理化学研究所(理研)は「世界が抱える課題の解決には科学・技術の力がますます重要になる」と考え、毎年、中高大学生を対象にした科学講演会を催している。47回目となった昨年は、国連が2025年を「国際量子科学技術年」に定めたのに合わせ、「No 量子,No Life!」をテーマに掲げた。私たちの生活にも生かされつつある量子科学は、今後も多くの技術につながると期待される。量子コンピューターをはじめとする理研の専門家が最先端の研究を紹介した(25年9月7日、東京・お台場の日本科学未来館で開催)。

ミクロの世界の現象を説明する「量子力学」
リンゴが木から落ちる、太陽の周りを惑星が回る――。私たちが日常的に目にする現象は、ニュートン力学(古典力学)によって説明できる。その一方で、原子やそれを構成する原子核、電子のように小さくなると、ニュートン力学では説明できない現象が起こる。こうしたミクロの世界の現象を説明するために誕生したのが量子力学だ。
国際量子科学技術年は、ドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが量子力学の基本的な理論を発表した1925年から100周年の節目を記念して定められた。世界中で量子関連のイベントが開かれており、今回の講演会もその1つだった。

これまでの100年間、量子力学は多くの研究者によって研究され、議論され、発展してきた。量子の世界の特徴といえば、マクロの世界では同時には起こり得ない現象が起こることだ。粒子と波の両方の性質を併せもつ「粒子と波の二重性」、1つの粒子が同時に複数の状態をとることができる「量子重ね合わせ」、複数の粒子間で量子状態が共有された場合、一方の状態が決まるともう一方の状態も決まる「量子もつれ」などが知られている。
これらの現象を日常生活で目にすることはないが、量子力学はすでにスマートフォンやテレビ、GPSなどの技術で生かされている。
超高性能のコンピューター、20年以内に普通に使えるように
最初に登壇したのは、阿部英介さん(量子コンピュータ研究センター 超伝導量子エレクトロニクス連携研究ユニット ユニットリーダー)。

私たちが日常的に使っているコンピューター(古典コンピューター)は、電流のオンを1、オフを0とする「ビット」によって情報の伝送や計算をする。一方、量子コンピューターは、量子重ね合わせの性質を利用して0と1が同時に存在する「量子ビット」により、はるかに高効率の計算を可能にする。1981年にリチャード・ファインマンが「自然現象をシミュレートしたいなら、自然界の法則である量子力学そのものを計算に使うべきだ」と発言したことをきっかけに開発が始まった。
以来、世界中で量子コンピューターの研究開発が進んでいる。理研では1999年、中村泰信さん(量子コンピュータ研究センター長)が超伝導回路による世界初の量子ビット(超伝導量子ビット)を実証し、この分野のパイオニアになった。
その中で阿部さんらのチームは、1センチ角のチップ上に16量子ビットに相当する超伝導人工原子を配置した「量子ビットチップ」を開発したという。「この量子ビットチップはマクロのサイズですが、『量子重ね合わせ』や『量子もつれ』といった量子力学の法則に従って動作します。この性質によって古典コンピューターよりも膨大な情報を素早く処理できます」。

阿部さんは各要素技術の開発後、それらを統合して日本初の量子コンピューター「叡(えい)」の完成を目指しているという。ただ、開発の現状に関する自己評価はなかなか厳しく、「量子コンピューターは、まだ何ら期待に応えられていません」。
それでも、「20年以内に量子コンピューターが当たり前に使える時代にしたい」と目標を示した。理研が所有するスパコンとのハイブリッド運用など、量子コンピューターがその力を早期に発揮できる環境を整えようと考えながら研究を進めているそうだ。
「宇宙のどこにもない物質」で100年後の未来を変える
続いて登壇したのは、博士号を取得して4年目の若き研究者、藤代有絵子さん(創発物性科学研究センター極限量子固体物性理研ECL研究ユニットリーダー)。物質中に潜む電子の「量子力学のパワー」を引き出し、宇宙のどこにもない物質を作ろうとしている。

