レポート

未来社会の担い手たちと若きムーンショット研究者が交流 内閣府が橋渡しして理解を促進

2026.02.12

関本一樹 / サイエンスポータル編集部

 気候変動による災害の甚大化や、国家間の対立などを背景にした食料やエネルギーの安定供給問題など、今日の社会には課題が山積する。将来への不透明感が増す中、2050年に向けて野心的な目標の達成を目指す取り組みが「ムーンショット型研究開発制度」だ。国内の英知を束ね、大胆な研究開発を推進している。ただ、その成果は従来の常識を根底から変える可能性もあるため、市民が手放しで受け入れるのは容易でない。そこで今回、制度を司る内閣府が理解促進のため次世代を対象に実施している「“未来社会の担い手×ムーンショット研究者"交流会」を取材した。

新渡戸文化中学校(東京都中野区)で開かれた交流会の様子
新渡戸文化中学校(東京都中野区)で開かれた交流会の様子

社会や環境の課題を自分事にできる機会

 内閣府が破壊的イノベーションの創出を目指し、大胆かつ挑戦的な研究開発を推進するムーンショット型研究開発制度。2050年(一部は2040年)の「人々の幸福(Human Well-being)」に向けて10の目標を設定している。目標の達成には、技術的な課題はもとより社会との合意形成が必要なものがほとんどだ。そのため各目標ともに積極的なアウトリーチを展開し、国民の理解と応援を得ることにも尽力している。

ムーンショット目標の一覧。遠隔技術や量子コンピューターのようなトレンドの研究テーマもあれば、健康や食、そして心の安寧といった誰しもに関わる身近な目標も含まれる(内閣府提供)
ムーンショット目標の一覧。遠隔技術や量子コンピューターのようなトレンドの研究テーマもあれば、健康や食、そして心の安寧といった誰しもに関わる身近な目標も含まれる(内閣府提供)

 とりわけ内閣府が重視しているのが、2050年に社会の中心世代となる中高生との対話だ。「“未来社会の担い手×ムーンショット研究者"交流会」を2023年度に立ち上げ、これまでに13件の中学校・高校で、研究者と生徒の対話を橋渡ししてきた。

 交流会を担当する黒井聖史さん(内閣府科学技術・イノベーション推進事務局政策調査員)は、その意義について「ムーンショットは良い制度だと自分自身も思っています。一方で若い人にとっては、距離を感じるようなテーマが多いかもしれません。交流会で講師の研究者から身近に起きている事象を絡めて語ってもらうことで、社会や環境の課題を自分事にできる機会になればと考えています」と語る。

「気象制御」に参画している研究者が出前授業

 今回は1月19日に行われた交流会を取材した。訪れたのは東京都中野区にある新渡戸文化中学校。2007年まで発行されていた5千円札の肖像や著書「武士道」で知られる教育者の新渡戸稲造が、前身「女子経済専門学校」の初代校長を務めた開校99年目を迎える伝統校だ。

新渡戸文化学園建学の精神は「Veritas vos Liberabit(真理はあなたがたを自由にする)」。創立者である新渡戸稲造、森本厚吉が学んだ米ジョンズ・ホプキンズ大学の教育標語でもある
新渡戸文化学園建学の精神は「Veritas vos Liberabit(真理はあなたがたを自由にする)」。創立者である新渡戸稲造、森本厚吉が学んだ米ジョンズ・ホプキンズ大学の教育標語でもある

 内閣府が今回の講師として派遣したのは黒澤賢太さん(千葉大学環境リモートセンシング研究センター特任研究員)。目標8「2050年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現(気象制御)」に参画している。今回は中学2年生53人を前に出前授業を行った。

「中学生を相手に授業をするのは初めて」と緊張した面持ちで壇上に立った黒澤さん
「中学生を相手に授業をするのは初めて」と緊張した面持ちで壇上に立った黒澤さん

「富岳」も活用、「予報精度を高めるしかない」

 目標8が目指すのは、人為的な介入による台風や集中豪雨などの被害を軽減させること。例えば積乱雲へのドライアイス散布(シーディング)や、数百メートルサイズの巨大な抵抗物を洋上に設置することで、地上への降水量抑制などを目指す。300人を超す研究者がそれぞれ研究テーマを持って挑む中で、黒澤さんは地球全体の雲と雨の動きをシミュレーションする役割の一翼を担っている。

