日本の科学技術力が心配だといわれて久しい。象徴的に語られるのが、学術論文の地位の低下だ。論文は研究で得た新たな知見を整理して客観的評価を受け、学術の体系に組み込むもので、根本的に重要なはず。人々が科学技術の進展を通じ、知的で豊かに暮らすための基礎ともいえる。失速の背景に何があり、どうすればよいのか。多彩な分野のトップ級の研究者が国内外から集まり、シンポジウムで激論を交わすと、研究の自由度や国際化、若手育成といった基本的な論点があぶり出されてきた。
トップ10%論文、過去最低13位の衝撃
シンポジウムは「緊急シンポジウム 激論 なぜ、我が国の論文の注目度は下がりつつあるのか、我々は何をすべきか?」と題し3月11日、科学技術振興機構(JST)東京本部別館(千代田区)で開かれた。JSTが主催し、内閣府と文部科学省が後援。来場とオンラインを合わせて実に1000人以上が参加し、報道関係者も50人以上が取材登録したといい、関心の高さをうかがわせた。なお以下、肩書や各種データはいずれも開催時点のものだ。
まず現状分析と問題提起に立ったのは、JST理事長の橋本和仁さん。光触媒や光エネルギー研究の第一人者で、政府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)議員、内閣官房科学技術顧問などを歴任し長年、科学技術政策に取り組んできた人物だ。
他の論文に引用されることが多く学術的価値の高いトップ10%論文の数は、2009年の調査で日本は5位だったが、昨年イランに抜かれ、過去最低の13位に後退した。こうした国内外の科学技術活動の動向は文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP、ナイステップ)の「科学技術指標」などで詳しく分析されている。
橋本さんは、日本の論文総数が増加しているのにトップ10%が減っている状況を、GDP(国内総生産)が世界上位を維持しながら国民1人当たりで大きく低下した経過と似ていると解説。政府が支出する科学技術研究費の総額は中国、米国に続き3位と、こちらも上位ではある。「日本は総合力はまだ強いはずなのに、効率性、1人当たり、注目度といった目でみると、国際的地位が落ちている」と指摘した。
その上で「今日の議論を通じ、日本の研究力復活に向けた処方箋を提案したい。国家が行うべきこと、大学や国研(国立研究開発法人)、JSTのような資金配分機関が行うべきこと、研究者やコミュニティーが行うべきことは何か。言うだけでなく、各人ができることをすぐやろう」と呼びかけた。
橋本さんに続いて6人の研究者が実体験を交えて認識を順に語り、約2時間に及ぶパネルディスカッションへと進んだ。
「自由発想、ボトムアップ」の研究費どう確保
最も時間が割かれたのは、やはり研究費の問題だ。基点となったのは「日本ではイノベーションの種が枯渇している」と投げかけた、東京大学薬学部教授の後藤由季子さん(分子生物学、神経科学)の発言だろう。
研究活動を支援する公的な競争的資金は性格上、2つに大別される。政策的に戦略目標を設定し、それに沿って支援するトップダウン型の資金と、科学研究費助成事業(科研費)に代表される、研究者の自由な発想に基づいた研究を支援するボトムアップ型の資金だ。車の両輪のようにどちらも重要と考えられるが、後藤さんは次のように、後者が相対的にやせ細っている状況を問題視した。
「科研費は総額では微増だが、申請が増えたことで実質、大幅に減ったと研究者に体感されている。物価高や円安に加え、論文掲載料や購読料の高騰もある。トップダウンも重要だが、科研費はいまだ注目されていない分野で新しい芽を作るもので、ますます大事だ。成果の予測は難しいからこそ、幅広い支援が重要。運営費交付金などの基盤経費の増額、科研費の倍増を」。よくいわれる「基礎科学の重要性」の論点にも連なる話だろう。
これを受け、理化学研究所理事長の五神(ごのかみ)真さんが見解を語った。専門は光物性や量子エレクトロニクスで、2015~21年に東京大学総長を務め、初の大学債を発行するなど経営手腕が注目された。「後藤先生のおっしゃることは当然だが、科研費を倍にという要求は多分、今の予算要求の仕組みで、省庁縦割りの議論ではできない。しかし、国家スケールの戦略をきちんと打ち出せれば(その限りではない)。半導体に桁違いの投資をしたくらいの、大胆な発想転換により機運が高まれば、手は打てるかもしれない」とした。
