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社会技術研究開発は理系文系融合でまず壁に?

2010.02.22

 当サイトでは、橋渡し研究が非常に難しい現実を何度か紹介した。ところが専門領域が違うと言葉が通じないし、交流、対話そのものがそもそもほとんどない。20日都内で開かれたシンポジウムで日本の学界が抱える縦割りの弊害を浮き彫りにする発言が目立った。

 シンポジウム「脳科学が取り持つ理系と文系の融合-科学技術の未来へのキーワード」には、「領域架橋型シンポジウムシリーズ」という頭書きが付いている。主催者は、科学技術振興機構社会技術研究開発センターの「脳科学と社会」研究開発領域(領域総括・小泉英明 氏・日立製作所役員待遇フェロー)だ。この3月で2001年度から続いていた研究開発期間が終わり、これが最後のシンポジウムになる予定という。

 「脳科学と社会」の柱となる研究開発プログラムは「脳科学と教育」だ。この中のプロジェクトの一つ「言語の発達・脳の成長・言語教育に関する統合的研究」(研究代表者・萩原裕子 氏・首都大学東京大学院人文科学研究科教授)は、言語習得のメカニズムを脳機能計測により明らかにし、日本人の英語学習への科学的基盤を提供することを狙ったものだ。

 英語教育に関しては、09-11年度の3年間で小学5、6年生に英語の授業が取り入れられることが決まっており、既に一部は実施されている。これは中央教育審議会の審議を経て決まったものだが、実質的な議論をしたのは外国語専門部会で、萩原氏も専門部会委員の一人。ところが氏によると専門部会の5年間の議論は生物学的、あるいは脳に関する科学的データが何一つない中で行われたという。

 萩原氏らが「脳科学と教育」プログラムの中で行ったことは、脳波形などを供えた「移動脳機能計測車」を1年に1回、研究対象となった小学校に運び込み、6歳から11歳までの小学生約450人に言語テストや脳波などの計測を続けるというものだった。06年から09年6月まで3年間の追跡研究で分かったことは、英語を覚えるときの脳部位の反応の変化は日本語を覚えるときに見られたものと変わりない、ということだった。

 英語も日本語も脳の反応が同じということは、この研究結果から見る限り、英語教育を早く始めても母語である日本語の習得に悪い影響があるとは言えない、ということを意味する。ただし、今回の研究は単語レベルの理解がどうかを脳波の計測結果などから調べただけ。これだけで明確に言えることは限られており、英語を教えるのは早ければ早いほどよいとも言い切れない。言語が習得できたかどうかは、文法の理解がどうかなどさまざまなデータを見て判断しなければならないからだ。まして小学1年から始めた方がよいか、それとも3年、あるいは5年からの方がよい、などということもまた今回の研究成果だけからは分からない、ということらしい。

 一方、これだけの研究成果を得るだけでも大変な苦労があったことを萩原氏は明らかにしている。教育委員会や校長の対応がさまざまで意欲的な教育主事の協力がなかったら研究ができたかどうかも定かではなかった、という。さらに興味深い発言は、言語テストの問題をつくるだけでなかなか意見が一致しなかったということだ。研究グループ内のコミュニケーションが難しかったということである。萩原氏の専門は言語学で、意見が合わなかった言語教育学の研究者とは非常に近い学問領域、としか一般の人間には見えないだろう。ところがこれらの専門分野ですら「近いほど遠い関係」にあり、意見がかみ合わず、そもそも日ごろ交流がほとんどないらしい。

 また、前例がないほど多数の双生児を対象に遺伝と環境の影響を追跡研究した安藤寿康 氏・慶應義塾大学文学部教授(行動遺伝学、教育心理学)の発言も興味深いものだった。同じ文系の研究者と話が通じなく、むしろ理系研究者と理解し合えたケースもあった、とプラス面を述べる一方で、文系と理系の融合の難しさを次のように語っていた。

 「エビデンス(証拠)より思想の方が重要。エビデンスだけではものは言えない、という文系の研究者は多く、理系研究者との文化の違いはなかなか埋められない。二つをバランスよく育むことができるような教育制度をつくっていくことも大事ではないか」

 今年度で研究開発期間が終わるプロジェクト「脳科学と社会」は、脳科学の研究成果を社会に還元するという狙いから始まった。「脳」に焦点をあて、社会のさまざまな局面で起きる事象を解くというに意欲的なプロジェクトとして、費用と期間が十分だったのだろうか。あるいはプロジェクトの狙いが高望みすぎはしなかったか。

 いずれ最終評価が出たときに明らかになるだろうが、ただ、シンポジウムを聞いた参加者の多くが次のような印象を抱いたことは間違いないように思われる。

 「先端技術・自然科学と人文学・社会科学を架橋・融合したTrans-disciplinary(環学的)な視点から取り組む」というプロジェクトの目標に掲げられた研究手法そのものが、日本の学界の縦割り構造では非常に難しかったのではないか、と。

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