レビュー

リンカーン大統領の功績

2009.01.21

 オバマ米大統領就任をめぐるニュースの中で、新大統領がリンカーン大統領をいかに尊敬しているかを示す事例が何度も紹介されている。フィラデルフィアから鉄道でワシントン入りしたのもリンカーン大統領にならい、宣誓の時に使った聖書も同じ、などなどだ。奴隷解放をめぐり国内を二分する南北戦争で勝利し、その後いち早く国内融和に努めたリンカーン大統領に新大統領が特段の敬意を払うのは、十分理解できることではないか。

 さて、そのリンカーン大統領が、米国の科学者、工学者を代表する機関である全米科学アカデミーを設立した業績についてはあまり報道されていないようだ。全米科学アカデミーのホームページ

 には、設立の経緯が次のように書かれている。

 全米科学アカデミーは、南北戦争のさなかの1863年3月3日、「Act of Incorporation」にリンカーン大統領が署名し、発足した。以来、科学(science or art)に関するいかなる政府機関からの要請に対しても研究、調査、審議、実験をして報告する任務を果たしてきた。

 全米科学アカデミーは、米政府の最大でかつ最も信頼されるシンクタンクの役割を担ってきた、と自認しているということだろう。

 オバマ大統領が既に打った手の中で政府機関要職への科学者の重用が挙げられている(1月19日ハイライト・黒川清 氏・政策研究大学院大学教授「2030年までに食糧・エネルギーの純輸出国に」参照)。全米科学アカデミー自身もニュースとして、6人の科学アカデミー会員が新政権の要職にオバマ大統領から指名されたことを誇らしげに伝えている。6人とは次の人々だ(かっこ内は、指名時の職)。

  • スティーブン・チュー・エネルギー省長官(ローレンス・バークレー国立研究所長、ノーベル物理学賞受賞者)
  • ジョン・ホールドレン大統領科学顧問・科学技術政策局長(ハーバード大学教授)
  • ジェーン・ラブチェンコ海洋大気局長(元・国際科学会議(ICSU)会長)
  • ローレンス・サマーズ国家経済会議(NEC)委員長(元・ハーバード大学長)
  • ハロルド・バーマス大統領科学技術諮問委員会共同議長(元・米国立衛生研究所(NIH)長、ノーベル医学生理学賞受賞者)
  • エリク・ランダー大統領科学技術諮問委員会共同議長(ハーバード大学教授)

 こうした全米科学アカデミーの実績、役割と比較して、日本学術会議と政府との関係はどうだろうか。首相、主要閣僚、日本学術会議会長を含む有識者から成る総合科学技術会議が、科学技術政策の優先順位を決めるという仕組みはできている。しかし、議論のもとになる調査・審議データはだれがつくっているのか。各省がそれぞれ一本釣りした研究者たちでつくる審議会などで検討したものを参考に、それぞれの省が用意したものが基礎資料になっているのが実情だろう。各省が自分たちの都合で集めた人たちから成る審議会は、真の第3者機関とは言えまい。各省の意向に真っ向から反する審議結果は出しにくいはず、と国民の多くが思うのは当然だろう。政府が政策決定に必要とする研究、調査、審議などは原則、第3者的色合いがはっきりしている日本学術会議が引き受けるべきではないか。全米科学アカデミーと米政府との関係のように。

 これに対する金澤一郎・日本学術会議会長の答えは、「今さまざまな審議会が果たしている役割は、学術会議が引き受けるのが本来の姿だとは思うが、いま、すべて学術会議にやってほしい、そのための予算も付ける、と言われたら対応できない。相当大変な作業になるから」というものだ(インタビュー・金澤一郎 氏・日本学術会議会長「社会の期待にこたえるアカデミーに」1月16日第3回「答申、提言の実現にも努力」参照)。

 60年前に学術会議ができたときに、当時の文部省は文教予算の配分を学術会議に任せた。その後、文部省の下に学術審議会ができ、学術会議と文部省も仲違いしてしまった。いろいろな審議会ができてきたのも予算の配分権が学術会議から離れたころから—という過去の経緯について説明があったうえで述べられた現状認識である。「鶏が先か卵が先かという話」(金澤会長)で、一挙に現状を変えるのは困難ということだ。

 現在の仕組みを一挙に変えるのは難しいが、改善する必要があると金澤会長が認めるもののひとつに、大きな予算を必要とする研究課題がある。宇宙開発や大型加速器を必要とする素粒子研究といった研究分野にどこまで国の予算をつぎ込むか、具体的に提案された研究プロジェクトが日本として本当にやる価値があるかどうか。こうした問題について、その分野の研究者だけでなく、アカデミーとしてもっと意見を言うべきではないか、ということだ。

 金澤会長が認めるように、結局、大型プロジェクトをやりたい研究者は直接政治家に直談判した方がよい結果を得る早道となっている現実がある。この分野だけにそこまで国費を投入する必要はないのでは、という声が他の分野の研究者からは出てこない、出そうと思っても出す場がないということだ。

 一方、科学技術政策を立案、決定するうえで大きな役割を果たしてきた官僚側には、現状の日本学術会議に対する期待は非常に小さいのが現実だろう。研究者主導で、科学技術政策の立案、調整、優先度付けなどできるわけがない、と恐らく思っている。例えば宇宙開発についてなら、宇宙開発委員会が自ら分科会を設けるなどして、十分、審議、検討しているから問題ないと言うだろう。しかし、分科会の構成などは、宇宙開発委員と事務局である官僚が決めるわけだ。これもまた、真の第3者機関といえるか疑わしい。

 アカデミーがもっと影響力を持つべきだと考える一般国民は多いように思われる。日本学術会議の役割を大きくすることを、学術会議自身は当然のこととして、皆がもっと考えてよいのではないだろうか。

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