これまで知らなかったが、渋谷駅近くの新しい高層ビル「セルリンタワー」の中に、立派な能舞台がある。
その「セルリンタワー能楽堂」の5周年記念公演「語り・舞・能舞〜馬場あき子による『橋姫』の世界」を、当サイトの編集アドバイザー(編集分科会委員)の一人、G氏と鑑賞した。
G氏の古くからの知り合いというおかげで、編集者も友人のように接することができる邦楽家、西松布咏さんが、出演するためだ。
能舞、地唄・舞、語り(女流義太夫)と、分野を異にする3組の演者が、同じ演目「橋姫」を競演するというぜいたくな舞台である。西松布咏さんは、地唄・舞の作曲を担い、地唄、三弦を演奏した。
地唄をはじめ、これら古典芸能について、きちんと教えを乞うたこともなければ、勉強もしていない不心得な鑑賞者なので、演奏の出来栄えについて言及する資格はない。
ただ、最も音楽性が豊かだ、と感じ入った西松布咏さんの唄・三弦から、他の演者による女流義太夫、能舞と鑑賞するうち、表現がだんだん激しくなるのが面白かった。同じ「橋姫」の詞(馬場あき子作)を基本にしているのに、である。
「恨みの鬼となって 人に思い知らせん うき人に思い知らせん」
面を鬼に付け替えたシテが、激しく舞い、謡う能舞の最後の場面は、とりわけ相当な迫力を感じた。「思い知らせん」相手とは、裏切った男のことで、話は要するに男女関係のもつれの果てということなのだろうが、ふと、現代の日本社会に生きる女性から、男全体に突きつけられた言葉であるかのような“妄想”にかられた。
日本学術会議「学術とジェンダー委員会」主催のシンポジウム「ジェンダー視点が拓く学術と社会の未来」(10月30日「編集だより」参照)や、同委員会の提言(11月27日ニュース参照)の記憶が鮮明だったためだろうか。
科学者コミュニティー、行政・研究機関、マスコミ・企業・一般市民のいずれに対しても、男性中心の見方を排し、ジェンダー視点を取り入れることを迫っていた…。