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- iPS細胞(人工多能性幹細胞)とは何か。
- iPS細胞とES細胞(胚性幹細胞)との違いは何か。
- iPS細胞の研究が、日本国内でにわかにクローズアップされるようになったのはなぜか。
- 研究はどのような流れで推移して、今後どのようなアウトカム(成果)が期待されるのか。
本書は、このような疑問に応えるため、2009年2月に開設されたウェブサイト「iPS Trend」で連載された読みものを書籍化したものだ。iPS細胞を中心とした幹細胞研究について書き下ろされている。通称「山中因子」と呼ばれる4つの遺伝子の解説に紙幅を割き、京都大学・山中伸弥教授の講演録や同大学の高橋和利講師のインタビュー記事を掲載している。こと京都大学における研究の流れをざっくりと把握したい場合などに有用だろう。
一方、再生医療の実現化プロジェクトにおける、京都大学以外の3拠点(慶應義塾大学、東京大学および理化学研究所)や、国立成育医療研究センター、財団法人先端医療振興財団などの臨床応用に近い研究を行っている研究施設の記述がやや弱い感はある。日本国内で、iPS細胞研究の動向を俯瞰(ふかん)的に語れる人材は稀有(けう)なので、これは「iPS Trend」の他のページなどで調べて補うしかないだろう。この分野の技術開発は日進月歩で、1年も経てば一気に陳腐化しているだろうから、あくまでも本に書かれていることは参考程度にとどめておくのがよいと思われる。
以上のようなことを頭の片隅において、本文について少し踏み込んでみてみよう。
2007年11月、科学雑誌CellにヒトiPS細胞の樹立成功を論文として発表した山中教授には、生命の萌芽である胚を壊してつくられるES細胞の倫理的な問題を回避して多能性幹細胞をつくり出し、ゆくゆくは移植などの再生医療につなげたいという思惑があったという。しかし、ヒトiPS細胞を使って再生医療を行うに至るまでには、何段階もの越えなければならない壁が存在する。
まず、山中因子を用いた場合、山中因子のひとつであるc-Myc(シーミック)は細胞のがん化を起こすことが広く知られている。c-Mycを用いることなくiPS細胞を樹立することも可能ではあるが、今度は作製効率がワンオーダー下がる。iPS細胞を実用化レベルにまで持ってくるには、発がん性と作製効率の問題を避けて通ることができない。
それだけではない。
山中グループはiPS細胞の樹立プロセスにレトロウイルスベクターと呼ばれる、細胞核の中にウイルス遺伝子を組み込む方法をとっており、標的以外に悪影響を及ぼす可能性を原理的に排除することができなかった。その後、レトロウイルスの代わりにアデノウイルスを用いる方法、プラスミドを用いる方法、そして、山中因子から作製したタンパク質を直接細胞内に打ち込む方法が発表されてきている。今後は、タンパク質を直接細胞内に打ち込む方法により、高効率のヒトiPS細胞が作製できる技術が生まれてくることが期待される。
実用化に向けての越えなければならない壁が多く立ちはだかっていることは、厳然として変わっていない。しかし、2007年の終わりごろから始まったいわゆる「山中フィーバー」当時とは状況に変化が見られ、想定以上に研究の進展が認められることから、必ずしもiPS細胞の実用化への道のりが見えない遠い先の話ではなくなってきているように思える。
「期待しすぎない。でも夢物語でもない」
2008年1月に行われた、文部科学省ライフサイエンス委員会の第1回幹細胞・再生医学戦略作業部会で山中教授の口から出たひと言が、本書を通読した後に、ふと思い出された。