リンゴを半等分して蜜が入っていたときに、食べる前から「このリンゴは甘くておいしいに違いない」と確信したことはないだろうか。一般的に、蜜入りのリンゴは日本を含むアジア各国で人気がある。そんな蜜入りリンゴのおいしさが、香り成分の量に関係することが明らかになった。発見したのは、農業・食品産業技術総合研究機構(以下、農研機構)、小川香料株式会社、青森県産業技術センターりんご研究所の共同チームだ。この発見により、「おいしさ」を決める指標は、糖度などの「味」だけでなく「香り」も加わることになる。今後は、香りに注目したリンゴの栽培と貯蔵技術開発、新品種の開発を行なっていくという。
「おいしさ」を決めるダークホース
同じ品種の蜜入りリンゴと蜜なしリンゴを比べても、糖類の量や甘味度には大きな差がないことは、長い間知る人ぞ知る現象だった。研究チームは、これらの要素の他に、おいしさに関わる隠れた要素があるはずだと考え「香り」に着目した。おいしさの指標には、糖度や酸味など、成分分析によって測られる客観的なものと、人が食べて感じる主観的なものがある。
研究チームは、まず、人が感じるおいしさの要因を探るため、同じ生産者が育てた蜜入り・蜜なしの「ふじ」を一口大にカットしたものを用意し、29名の被験者によって「香り」「味の強さ」を比較した。初めに、口に入れずに匂いのみを嗅ぐ実験を行うと、蜜入りの方がより強く感じられることが分かった。次に鼻をつまんで食べる実験を行うと、味の強さはほぼ同じという結果が出た。最後に「香り」と「味」の総合評価をするために、香りを感じられる条件で食べる実験を行うと、蜜入りの方がより「おいしい(好ましい)」と感じられることが分かった。
続いて、同様の条件で食べたときに感じる風味(サワー:酸っぱさ、グリーン:青草の匂い、フルーティ:果実の匂い、フローラル:花の匂い、スイート:甘さの強度)を比較した。すると、蜜入りの方が、スイート、フローラル、フルーティがより強く感じられることが分かった。
香りの正体はエチルエステル
おいしい香りの正体は何なのか?研究チームは次に、蜜が多く入ることで知られる「ふじ」と「こうとく」の蜜入り・蜜なしについて、果汁中の水溶性(水に溶ける)・揮発性(常温で気化する)の成分を分析した。すると、蜜入りリンゴにはエチルエステル類とメチルエステル類※1が多く含まれていることが分かった。
エチルエステル類は、フルーティ、フローラル、スイートな香りを持つことが知られている。さらに、メチルエステル類と共存すると、単一で香気が存在するときより、香りに膨らみが感じられることが分かっている。香りの化合物が共存することによって、相乗作用が起こり、より持続性、拡散性のある香りが作り出されるというわけだ。(余談だが、味に関しても同様の効果が知られている。うま味成分は、グルタミン酸単独よりも、グルタミン酸とイノシン酸の混合の方が、少量でもうま味が強くおいしく感じられるという)
エチルエステル類とメチルエステル類という2グループの物質が蜜入りリンゴのおいしさに関わっていたという結果から、蜜入りリンゴをおいしいと感じる理由は漠然としたものではなく、データで立証されたことになる。
※ 1 エチルエステル類とメチルエステル類/エステルとは、カルボン酸(COOH基を持つ化合物、酢酸、プロピオン酸など)とアルコール(OH基を持つ化合物、メタノール、エタノールなど)が反応して生成する、COO結合を持つ化合物。小さな分子量のエステルは、果実のような香りがする。メチルエステルはカルボン酸とメタノール、エチルエステルはカルボン酸とエタノールが反応してできたもの。
蜜は甘くない?けれど糖がたまったサイン
ところで、蜜はどのようにして果実の中に作られるのだろうか。筆者が小さい頃、蜜入りリンゴをガブッと食べると甘いのに、蜜の部分だけを食べてみても特に甘くないことを不思議に感じた経験がある。蜜自身が甘いわけではないようだ。では蜜とは一体何なのか?
