横浜市で開催されていた第9回アフリカ開発会議(TICAD9)が22日閉幕した。近年のアフリカでは中国など諸外国からの投資が盛んな一方で、日本は相対的な存在感低下が指摘される。政府開発援助(ODA)の全体予算もピーク時の半分まで落ち込んでいるが、TICADの成果文書「横浜宣言」ではAIや医薬品分野などで日本がアフリカの発展へ貢献する意欲が示された。
そこで今回、これまでにアフリカで大きな貢献を果たしてきた研究事例を取材した。気候変動や紛争などにより世界中で小麦生産が大きな危機に直面する中、スーダンで日本の小麦をもとにした品種改良が進んでいる。食糧危機は政情不安へとつながる恐れもあり、この研究は平和にも貢献するものだ。これまでの歩みを伺うため、プロジェクトを率いた辻本壽さん(鳥取大学乾燥地研究センター特任教授)のもとを訪ねた。

世界的な功績を学び、45年にわたり研究
鳥取大学にある乾燥地研究センターは、日本で唯一の乾燥地研究の拠点だ。乾燥地とは、降雨量より蒸発する水の量が多い乾燥した土地のことで、世界の陸地面積の4割を占め、世界人口の35%が暮らす。日本はアフリカを含む世界中の乾燥地から多くの食糧やエネルギーを輸入する。つまり気候変動に伴う乾燥地の砂漠化や干ばつは、日本にも影響が及びかねない。そこで乾燥地研究センターでは、乾燥地の持続可能な開発に向けた研究を行っている。

ここで小麦の品種改良に取り組むのが辻本さんだ。約45年にわたり小麦の研究に携わっている。小麦は世界の主要穀物の一つであり、乾燥地で栽培される代表的な作物だ。小麦の研究において日本は、著名な遺伝学者だった故木原均博士が祖先種を発見するなど、実は世界的な功績を残してきた。大学で育種学を学んでいた辻本さんは、指導教官から木原博士の教えを学んだことがきっかけで小麦研究の道を選んだ。
2015年に現地で実証実験を開始
卒業後は横浜市立大学木原生物学研究所で小麦のDNA解析などの研究を進めていたが、2002年に鳥取大学農学部の教授に就任したことがターニングポイントとなった。100年の歴史を持つ同大農学部は、伝統的に麦類の研究が盛んなことで知られている。2011年からは、長年海外の研究施設と連携する乾燥地研究センターへと移り「国際的な観点から小麦研究の重要さを肌で感じた」という。
ちょうどその頃、米国などの干ばつの影響で小麦価格が高騰し、パンを主食とする北アフリカや中近東の国々では価格の高騰で暴動が起こり、特にチュニジアでは大規模な反政府デモ「アラブの春」にも至った。「自分の研究をもっと役立てたい。もっと行動を起こさなくてはいけない。そう駆り立てられました」と振り返る。

乾燥地研究センターでは、1990年代からスーダン共和国農業研究機構と小麦の品種改良について共同で研究を続けていた。スーダンでは気候変動が進むと同時に、人口増加や都市化の影響で小麦の需要が拡大。より乾燥や暑さに強い小麦の品種改良が喫緊の課題だった。辻本さんらは2015年にスーダンでの実証実験を開始した。
2019年には国際協力機構(JICA)と科学技術振興機構(JST)が連携し、ODAの一環として実施されている国際共同研究プログラム「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)」に採択され、研究を加速することができた。
村に出向いて丁寧に説明、収量は3割増加
辻本さんが交配を重ねて作り出した約1万種類の小麦の種の中から暑さと乾燥に強い性質を持つ1000種類を選び、スーダンで試験栽培すると、6種類がスーダンの環境に適しているとわかった。その種を用い、乾燥地研究センター内の農地やスーダンの気候を再現したアリドドームなどで交配や分析を繰り返し、暑さや乾燥への耐性などに関する実験を重ねた。

