療法を開発することが今後のわれわれの重要な研究課題になります」

*写真提供:山口大学玉田研究室、イラスト部分は筆者作成

(JST 松山桃世)

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