火星に見事着陸した米探査機「フェニックス」が、表面の土を採取したことは当サイトのニュースとしても取り上げた(2008年6月2日ニュース「火星探査機が火星の土採取」参照)。その後、せっかく採取した土が分析装置内にうまく取り込めなかったという続報をNASAのホームページで見た。研究者たちは真っ青だろうなと同情していたら、どうやら次の試みでうまく行ったらしい。火星の土の中に果たして水があるのかどうか、有機物はどうかといった分析結果も近々、発表されるのだろう。
一方、日本でも研究者たちをがっくりさせるような事態が起きている。一部でしか報道されていないが、国際宇宙ステーションで実験中の植物「シロイナズナ」が、作業ミスと給水設備のトラブルから実験継続を断念、「ディスカバリー」に搭乗している星出彰彦・宇宙飛行士によって地球に持ち帰られるということのようだ。欧州宇宙機関(ESA)の実験棟「コロンバス」内で行われていた茎の成長と無重力の関係を45日程度かけて調べる実験の途中とのことである。有用なデータが得られなかったとすると、東北大学と大阪市立大学の研究者にはお気の毒と言うほかない。
これらの話から、思い出したことがある。
1983年11月にスペースシャトルによって打ち上げられた実験装置の中に、SEPACという日本の実験装置が含まれていた。大林辰蔵・宇宙科学研究所(当時、現宇宙航空研究開発機構)教授が責任者だった人工オーロラを発生させる実験装置である。実験は失敗してしまったのだが(紛れ込んでいたナットのために電子銃の電源が入らなかったのが原因といわれている)、その前に大林教授に取材し、これは大変な話だと思ったものだ。シャトルに実験装置を積み込むまでにNASAとのやりとりに要した手間、時間は膨大で、NASAと交わした文書を積み上げたらものすごい高さになる、と教授が苦笑していたのを思い出す。
シャトルは無論、有人宇宙機だから、無人ロケット実験と比べると。安全のチェックがはるかに厳重ということだった。当時、日本はロケット開発で手一杯のため、国としてはシャトル計画には参加していない。大林教授も、実験装置を積ませてもらうだけでありがたい、という感じではあったが。さて、レーガン米大統領の提唱で始まった国際宇宙ステーション計画には、日本は当初から参加した。まずは地球周回飛行中のシャトル内で行う実験として計画したのが「第1次材料実験計画(FMPT)」である。シャトル計画が当初言われていたより遅れたため、92年9月、毛利衛・宇宙飛行士が乗り込んだシャトルで計画はようやく実施された。材料系22、ライフサイエンス系12の実験が行われている。終わりよければ、すべてよしという見方もあるだろうが、この計画のスタートを取材したときの“衝撃“はいまだに忘れられない。
当初、実験提案を募ったところ、さっぱり手が挙がらなかったというのである。実験が無事行われるまでに要する手間や時間に加えて、何らかの理由で実験がうまく行かず、何のデータも得られない。そんな結果に終わるリスクを考えると…。確か、そんな話であった。
宇宙がらみの話で、一番厄介なのは、時間ではないだろうか。研究者として脂の乗った時期にうまく研究のピークを持って来ること自体が、えらく難しそうだから。