五神さんに続き橋本さんも「『お金が足りないから増やせ』と言うだけでは増えない」と畳み掛けた。「私も自由発想の研究費を増やすべきだと、強く思う。しかし、研究費を増やすなら(公費の)どこかを減らすのであり、減らされる人は反対する。例えば社会保障費を減らしてよいかというと、当然よくない。納得してもらわないといけない。半導体の例では、政策決定権を持つ人や他分野の人も『半導体に注力するのが国の将来に必須だ』と納得したから(公費の巨額投資が)できた。一方、科研費や運営費交付金の増額は、認識が共有されていない。まだまだ私たちにできることがあり、全部そろった段階で初めて、研究者コミュニティーの外の人に理解していただかなければならない」
研究支援プログラム「柔軟でなくなった」の声
国内にはJSTが運用するものをはじめ、さまざまな研究支援のプログラムがある。これらの使い勝手に対する意見も相次いだ。超分子化学が専門で理化学研究所創発物性科学研究センター副センター長の相田卓三さんは「(支援プログラムの)ERATO(エラトー)やCREST(クレスト)が始まった時はフレキシブル(柔軟)にやれたが、その後『最初の約束をなぜ守らないのか』とキツくなった。(支援プログラムの)さきがけは、30~40人のうち1人くらい成功すれば良いと言われ、好きなことができた時代があったが『目標に沿ってやりなさい』に変わった」と指摘した。
五神さんも「私がERATOを始めた1997年当時は『伯楽(馬の優劣を見分ける名人)として天馬を自由に』と言われた。天馬の中に(後に超高精度の光格子時計を実証した)香取(秀俊)さんがいて、最初の研究目的とは違う時計作りへとチェンジした」と振り返った。「財務省の方に『研究とはそういうものだ』と話すのだが、財務省的にはそういうのが一番困り、公的なお金はきちんと執行されなければならない。橋を造るのにれんがが何個要るなどと、きちんと造ってもらうのが(財務省としては)一番よい。そこをどうクリエーティブにやれるかが、日本が勝ち抜くために重要だ」。これには橋本さんが「行政官は真面目なので、筋道を通してきちんと説明すれば分かってくれる」とコメントした。
ERATOやCREST、さきがけなどはJST「戦略的創造研究推進事業」のプログラム。橋本さんはこれらについて「狭められているとの意識は私にもあり、私が来て(理事長に就任して)から、広げることを徹底的にやっている」とも話した。
シンポジウムでは参加者から質問を募り、いくつかを議論に反映した。一つの質問をきっかけに、話は研究者の給与にも及んだ。「評価が分かる形で給与が出る仕組みを作り、弾力化が必要だ」「経済的理由や将来不安で研究者を断念した人は多い。諦めなくて済む環境にしていく必要がある」などの意見が交わされた。
橋本さんは「成功した人としない人の間に、給料の差がないといけないが、日本の大学や国研ではごく一部の例外を除いてほとんど、ない。私は(理事長を務めた)NIMS(物質・材料研究機構)で差をつけようとしたが、“羽交い締め”にされてできなかった」と生々しい体験を明かした。「また、研究者として成功しなくても、能力を持つ人がアカデミア以外で活躍できる道を用意するのも重要。政府はそれをやろうとしているが、大学に反対する人がいる」と問題視した。
日本に引きこもらず、ダイバーシティーの気運生かせ
お金の話と並んで議論が深まったのは、国際化だ。言語の壁が高いなど、研究者のみならず日本人共通の課題ともいえる。
「日本の研究者は友達作りが下手」と語ったのは、情報通信、情報ネットワークが専門で室蘭工業大学コンピュータ科学センター教授の太田香さん。「日本人は国際会議に真面目に参加するが、コーヒーブレーク(休憩時間)に日本人同士で固まってしまい友達ができない。国際コミュニティーに入れず、国際会議の委員は知り合いに頼むのが常で(日本人は選ばれにくい)。輪を広げるのが大事なのに」。後藤さんが「同感。海外の学会で日本人は固まっている。そして最近は日本人が自分しかいない」と相槌(あいづち)を打った。
五神さんは「科学には国境がなくネットワークが必須。その一角にいて最先端の情報が入ってくるよう論文を書き続け、研究力を維持することが重要だ。手を打たないと10年後には世界から日本が見えなくなる。大学でも優秀な人は、深い議論を常時できるところに集まる。先生同士の議論がほとんどない状況は、極めてまずい」と事態の深刻さを語った。
相田さんは若手の留学の効果を強調した。「博士課程の学生を1年とか留学させると、すごく変わる。日本に長年住んで構築されたパーソナリティーを、自分で変えるのは無理。それを作り直すチャンスが留学だ」。国内でも外国人の存在が重要だという。「マインドチェンジするには、日本人だけで議論せず外国人が30%くらい入ると違うのでは。国際公募のポジションにほとんど日本人しか応募してこないのは、すごく心配だ」と指摘した。
