レポート

【特集:荒波の先に見る大学像】第4回 化粧で気分も大学もアゲていく 地元を「メイク」する佐賀大学コスメティックサイエンス学環

2025.11.17

滝山展代 / サイエンスポータル編集部

 「少子化の時代、これ以上、大学を増やすべきでない」という論調にあらがう県がある。人口10万人当たりの大学の数が全国で最も少ない佐賀県だ。県立大が2029年に新設されるほか、県内唯一の国立大学である佐賀大学に「コスメティックサイエンス学環」ができ、来年度には初めて学生を迎える。なぜ今、コスメティックサイエンスなのか、なぜ今、大学が必要なのか。佐賀県庁や佐賀大学の取材で見えてきたのは、「地方の生き残り」が大学の存在そのものと直結しているという現実だった。

佐賀県の「コスメティック構想」と、佐賀大学の新しい「コスメティックサイエンス学環」がタッグを組み、企業誘致に加え、雇用や研究を進めていく(2025年9月、佐賀市)
佐賀県の「コスメティック構想」と、佐賀大学の新しい「コスメティックサイエンス学環」がタッグを組み、企業誘致に加え、雇用や研究を進めていく(2025年9月、佐賀市)

「コスメ構想」で企業誘致

 人口78万人の佐賀県は、福岡県と長崎県に挟まれている。福岡市まで電車で30分、長崎市まで新幹線で1時間と、両県に通勤・通学する人も少なくない。とくに、アジアの玄関口である福岡とのアクセスの良さは、佐賀県にとって人口流出の「脅威」だ。

 県は2000年代に入り、県外からの企業進出や定住を進めるため、映画のロケ地誘致や県立九州シンクロトロン光研究センターの設置など数々の政策を打ち出してきた。その中の一つが、13年に始まった「コスメティック構想」。この構想の下、玄界灘に面する県北の唐津市にコスメティック関連企業を集め、その他の地域でも工場や企業の誘致を支援した。

コスメティック産業が集まった唐津市の一帯。日本三大松原の一つ、虹の松原に沿うように化粧品やヘアケア関連の企業や工場が並ぶ(佐賀県庁提供)
コスメティック産業が集まった唐津市の一帯。日本三大松原の一つ、虹の松原に沿うように化粧品やヘアケア関連の企業や工場が並ぶ(佐賀県庁提供)

 県ものづくり産業課・コスメティック産業推進室長の東(ひがし)泰史さんによると、コスメ業界は分業が進んでおり、1つの製品をとっても、原料や資材のメーカー・商社、OEM工場、梱包資材メーカー、販売ブランドなどそれぞれに企業が存在する。1社で完全に自社製品を作り上げるのは珍しく、「1社を誘致すると、他の関連会社も続いた」と振り返る。

 とりわけ、輸入される化粧品には安全検査などが必要で、成分分析の大手「ブルーム」が唐津市に進出したことで勢いがついた。同市は港が近く、通関業の許可を持つ地元企業もあり、輸出を視野に入れる化粧品関連企業にとっては好都合だった。県は、コスメティック構想を打ち出した後、17社の企業誘致に成功している(2025年11月現在)。

 さらに佐賀県は農業も盛んで、特産品の嬉野茶(うれしのちゃ)の茶の実を生かした化粧品など、新製品も開発できた。その際、老人ホームの協力で、高齢者が茶の実の殻むきをすることになった。茶の実を使うことで、耕作放棄地を生かすことができる上、高齢者にとっては手先を動かす軽作業の仕事ができるという効果もある。

大学少なく、人材供給に難

 一方、佐賀県は久光製薬の創業の地だ。同社の強みである貼付剤の技術を生かし、進出企業と協業で顔パックの販売を始めるなど、企業のコラボレーションが進んだ。

佐賀県の大学進学率は全国平均より低い。大学への期待感を語る東泰史さん(2025年9月、佐賀市の県庁)
佐賀県の大学進学率は全国平均より低い。大学への期待感を語る東泰史さん(2025年9月、佐賀市の県庁)

 このように企業が活性化すると、問題となるのは働き手の確保だ。研究・開発分野の人材を求める企業側と、県内の大学進学率や既存大学の専攻とでミスマッチが起きつつあった。東さんは「コスメ大国のフランスでは、シリコンバレーならぬコスメティックバレーがあり、人材の供給と働く場所が確保されている。それを佐賀県でもできないか、と思っていたところにでてきたのが、佐賀大学の『コスメティックサイエンス学環設置の構想』だった」と明かす。

 人材が供給できないと企業の撤退につながる。福岡県への女性の人材流出が多い中で、女性の活躍の場が多いコスメ産業分野は、この問題を解決できる可能性がある。

 「福岡に流出することなく佐賀に残り、地元を支える人材を育てる。大学が最初からたくさんあれば気が付かなかっただろうが、大学が少ないからこそ、大学の大切さが分かる。コスメ業界に限らずだが、新卒採用は大卒を優先する企業が多いので、『このご時世で作るのか』という批判があっても、大学が必要」。自身も大卒の東さんは、そう説く。

化粧品科学に冷ややかな声も

 佐賀大学にコスメティックサイエンス学環の構想があることがメディアで報じられると、「メイクは専門学校の領域」などという批判のコメントが見られたが、大学側は「想定内」だった。