黒澤さんが参画する目標8の小槻プロジェクト。気象シミュレーションをもとに、さまざまな技術を結集させて集中豪雨被害の緩和を目指している(千葉大学提供)
黒澤さんが参画する目標8の小槻プロジェクト。気象シミュレーションをもとに、さまざまな技術を結集させて集中豪雨被害の緩和を目指している(千葉大学提供)

 黒澤さんは気象制御の実現に向けた自身の役割について「天気予報の精度を高めるしかない」と力を込めて語った。既に日本一のスーパーコンピューター「富岳」も活用し、今できる最高性能でのシミュレーションを行っているというが「よりコンピューターの予測精度を高める必要がある」という。

 実際、計算やシミュレーションで導き出す予測には限界がある。一般的な天気予報でさえ今も外れることは少なくない。日進月歩で予測精度が向上してもなお自然現象の解明は難しく、その発展系である気象制御はさらに難しい。

AIでも答えの出ない悩みは残る

 しかし昨今、精度を飛躍的に高める技術が登場した。AIだ。面倒な計算やシミュレーションをしなくても、過去の気象データをAIに学習させておくことで、例えば今日の天気図を見せれば、明日の天気図を描けるようになってきた。既に気象庁が天気予報への活用を進めており、今後の精度向上を支えていくことは確実だという。

 黒澤さんは研究者が抱える悩みとして「皆さんが住む東京で大雨が降らなくなる代わりに、おじいちゃんやおばあちゃんが暮らす別の地域で大雨が降るようになったらどう思う?」と投げ掛けた。AIでも答えの出ない問いを前に、生徒たちの眉間にはしわが寄る。その様子を見て黒澤さんは「研究者も同じように悩んでいるんです。だからみんなで考えないといけない」と、研究者も生徒たちと同じ悩める1人の人間であることを率直に打ち明けた。

 黒澤さんは現在32歳。若き研究者を生徒たちも等身大の存在として身近に感じたのだろう。質問の中には「好きな食べ物は?」といった微笑ましいものもあった。黒澤さんも中学生の日常に寄り添いながら「天気予報が先端の研究とつながっていることがわかったと思う。普段の行動の延長で天気予報アプリを見たり、SNSで災害の情報を調べたりすることが研究との接点になる」とメッセージを送った。

中学生らしい質問が目立つ、シーディングは夢物語ではない

 質疑の時間では黒澤さんが「いまどきの中学生らしい」と振り返ったように、AIに関連した質問が目立った。

 「生成AIの大本は人間が持つ情報。私たちも進化しないとAIも進化できないのでは」「気候変動によってこれまでになかった気象現象が起きているというが、未知の現象をAIは想像できるのか」といった質問に対して黒澤さんは指摘を認めつつ、気象制御研究に用いるAIはChatGPTやGeminiなどの生成AIとは異なり、学会などで発表された論文や人工衛星の観測データなどを重点的に学習させることで信頼性や予測精度を高めていると説明した。

 一方、シーディングについて「実際にどの程度のドライアイスが必要なのか」と踏み込んだ質問に対しては、富山で1月13日までに行った実験を引き合いに「小さな飛行機に積める程度の、さほど多くない量で実証できた。だから夢物語ではない」と期待感をのぞかせた。

 さらに「地形によって雨量や被害の程度が変わる話が勉強になった」との感想には、九州に線状降水帯が多く発生する理由として、山の多い地形が積乱雲をせき止めているからだと解説。逆に東京や大阪が都市として発展できたのは、山が少なく豪雨被害を受けにくかったためだとし、角度を変えて歴史的背景などにも目を向ける重要性に触れた。

グループディスカッションの時間も2度設け、天気や気象制御研究に係るそれぞれの感想や価値観をぶつけ合うための工夫を取り入れた
グループディスカッションの時間も2度設け、天気や気象制御研究に係るそれぞれの感想や価値観をぶつけ合うための工夫を取り入れた

