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緻密な計算と英断。あかつき、金星軌道突入の舞台裏

2016.01.12

 5年越しのリベンジ。JAXAは12月9日、金星探査機「あかつき」が2010年12月のエンジン故障を乗り越えて、金星周回軌道入りに成功したと発表した。日本の探査機が、地球以外の惑星周回軌道に乗ったのは今回が初めてとなる。「あかつき」は言わば気象衛星のように、上空から金星大気の動きや厚い雲の下の気象などを観測する。金星は、地球とほぼ同じ大きさながら、地上気温は460℃、上空には硫酸の雲が広がり、時速400キロメートルの風が吹きすさぶ、過酷な環境の惑星だ。温室効果が極限まで進んだこの天体の環境を調べ、気候の仕組みの違いを比較することで、地球環境の未来を知ることにつながる。

 2001年から始まったこのプロジェクトは、当初の計画から大きく遅れてやっと探査のスタート地点に立つことができたわけだが、なぜ、どのように今回軌道入りを果たすことができたのか。「あかつき」のシステム設計を取りまとめる、JAXA宇宙科学研究所教授石井信明氏に伺った。

「あかつき」イメージ(提供:JAXA)
図1. 「あかつき」イメージ(提供:JAXA)

5年前の失敗

 2010年5月21日に打ち上げられた「あかつき」は、同年12月7日に金星の周回軌道に入る予定だった。エンジン噴射は正常に始まったが、「あかつき」が金星の裏側、陰に隠れた時点でエンジントラブルが発生し、30分後に姿を現わすはずの探査機はいつまで経っても金星の影から出てこず、通信ができなかった。

 「失敗した、というより何が起きたのか分からなかった」と石井氏は当時を振り返る。電源や通信、姿勢制御などあらゆる異常なケースを考えた。その不安な気持ちを「家族が携帯電話をなくしてしまって全く連絡が取れなくなり、今どこで何をしているか分からないという心配感と似ていますね」と語る。

 あかつきのシステム設計全体を統括する石井信明氏。JAXA宇宙科学研究所にて
写真. あかつきのシステム設計全体を統括する石井信明氏。JAXA宇宙科学研究所にて

 丸1日かけてやっと、メインエンジンの故障で緊急ストップし、軌道を外れてクルクル回っているという状況を把握できた。しかし、燃料は残っており、太陽電池も通信機器も無事だった。それが分かったときは、「まだ生きている。5年かかろうと10年かかろうと次のチャンスを狙うための材料は全部ある」と思ったという。

地道な軌道計算

 「あかつき」とは5年間ほぼ毎日通信を行ない、動作確認をし続けた。
 軌道計算はJAXAとメーカー担当者の合わせて5人ほどで、NASAからのバックアップを受けながら行なう。探査機にとっての最適な軌道は1つではない。惑星と探査機の位置関係、エンジンの噴射時間と回数、タイミングなどの条件を変えて、最も燃料が少なく、短時間に到着できる「答え」を、何メートル、何秒という微細なスケールで計算する。その答えも何万パターンと存在するので、その中で「最適であろう」ものを消去法で求めていく。地道な作業だ。

 再び金星周回軌道を目指すためには3つの条件が必須だった。十分な観測を行うために「800日程度金星を周回すること」、太陽光で充電するバッテリーが90分しかもたないため「金星を周回する間、連続して日陰に入る時間を90分以内にすること」、「放熱材に太陽光が当たらないように姿勢を保つこと」である。廣瀬史子氏を中軸に5年に渡って何万パターンもの試行が続けられた。

「あかつき」の軌道。2010年に目指した遠金点は8万キロメートルだったが、数回の軌道制御を行い、遠金点31〜34万キロメートルの軌道に変更する
図2. 「あかつき」の軌道。2010年に目指した遠金点は8万キロメートルだったが、数回の軌道制御を行い、遠金点31〜34万キロメートルの軌道に変更する(著者作成)

早いをとるか近いをとるか

 2010年の失敗が判明した直後の計算では、次に「あかつき」が金星と再接近する時期は2017年であった。しかし「あかつき」が7年間も宇宙空間で耐えられるのかという声が上がった。そこでもっと早く金星と会合するために、2011年に軌道修正する2つのパターンが議論に上がった。2016年に遠金点29万キロメートルの軌道に乗るパターンと、少し多く燃料を使うが2015年に遠金点約32万キロメートルの軌道に乗るパターンである(ちなみに地球と月の距離は38万キロメートルである)。両者とも、当初計画の遠金点8万キロメートルからは大きく離れるが、29万キロメートルと約32万キロメートルの間には大差はない。「金星までの近さ」と「実現までの早さ」を天秤にかけ、後者が採用された。正式に軌道計画が出されたのは、軌道投入失敗からわずか3カ月後の2011年3月のことであった。2011年の正月、プロジェクトメンバーはみな落ち込んでいたが、後ろ向きな者は一人もいなかった。

4つのカメラによる金星疑似カラー画像。紫外線〜赤外線の単色の画像を波長の長短に合わせて着色。紫外線カメラUVI:紫色、1μmカメラIR1:橙黄色、2μmカメラIR2:橙色、中間赤外線カメラLIR:赤色。(提供:JAXA)
図3. 4つのカメラによる金星疑似カラー画像。紫外線〜赤外線の単色の画像を波長の長短に合わせて着色。紫外線カメラUVI:紫色、1μmカメラIR1:橙黄色、2μmカメラIR2:橙色、中間赤外線カメラLIR:赤色。(提供:JAXA)

やっと日本も惑星へ

 当初の計画からの変更点はあるのだろうか。前述のように、遠金点の距離が大きくなったが、近金点は400キロメートルでほぼ変わらない。また、2010年の計画では30時間で金星大気の運動に合わせて周回し、同じ雲や大気構造の1点を連続して観測可能な、言わば静止衛星的な軌道での観測であったが、今回は、9日間で金星を一周する軌道で観測することになり、遠くからのグローバルな観測も可能になる。

 搭載している赤外線カメラ、紫外線カメラ、電波による観測に顕著な劣化等の問題はなく、計画されていた観測はほぼ全て行なうことができるという。NASAのパイオニア・ビーナスが1978年、金星の軌道周回に成功し、金星地表の環境や天体質量を調査してから久しいが、未だ地球の隣にある惑星ながら、詳細な気象や分厚い雲の下の環境など不明な点は多い。「あかつき」は、2016年春から本格的に観測を開始し、雲の下の大気や、濃硫酸の雲の構造、火山活動や雷の存在の有無、時速400キロメートルの暴風の正体を確かめる。日本が最も得意とする最新鋭のカメラ技術を駆使して、世界に先駆けて金星大気、ひいては惑星気象学の最大の謎であるスーパーローテーション(超回転)の仕組みが明らかになる。

「やっとこれで日本はNASAの40年前に追いつくことができました。『あかつき』が金星に到達したことは大事な一歩ですが、まさにこれからです。日本も惑星に行けるんだよ、と世界にやっと言える時代が来たんです。」

(サイエンスライター 田端萌子)

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