サイエンスクリップ

糖尿病患者を支える血糖測定用酵素の構造解明

2015.11.18

 糖尿病患者の血糖コントロールのために発展を遂げてきた血糖自己測定器に、さらなる進化の兆しが見られた。早出広司(そうで こうじ)東京農工大学大学院工学研究院・生命機能科学部門・グローバルイノベーション機構教授、吉田裕美(よしだ ひろみ)同大学客員准教授・香川大学総合生命科学研究センター分子構造解析研究部門准教授、有限会社アルティザイムインターナショナル(東京都)は、現在世界中で利用されている血糖自己測定用の酵素の詳細な立体構造や酵素反応の仕組みを世界で初めて解明・公表した。この成果により、血糖値をより正確に測るための酵素が、人工的にデザインできると期待される。

糖をとらえるグルコース脱水素酵素

 その酵素とは、アスペルギルス属と呼ばれるカビから発見された「グルコース脱水素酵素」である。血液中のグルコースと反応する性質を持つことから既に血糖値測定に広く用いられている。だが、この酵素は発見から長い歴史があるにもかかわらず、その構造や反応機構は分かっていなかった。下の図が今回解明されたその立体構造だ。

カビ由来のグルコース脱水素酵素の立体構造
図.カビ由来のグルコース脱水素酵素の立体構造
出典:東京農工大学プレスリリースより

 酵素は20種類あるアミノ酸が連結してできたタンパク質で、立体的に決まった構造をしている。上の図の中心にある白と赤の球の小さな集まり付近に注目してほしい。この赤白の集まりがグルコース、血糖の正体だ。 このグルコースを「鍵」に例えると、鍵の周囲の「鍵穴」は活性部位と呼ばれ、本当にくぼんだような構造をして鍵と結合している。この活性部位のアミノ酸の配置が、酵素反応の仕組みの決め手となる。

 今回研究チームは、酵素のアミノ酸の配置を原子レベルで観測できるX線結晶構造解析法で、本酵素の活性部位のアミノ酸の配置を明らかにした。これにより、本酵素が血液中のグルコースを認識する仕組みが分かったのである。

血糖測定器で活躍する酵素開発の歩み

 現在多くの糖尿病患者は、高血糖状態による深刻な合併症を防ぐため、血糖自己測定器で血糖値を1日に何度も測定し、その値に応じてインスリンを投与し、血糖値を適正に保っている。

血糖自己測定器を使った自己測定。患者は専用の針を指先に刺し、出てきた血液を測定器のセンサーに染み込ませる。
図.血糖自己測定器を使った自己測定。患者は専用の針を指先に刺し、出てきた血液を測定器のセンサーに染み込ませる。

 自己測定器のセンサーには、グルコースに反応する酵素が搭載されている。染み込んだ血液中のグルコースに酵素が働いて電子が放出されるので、電圧をかけた電極でこの電子を拾う。流れた電流の大きさからグルコース濃度を換算する仕組みだ。センサーに搭載する酵素にはいくつか種類があり、その開発の歴史はとても興味深い。

 血糖自己測定器が登場した1970年代は、グルコースを認識する能力が極めて高い「グルコース酸化酵素」が主流だった。しかし、この酵素は、血中の酸素量によって血糖の値が左右されるのが欠点だった。

 そこで90年代には、 酸素の影響を受けないバクテリア由来の「グルコース脱水素酵素」が使われるようになった。ところが、糖尿病治療のために点滴を受けた患者が測った場合、実際の値より高く測定されてしまうという欠点があった。本来はグルコースだけと反応すべき酵素が、点滴に含まれるマルトース(糖類の一種)をグルコースと認識してしまうためだ。 誤って高く測定された血糖値を下げるために、インスリンを必要以上に投与してしまい、低血糖状態に陥り死亡した例が実際に報告された。

 2000年以降、アスペルギルス属と呼ばれるカビ(糸状菌)が産生するグルコース脱水素酵素が注目されるようになった。このカビ由来のグルコース脱水素酵素は、酸素に影響されることもなく、またマルトースとも反応しないことから、現在最新の血糖自己測定器に使われている。しかし欠点がゼロというわけではない。

 欠点のひとつは、グルコースと似たキシロースを区別できないことだ。だが、がっかりすることはない。今回の研究では、グルコースとキシロースを区別できるグルコース酸化酵素と本酵素の活性部位を比べ、キシロースを識別する機構の特定にも成功した。この情報があれば、現代の酵素デザイン技術を用いて、より完璧に近い酵素のデザインが可能だ。今回の成果を生んだ早出氏の研究室では、皮下に埋め込むタイプの血糖センサーの開発も進んでいる※1。血糖コントロールを気遣う患者の負担はますます軽くなっていきそうだ。

※1 体内埋め込み型センサーの開発/参考映像「東京農工大学『革新的バイオセンシング技術の開発』早出広司 工学研究院 教授」

糖尿病患者の負担軽減に役立つために

 早出氏は、次のようにコメントしている。「糖尿病の治療方法の発達とともに、血糖値を計測する技術の高精度化が求められています。今回の研究成果に基づき、患者の方の身体的負担を軽減しつつ、さらに正確で信頼性の高い血糖計測技術が開発されると期待しています」

 今世界中で糖尿病患者の増加が社会問題になっている。2014年、世界の糖尿病患者は約3億9千万人である。35年には約6億人に増えると推定されている※2。日本は特に糖尿病患者が多く、糖尿病が強く疑われる人は国民の12%に及ぶという※3

 糖尿病は血糖を適正値に保てば健常人と同じように暮らしていける。今回の発見が、どれだけ多くの人々の普通のくらしに貢献していくだろう。

サイエンスライター 丸山 恵

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