生徒は研究自体に興味、方向はさまざま

 参加した生徒たちに感想を聞いてみた。「これまで天気予報をあまり見ていなかったが、今後は意識的に見てみたい」「天気予報にコンピューターやAIが使われていることなど知らないことばかりで、気象に興味が出た」と関心喚起につながったことが伝わる感想もあれば、「研究者と接するのは初めて。義務教育では習えないことばかりですごいと思った」と研究という営み自体への興味を得たものもあった。

 中学生向けに初めて授業を行った黒澤さんは「興味を持って聞いてくれて本当に嬉しかった。みんなAIに興味があるんですね。AIは気象制御の研究はもちろん、今後の社会全体で必ず重要になるので、使い慣れてほしいです」と安堵の表情を浮かべながら振り返ってくれた。

 交流会を見届けた黒井さんに感想を聞くと「興味の方向がさまざまでしたね。AIに興味を持った人もいれば、ドライアイスの量が気になった人もいた。それぞれに社会課題や研究開発に関心を持ってくれて良かったです」と目尻を下げていた。

二人三脚で生徒のための場づくりを

 黒井さんには、他校で行われた交流会でユニークなものも尋ねてみた。

 清泉女学院中学高等学校(神奈川県鎌倉市)は、食と農をテーマにした目標5「2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出」を題材に、シリーズ方式で複数回交流会を活用している。目標5を総括する千葉一裕さん(東京農工大学学長)の講演からスタートし、論文探索の手法や女性リーダーとしてのマインドセットなども学びながら、最終的には研究チームに向けた提言書の作成を目指して取り組んでいるという。

清泉女学院中学高等学校で中学1年生から高校2年生までを対象に講演する目標5の千葉プログラムディレクター。学長を務める東京農工大学への生徒見学会も計画しているという(内閣府提供)
清泉女学院中学高等学校で中学1年生から高校2年生までを対象に講演する目標5の千葉プログラムディレクター。学長を務める東京農工大学への生徒見学会も計画しているという(内閣府提供)

 このほかにも中高生と家族、あるいは地元市議などが膝を突き合わせる形で、ムーンショット研究が切り拓く未来のあり方について議論した回など、活用方法はさまざまだ。

 黒井さんは交流会について「色々な使い方をして欲しい」と前置きした上で「内閣府が全てを決めることはしません。大事なのは学校の先生が『交流会で何を実現したいか』です。それを明確にしてもらった上で、二人三脚で生徒のための場をつくっていきたい」と力を込める。

情熱のミックスで未来ビジョンが拓けてくる

 実際にこの日も、黒澤さんと掛け合いながら生徒の発言を引き出していた蓮沼一美さん(新渡戸文化中学校・高等学校教諭)の存在が際立っていた。蓮沼さんは日本科学未来館(東京・お台場)でサイエンスコミュニケーターとして活躍後、同校に赴任。科学技術への理解に加え、立場の違いを媒介するコミュニケーションスキルをもって、中学生と研究者の隔たりを埋めていた。

場の雰囲気やレベル感を中学生目線に落とし込むことで黒澤さんを支えた蓮沼さん。研究と理科の授業とのつながりを意図したそうで「研究者から直接話を聞ける機会は貴重。意欲が高まり、思った以上に多くの質問が出た」と手応えを口にした
場の雰囲気やレベル感を中学生目線に落とし込むことで黒澤さんを支えた蓮沼さん。研究と理科の授業とのつながりを意図したそうで「研究者から直接話を聞ける機会は貴重。意欲が高まり、思った以上に多くの質問が出た」と手応えを口にした

 ただ、筆者は内閣府の手厚いサポートが大きかったと感じており、実際に蓮沼さんも「事前打合せのおかげで当日の流れを想定しやすかったです。黒井さんが丁寧、的確、迅速に対応してくれたので大した負担もなく、安心して当日を迎えることができました」と交流会の活用にあたっての負担が少なかったと同調してくれた。

 ムーンショット研究者、学校教員、そして内閣府。それぞれが持つ情熱を、交流会を通じてミックスさせることで、中高生に2050年の未来ビジョンが拓けてくる―そう感じさせる熱い場を体感できた。

黒澤さん(前列中央)を囲む生徒たち。授業中の真剣なまなざしから一転、中学生らしい無邪気さも見せてくれた
黒澤さん(前列中央)を囲む生徒たち。授業中の真剣なまなざしから一転、中学生らしい無邪気さも見せてくれた

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