私は根っからゴリゴリのインドア男である。動物や恐竜は幼児の頃から好きだったが、それはTVや映画の怪獣の代償だったのかも知れない。詩歌に詠われるような美しい鳥や蝶々は「怪獣的でない」という理由でどうにもピンと来ないので、いまだに名前すら覚えられん。ナチュラリスト大失格。
そんな私でも、最小限フィールドへ出んことには仕事にならない。割とよく行く場所は沖縄で、1泊2日とかの出張(無茶なリゾート開発の差し止め訴訟立会人など)も含めれば50回程度。ちぇっ、マイレージちゃんと溜めときゃよかったな。
愚痴はさておき、私が沖縄に興味を持ったのも、60年代に「ウルトラマン」を製作していたプランナー兼脚本家、金城哲夫(故人)・上原正三の故郷だからである。金城哲夫は夭逝したが、上原正三はその後もうひとつのメジャー作「仮面ライダー」の企画にもかかわっている。
で、沖縄の中でも、その南端に近い西表島で動物の調査をすることがとりわけ多い。西表島は沖縄本島よりだいぶ狭いが、大小さまざまな川が流れており、特に浦内川は琉球列島最長(全長約19.4km)である。
浦内川は夏でも冷たい渓流から、複数の滝を経て、稀にはサメも遡上する日本最大級のマングローブ干潟に至る。そしてウミガメが産卵する最下流域の砂浜に至るまで、じつに変化に富んだ川なのだ。
兵庫県立尼崎北高校の鈴木寿之教諭の研究によれば、浦内川では360種を超える魚類の生息が確認されているという。これも鈴木さんからの受け売りだが、魚種の多さで定評の四国は四万十川で約120種、準大陸ともいえるニューギニアやボルネオの大河でさえ、240種ほどだそうな。浦内川だけでこれだから、他の河川の魚も加えればもっと凄いに違いない。
異常なまでの魚の多様性の根幹は黒潮によってもたらされている恵みだと思うが、甲殻類や貝類といった他の水棲動物も多様であるし、植物や鳥や爬虫類も然り。氷期が明けて海水準が上昇し、急速に陸地が狭くなったことで、キャパの割に多くの種がひしめくようになった面もあるだろう(この点は、多かれ少なかれ琉球の他の島々にもいえる気がする)。
そして、これらの生物同士は渓流から海へ、海から山へ、あるいは西表から近隣の海域を通じて他の島へと、密接に、複雑怪奇な網の目のように繋がっている。
生物多様性が高いことの意義は何だろう。観光客や研究者にとって面白いから? それも大事だろう。より本質的には、「生物が生き続ける新しい可能性をストックしておく場」なのではなかろうか。
たとえば、どこかの土地が何らかのカタストロフィーに見舞われたとする。生物多様性の高い西表のような場所が健在なら、遠い将来、地殻変動でその陸地と繋がりでもしたあかつきに、さまざまな生命をポンプのように送り出し、新たな生態系を構築する一助となるかもしれない。
でもしかし、多様性の高い現状というのは一面、脆弱さも含んでいる。なにしろ暮らせる土地は有限だから、1種類あたりの個体数は必然的に抑え目になる。種類によっちゃ、下手すりゃ子孫を残せるギリギリの個体数しかいないかもわからん。西表だって、開発を全部止めろとは言わんし、言えない。秘境のイメージが強いこの地にも昔から人が暮らしているし、専門書が何十冊から編纂できるほどたくさんの歴史・文化もある。
私だって動物を捕獲するし、標本にするためには殺生もするし。
だけど皆、「どれも絶滅危惧種が常態」だと覚悟して臨んだほうがいい。
しかも、これらがあるときは感心するほど合理的に、あるときはこじれた男女関係もかくや? と思えるほど難解に絡み合った生態系を紡いでしまっているのだ。たった1ヶ所弱いところが崩れただけで、そうでもないところまで全員ドミノ倒し的絶滅に発展する危険を孕んでいることは、まず自分が肝に銘じるとしよう。
富田京一(とみた きょういち) 氏のプロフィール
1966年福島県生まれ。肉食爬虫類研究所代表。日本生態学会自然保護委員会・西表アフターケア委員。主として沖縄県南部の爬虫類をフィールドワーク。世界各地の恐竜発掘現場を野次馬的に見て歩き、各地で開催される恐竜博や、CGによる恐竜復元にも関わる。いっぽうでは、幼稚園から大学までと、やたら幅広く理科教育にも携わっている。「日本のカメ・トカゲ・ヘビ」(山と渓谷社)「トミちゃんのいきもの五十番勝負」(小学館)など著作多数。