 佐賀大学は国立大学法人制度が導入された2004年当初から、故・長谷川照学長(当時)が大学中長期ビジョンを掲げてきた。今でこそ当たり前のように国立・私立を問わずビジョンがあるが、当時、大学がビジョンを持つのは珍しく、その後の学長もビジョン策定を踏襲してきた。独立行政法人化後4人目の学長である兒玉(こだま)浩明さん(前学長、現・西九州大学長)は、着任した19年10月、新たなビジョンの内容を考えていた。

 ビジョンを決めるために学部長らと意見交換していた矢先、新型コロナウイルスが猛威をふるい、「それどころではなくなった」。感染が収まってきた頃に仕切り直しをした。他大学の取り組みも基に、文理融合、スマート○○、AIなどを話し合ってみたが、「地元の人はどのような人材を求めているのか。地域に求められる人材を育成しているのか」と考えれば考えるほど、教授陣は袋小路に陥った。

今年9月末の学長退任までのコスメティックサイエンス学環に関する出来事を振り返る兒玉浩明さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)
今年9月末の学長退任までのコスメティックサイエンス学環に関する出来事を振り返る兒玉浩明さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)

 そんな折、「県の取り組みにもつながる化粧品科学」という案が挙がった。「美容は専門学校のイメージ」という意見も出たが、「理工学部と農学部、医学部がある。化学と生物をベースに、皮膚科学の医学も学べるというのはどうか」と説明を受けた。「佐大がやらなくてもどこか別の大学がやるのでは」との一部の冷ややかな声をよそに、「芸術地域デザイン学部でパッケージデザインの勉強もできそうだ」などと気運が高まった。

 兒玉さんが主に理工学部生の進路を調べると、化粧品関連会社への就職希望が多かった。「これはいいかもしれない」と、ビジョンにするべく地元でヒアリングをしたところ、「会社を誘致しても研究力が弱い」という意見があった。「ならばコスメティックサイエンスでいこう」。兒玉さんの腹は決まった。

 学環の名称が国立大学では珍しいカタカナ表記であることに懸念の声もあった。しかし、学内教員は「ジャーナル名にもコスメティックサイエンスはある」「海外の大学ではコスメティックを冠にしている学部が多々ある」と譲らない。兒玉さんらが文部科学省との折衝を重ね、当初の案通り「コスメティックサイエンス学環」として、30人の定員で認可が下りた。今年8月のことだ。

オープンキャンパス大盛況

 今夏開いた同学環のオープンキャンパスには、北海道から沖縄まで、当日の飛び込みの参加者も含め、参加上限の560人に近い学生が詰めかけた。その多くが女子学生だった。保護者向け説明会も用意していた一部屋だけでは収容しきれず、急きょ別会場を新たに設けるほどの人気だった。同学環教授の長田(おさだ)聡史さん(生物有機化学)は「認可前に説明会を対面とオンライン併用で実施したときも、300人の定員はあっという間に埋まった」という。

 佐賀大学の志願倍率は九州の国立大学の中では高い方で、「さらに倍率が上がると、受験控えされる」という心配の声もある。また、現役志向が高まる中で、佐賀大学の受験生の大半は福岡県内の高校生が占める。そのため、「地元・佐賀県の高校生が受験してくれるのだろうか」という懸念はあるものの、課題研究指導に参画している県内のスーパーサイエンスハイスクールの生徒からも問い合わせがあり、長田さんは手応えを感じている。

現在、理工学部に所属し、来年度からコスメティックサイエンス学環で有機機器分析化学や生化学を教える長田聡史さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)
現在、理工学部に所属し、来年度からコスメティックサイエンス学環で有機機器分析化学や生化学を教える長田聡史さん(2025年9月、佐賀市の佐賀大学)

 大学入学共通テスト実施前の12月までに合否が決まる「年内入試」を導入する大学も多いのに対し、同学環は一般選抜・特別選抜ともに大学入学共通テストを課し、一般選抜では理系科目の個別学力検査も課す。兒玉さんは「『こういうのを勉強したかったんです』という受験生の期待の言葉に沿えるようにしたいと思う一方で、レベルを落とさないようにしたい」と力を込める。

人材供給に県から熱視線

 佐賀大学のコスメティックサイエンス学環で、化粧品の成分分析や化学組成から生体への影響や広告まで、幅広い領域を学んだ人材が輩出すれば、県内の各化粧品メーカーに安定的に人材を供給できる。大学側としては、地元に必要とされる人材を送り出す、という国立大学の理念に沿った教育効果が見込める。県としては、これ以上の人材流出を防ぎ、専門性の高い人々が県内に残ってくれるという「願ったり叶ったり」だ。

 佐賀県はコンパクトな県だからこそ、産官学が密接な連携をしやすい。「何もなか(何もない)」と県民は自虐するが、東さんの言葉を借りると「たくさんあって気が付かない」という特産品も多い。佐賀のり、柑橘類、いちご、日本酒はそのまま楽しむこともできるが、化粧品への応用もなされている。佐賀大と佐賀県の事例は、地方創生、自治体の在り方に一石を投じるとともに、「これ以上、地方に大学は不要」という論調に異を唱えることになりそうだ。

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