その正体は「ソルビトール」という糖アルコール(キシリトールの仲間)と水だという。この物質の甘みは、砂糖の主原料「スクロース(ショ糖)」の半分ほどしかない。果樹の葉の光合成で作られたデンプンは、ソルビトールになって葉から果実に運ばれる。果実の中には無数の細胞が詰まっていて、細胞と細胞の間にはすき間がある。ソルビトールの一部はその細胞のすき間を通って細胞の中に取り込まれ、酵素の働きによって甘み成分のフルクトース(果糖)やスクロース、グルコースなどの糖類にどんどん変化する。
しかし、ある程度糖類が作られると、徐々に糖類の生成や細胞内への取り込みが緩やかになるが、葉からの流入が続くソルビトールは水分とともに細胞のすき間にたまる。これが蜜だ。つまり、蜜は糖類が十分にたまった印と考えてもよいだろう。蜜は樹になっているときにのみ生成し、収穫後に増加させることは(もちろん注入することも)できない。収穫を遅らせるほど多くたまり、また、葉とらず栽培※2・無袋※3栽培でも多くたまることが知られている。
※2 葉とらず栽培/果実の色付きをよくするために果実周辺の葉を取る栽培が広く行われているが、葉が減る分、光合成量が少ないという欠点がある。最近では見栄え(色付き)より味(光合成量、糖含量)を優先して、葉を取らない栽培法が見直されている
※3 無袋栽培/果実の害虫被害を避け表面の傷を防ぐために、一果ずつ袋をかけて栽培する有袋栽培に対して、袋がけをしない栽培方法。果実自身の光合成により糖含量が増す効果がある。サンふじのように、品種名の前に「サン」を付けて販売されている。
酸素不足が良い香りを作りだす?!
収穫後のリンゴを低酸素の環境に置くと、強い香りを示すことが知られている。これは、酸素が少ないために起こる「エタノール発酵※4」によって、副産物のエチルエステル類が増加することが原因だと考えられる。
水分が豊富な蜜部分は低酸素状態である。研究チームは、同様にエタノール発酵によってエチルエステルが発生しているのではないかと予想した。それを確かめるため、酸素センサーで果実断面の酸素濃度分布を測定した。その結果、蜜なしでは全体的に大気に近い濃度であったのに対し、蜜入りでは果実の外側から内側にかけて、徐々に酸素濃度が低下、断面中心から20ミリメートルまでの部分はほぼ0であった。なお、この部分は蜜部分とほぼ一致した。
※ 4 エタノール発酵/糖類の嫌気的(酸素が少ない状態での)分解により、二酸化炭素とエタノールが生成する反応。エチルエステルはエタノールとカルボン酸が反応して生成される。
新たな「おいしさ」の概念から始まる農業の未来
トマト、いちご、みかんなど、スーパーに並ぶ野菜や果物のおいしさは、これまで主に糖度によって評価されてきた。だが今回の発見は、その見定め方に一石を投じそうだ。
担当の田中福代(たなか ふくよ)農研機構中央農業総合研究センター土壌肥料研究領域主任研究員は、「甘さは味の基本で、誰にも分かりやすい。でも、砂糖水を飲んでも感動はないですよね。香りは、例えば、リンゴらしさを作りだしたり、「ふじ」と「王林」の違いを生みだしたりするような、個性や多様さを与えるもの。ひそかに食欲をそそり、満足感・幸福感をもたらしてくれることもあります。今回の研究では、香りが味わいを変えたり高めたりすることも分かりました。おいしい果物や野菜を皆さまにお届けするために、これからも香りに着目した栽培・貯蔵技術を探求していきたい」と話す。そして、「大切なこと」として付け加えた。「香りを感じる心は食経験で培われます。好奇心を持って、いろんな香りの食材を楽しんでいただきたい」
「蜜入りリンゴはおいしい」というのは本当で、「おいしい」を決めるのは味と香りだった。次回リンゴを食べるとき、一見静かな果樹と果実の中でせっせと繰り広げられてきた「おいしさを生む化学」に思いを馳せてみてはいかがだろうか。今までと違う味わいを楽しめるかもしれない。
*写真および図版提供:農業・食品産業技術総合研究機構
サイエンスライター 田端萌子