ICT(情報通信技術)を用いたインフラ整備「スマートインフラ」分野の先駆者として知られる米カリフォルニア大学バークレー校教授の曽我健一さんは「海外に行くと、自分がマイノリティーであるとの意識が出てくる」と語った。これを受け、太田さんは「ダイバーシティー(人種や性別など属性の多様性)は研究コミュニティーでも気にしていて、1回その中に入ってしまえば日本人は非常に重宝がられ、活躍できる。いきなり海外に出るのが難しければ、学生を育てるため、国内の国際会議に参加するとマインドチェンジできるのでは」と提言した。
これに曽我さんも「米国ではダイバーシティーがパラダイムになりつつあり、日本人が受け入れられやすくなっている。これを利用し国際ネットワークを作っていくべきだ」とアピール。この話は学術界に限らず、あらゆる分野の日本人が活躍するため、時宜を得たアドバイスであるようにも聞こえた。
学生に研究の「わくわく感」を
日本の研究力を将来にわたって高めるには当然、次世代が研究に魅力を感じて職業に選ばなければならない。この議論で印象的だったのが、相田さんの回想だ。「私が研究者になった理由は、一つの実験で予想外のことが見つかり、体が震えて初めて感動したから。研究者になるしかないと、その日に思った」
相田さんはその後、この感動を次世代にも向け続け「希望するなら長く議論して過ごしてきた。学生がやりたいと、変わってきたのを何度も見ている」。一方で「学生には誘惑がたくさんあり、感動を味わう前にいなくなることが結構多い。それを防ぐには、研究職の魅力が必要だ」とも語った。
NIMS磁性・スピントロニクス材料研究センターで上席グループリーダーを務める内田健一さんは「私は『こんなに楽しいことがあるのだ』と博士課程に行くことを決めた。魅力を学生に伝えることは、われわれの重要ミッションだ」と強調。五神さんは「キュリオシティー(好奇心)を持つ人がいなくなるのでは。サイバー空間が高度化してリアルとバーチャルの境界が曖昧になる中で、若者に本当の発見の喜びをかなり意識的に伝えていかないといけない」と強い危機感を示した。
入試、行事…なかなか研究できない大学人
特に大学の研究者の間で、研究活動と教育や学務とのバランスの改善が大きな課題となっている。相田さんの卒業生がシンガポールの大学で「入試業務に教員が関わることはあり得ない」とビデオで語ったことが注目され、壇上では負担軽減の必要性などが話し合われた。
橋本さんは「私はCSTI議員だった時、教員が入試業務をしない仕組みにする答申を出そうとしたが、大学に反対する人たちがいて潰された。政府は教員の雑務を減らすべきだと考えているのに、根が深い」と難しい状況を明かした。
筆者も取材先の大学研究者から、学務や行事の負担が極めて重く多忙だとの嘆きを聞くことがある。少子化を背景に、各大学が教育の充実に注力していることも影響しているようだ。ある教授は学部生の海外体験プログラムの準備や引率などを任されているといい、「各行事が学生にとって重要なのはよく分かる。ただそれらが積み重なり、腰を据えて研究できない」と話していた。状況の変化に、マンパワーが追いついていないようだ。
「世界が求める日本の科学力、絶対に落とせぬ」
シンポジウムの終盤の、五神さんの力説が心に残った。「日本の科学力は世界から求められている。なぜなら世界が困っているから。チャンスは非常に大きい。日本の科学力は絶対に落としてはいけない。わくわくする世界があるのは間違いなく、人々を引き込んでエンカレッジ(促進)しなければ。まだ間に合う」
この日の議論は実に多岐にわたり、本稿でとても網羅的な紹介はできない。若手研究者のキャリアパスなども当然、重要な論点だ。また、今回はあまり話題に上らなかったが、登壇者から何度も出た言葉「わくわく感」は研究者に限らず、広く国民が知的で豊かに生きる上でも大切なものだ。研究者はその先導役でもあるだろう。指標に直接には表れにくく地道な取り組みではあるが、自然界の謎を解く面白さや、技術を開拓することの魅力を、今後もさまざまな手段で伝えていただきたい。研究者が、また多忙になってしまうのだが…結果的に「自由発想、ボトムアップ」の研究も含め、世論の理解も深まるのではないか。メディアの役割も大切だ。
大手化学メーカー・クラレの調査では、昨春に小学校を卒業した子の憧れの職業は、研究者が5位だった。特に男の子ではスポーツ選手に続き2位で例年、上位に挙がっている。にもかかわらず、日本の大学院博士課程の入学者数は2003年度をピークに、長期に減少傾向にあるという(NISTEP「科学技術指標2023」)。若者が研究の夢を膨らませて育ち、ぜひとも志を開花させ、未来の智徳の源泉となってほしい。それができる社会でなければならない。
関連リンク
- JST「緊急シンポジウム 激論 なぜ、我が国の論文の注目度は下がりつつあるのか、我々は何をすべきか?」
- 文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学技術指標2023」
- クラレ「2023年版 小学6年生の『将来就きたい職業』」