一方で新しい品種の開発には長い年月がかかるため、並行してスーダンの実用品種の改良や種子の増産にも取り組んだ。内戦の勃発やコロナ禍など困難な状況に直面しながらも、「目に見えて収量が低下する切実な状況をなんとかしなければ」と、村々へ直接出向き、新しい技術を押し売りするのではなく丁寧な説明を重ねた辻本さん。改良した種を用いることで収量は約3割増加した。

ゲリラが施設を破壊するも共同研究は続く
新しい品種を生み出すための材料となる遺伝資源の開発にも成功し、スーダンの実用品種と交配を重ね、次の一歩を踏み出そうとした矢先、スーダンで再び内戦が勃発した。
「スーダンで新たに小麦の研究施設を設置し、サブ・サハラ地域全体で研究成果を共有できるようにしていきたいと考えていましたが、建設途中の建物や既存の研究所がゲリラによって破壊され、私が長年交配してきたスーダンの小麦の種も失ってしまったのです」
そう語るのは、SATREPSのプロジェクトでスーダン側の研究代表者を務めた、スーダン共和国農業研究機構教授のイザット・タヘルさんだ。内戦で母国に戻ることができず、現在は鳥取大学で研究を続けている。

「もともと私は、パンを求めて長蛇の列に並ぶスーダンの人々の苦しみを目の当たりにし、小麦の研究を始めました。これまでも多くの困難を乗り越えてきました。だから内戦が勃発しても希望を失うことはありません」というイザットさん。幸いにも自ら交配して作り出した種は、鳥取大学で保管されていた。その種を再びスーダンに送り返そうと、現在クラウドファンディングでの協力を呼び掛けている。
「国際共同研究で最も重要なのは人間関係です。スーダンの小麦をどうにかしたいという情熱を持つイザットさんをはじめ、スーダン側の研究者とは毎週オンラインで協議するなど綿密なコミュニケーションがあったからこそ、成果を上げることができました」と辻本さんは述べる。SATREPSのプロジェクトは今年3月に終了したが、この先も新しい品種の開発に向けた共同研究は続いていく。

日本は創意工夫と自立的維持・発展の支援を
今回の成果は、日本が積み重ねてきた農業技術が基盤にあったからこそ得られたものだ。一方で辻本さんは「世界に誇る技術を海外で生かそうとする動きがあまりなく、もったいない」と指摘する。山積する農業課題の解決に貢献することは、日本の国際的なプレゼンス向上にも役立つ。グローバル化が進んだ今、研究も近視眼的な考えに陥るのではなく「世界とのつながりを意識することが必要だ」と辻本さんは強調する。

最後に日本の技術を世界、とりわけアフリカで生かすために必要な考え方を尋ねてみた。
「日本人の哲学には、『自然を征服する』のではなく『自然の中で生かされている』という謙虚さがあります。自然の恵みに感謝し、自然と競合しないよう創意工夫する精神です。ところが技術を押し売りのような形でアフリカへ持ち込むと、生活の礎である自然に負の影響をもたらしかねません。日本人の哲学に立ち返り、長期目線での継続性と現地の事情にも配慮すべきでしょう。そのためにはニーズをよく聞きながら信頼関係を築き、人材育成や施設整備などを通じて自立的な維持・発展までを支援していくことが重要だと考えます」(辻本さん)
辻本さんも気候変動に対応した小麦品種の開発に取り組む中で、イザットさんらとともに育種から普及、生産、加工、消費までバリューチェーンをつなぎ、現地の人々が自ら手掛けることのできる仕組みを模索してきた。自然への感謝、相手国の長期的な発展を念頭に置いた支援―日本ならではの哲学を背景にした辻本さんの挑戦には、日本の技術を世界でより輝かせるためのヒントがたくさん詰まっていた。

関連リンク
- JST-SATREPS「スーダンおよびサブサハラアフリカの乾燥・高温農業生態系において持続的にコムギを生産するための革新的な気候変動耐性技術の開発」
- 辻本さんのクラウドファンディングプロジェクト「高温・乾燥耐性小麦の緊急里帰り!」
- 横浜市TICAD9特設ウェブサイト