現在、材料開発の世界では、データサーバーやメモリ素子、電力用や通信用のケーブルなど情報社会を支えるインフラ技術の省エネルギー化・コンパクト化につながる新規物質の開発が求められている。
物質の性質や機能には電子が大きく関与していることから、研究者たちは、物質中の電子が集まった時の振る舞いに注目している。そうした電子の振る舞いは、量子力学の法則に従うのだという。
藤代さんは大学生の頃から、「磁気スキルミオン」と呼ばれるトポロジカルな性質をもつ(変形しても性質が保たれる)電子のスピン構造を研究してきた。高圧力下で新しいトポロジカルな磁気構造を発見するなど、これまで大きな成果を上げている。
「以前は『結局、地球上の環境で作ることができる物質は限られている』と悔しい思いをしていたのですが、圧力を変えると思いもよらない物質ができることがわかって感激しました」。藤代さんは高圧研究にとりつかれたそうで、理研に入所してからもダイヤモンドアンビルセルという加圧装置などを使い物質の超高圧実験を続けていると話した。

「私たちが探索している物質は、社会ですぐに役立つものではありません。しかし、100年後の未来を根本から変えるかもしれない。そう思うとワクワクします」。情報社会が進展し、いよいよ新しい物質が必要となるとき、藤代さんのチームが研究している物質が活躍の場を得ているかもしれない。
2000億年後も正確な原子核時計、持てる技術を結集して作る
最後に登壇したのは、2000億年たっても1秒もずれない原子核時計を作ろうとしている山口敦史さん(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 専任研究員)だ。

山口さんはまず、そもそも時計がどのような仕組みで時を刻んでいるのかを説明した。「周期的な現象を起こす発振器と、その振動を数えるカウンターからできています。現在よく使われているクオーツ時計では、電圧をかけると1秒間に3万回振動する水晶が発振器として使われています」。
1秒間の振動数を増やせば増やすほど、より正確な時計を作ることができるという。例えば、1967年から「1秒」の定義に用いられているセシウム原子時計の場合、セシウム原子が吸収するマイクロ波が発振器となり、1秒間に約90億回も振動する。これを基準に作られたのが、約3000万年たっても1秒もずれない時計だ。
そこまで正確な時計がありながら、どうして原子核時計を作ろうとしているのか。山口さんは「原子時計は、周囲の電場や地球の磁場などの影響をどうしても受けしまいます。一方、原子核は原子の10万分の1ほどのサイズなので周囲の影響を受けにくいのです」と述べた。
研究を始めたころは、原子核が吸収する光のエネルギーが大きく、発振器となるレーザー光を作ることができないという壁に突き当たってしまったという。その後、トリウム229の原子核が低いエネルギーの光をも吸収できることを発見したのがブレークスルーとなり、2000億年で1秒もずれない時計の開発が本格化したそうだ。
「さまざまな壁に突き当たってきましたが、その都度、理研が持つ技術に助けられました」と山口さん。超高性能の原子核時計の研究開発には、理研の技術の粋が集められていることを強調した。
興味あるテーマを見つけ、一歩踏み込もう
講演会の最後には、登壇者の3人と司会の寺倉千恵子さん(創発物性科学研究センター 強相関物性研究グループ 上級技師)による全体ディスカッションと質問セッションがあった。
最初に「研究でワクワクする瞬間」が話題になり、3人とも「世界初の瞬間に自分だけが立ち会えること」と口を揃えた。
一方、研究者を目指すようになった時期については、子供の頃から研究者を身近に感じていた藤代さん、高校時代の化学がきっかけで意識するようになったという山口さんに対して、阿部さんは非常に遅く、海外留学や論文執筆を経験した後の博士課程になってからだったそうだ。
研究者を目指そうとした時期は違っても、好きなテーマを見つけて追究した結果として研究職を続けてこられた点では共通している。なかなか成果が上がらなくて辛い時も、好きな研究だからこそ乗り越えられたという。

「研究で行き詰まったときの対処法は?」という質問に対して、藤代さんは「理研にはさまざまな分野の研究者がいる。相談してみると解決の糸口が見つかる」と回答。阿部さんは「人や環境とのめぐり合わせがとても大事だ」と、自身の研究人生を振り返りながら答えた。また、「研究者に必要な資質は?」との質問には、寺倉さんが「自分で課題を見つけて解決する力」を挙げた。
閉会にあたって山口さんは「これからいろいろなことを知れば、ビビッとくるものがあるはず。興味を持ったら一歩、踏み込んで欲しい」と若者たちにエールを送った。国際量子科学技術年の科学講演会は、重要さを増す量子科学の最新研究の現在地と、その根底にある想いやモチベーションを知ることのできる貴重な機会となった。
関連リンク
- 理化学研究所 科学講演会2025「No 量子, No Life!―量子科学がつくる未来の技術―」
- 理化学研究所YouTubeチャンネル再生リスト「科学講演会2025」(アーカイブ動画公開中)

