オピニオン

災害大国日本が挑む「誰一人取り残さない社会」 ~情報弱者を支えるテクノロジー~(片岡祐子/岡山大学病院聴覚支援センター 准教授)

2024.08.28

片岡祐子 / 岡山大学病院聴覚支援センター 准教授

 2018年夏の西日本豪雨。3日間降り続いた雨はさらに激しさを増し、岡山県西部を流れるなじみの小田川は見たこともないほどに水位を上げ濁流が激しく荒れ狂っていた。得体の知れない恐怖を身に覚えたことは、今も鮮明に記憶へ焼き付いている。今夏は各地で自然災害が相次ぐ。インクルーシブ(包摂的)な防災のあり方について考えたい。

片岡祐子氏
片岡祐子氏

重要なのは「一刻も早く気付くこと」

 日本は災害大国だ。2023年に国土交通省が出した統計によると、活火山の数は世界の8.3%を占め、マグニチュード6以上の地震は同16.9%に上る。加えて国土の約75%を山地が占め、年間降水量も世界平均を大きく超える。すなわち急峻な地形に大量の雨が降るため、土砂災害も発生しやすい。小さなものも含めると自然災害は常であり、その度に行方不明者・死者の発生が後を絶たないのが現状である。

 では、災害や緊急事態において、一番に重要となることは何か。この問いに対する答えはシンプルだと思う。「一刻も早く気付くこと」だ。

 もちろん適切な逃避、その後の心身の状態保持等々、災害時・緊急時にはさまざまな要求が生じてくる。しかしながらまず必要なのは、一刻も早く危険性に気付いて安全を確保し、迅速かつ適切な初期対応を行うことだ。それにより生命の危険や二次災害の可能性は各段に低下する。

情報弱者になりやすい聴覚障害者

 では、どういう手段が迅速な危険認識に有効なのか。地震のように自ら体感できるものもあるが、一般的にはサイレンや警報、自治体からのメールなどで認識する場合がほとんどだ。特に昨今は情報通信手段が発展したことで、刻々と変化する気象や災害状況にも対応する情報がリアルタイムで入手できるようになった。

 それでも一定数の「情報弱者」は存在し、認識の遅れから危険にさらされる確率が高くなる。通信機器を持たない小児や高齢者、非都市部に居住する者、身体の障害がある者などがそれに当たる。中でも緊急情報の第一報で高頻度を占める防災サイレンやアラート、放送などが聴き取れない、聾(ろう)・難聴といった聴覚障害者は殊更に情報弱者になりやすい。

岡山大学が行ったオンライン調査では、7割以上の聴覚障害者が災害時に困難を経験していたことがわかった
岡山大学が行ったオンライン調査では、7割以上の聴覚障害者が災害時に困難を経験していたことがわかった

 これまでにも聴覚障害者の生命を脅かす事態は何度も報告されている。古くは1950年に岡山県立岡山盲・聾学校寄宿舎で未明に起きた火災で、寄宿生約130人のうち死亡した16人すべてが聾学校児童だった。この悲劇は、岡山県で耳鼻咽喉科医として働く私を突き動かす原動力にもなっている。

 また東日本大震災では、岩手・宮城・福島3県の死亡者が全人口中0.78%であった中で、障害者は健常者に比べ死亡率が高く、障害種別では聴覚障害者が最も高い1.96%と2倍以上であった。特に沿岸部の宮城県女川町では、聴覚障害者の死亡率が15.00%にのぼったことも報告されている。

 つまり火災や洪水、津波等の体性感覚で危険を認識できない災害において、緊急事態の情報入手は聴覚障害者にとって安否に直結する必須の課題なのだ。

そもそも聴覚障害者は日常的に危険や不便を感じているのが実情だ
そもそも聴覚障害者は日常的に危険や不便を感じているのが実情だ

迅速な気付きを促進する「音を振動に変換するアプリ」開発

 そんな課題を解決すべく、岡山大学病院聴覚支援センターでは日本医療研究開発機構(AMED)の支援を受け、企業と提携したプロジェクトを進めている。今回は緊急時の「迅速な気付き」を促進するための、音を振動に変換するアプリ開発について紹介したい。

 富士通や情報技術開発(東京都新宿区)と共同開発しているこのアプリは、救急車のサイレン音や防災無線などをスマートウォッチのマイクで感知し、振動と画面表示で知らせるものだ。サイレン等の音をデジタルデータとして収集し、数値データへと変換したものを機械学習させている。数値の中に隠れた特徴を自動的に抽出し繰り返し学習させることで、同じ特徴を持った音が鳴ると検知できるようになる仕組みだ。

開発中のアプリの通知画面
開発中のアプリの通知画面

 簡単そうに感じるかもしれないが、日常にはさまざまな雑音があり、その中で重要な音だけを識別するのは一筋縄ではいかない。例えば当事者が遭遇する頻度が高く、ニーズも最も強い「車両の運転中に窓を閉め、エアコンをかけた車内で救急車両音を認識する」という課題は、実は至難の技である。それでも雑音とサイレン音等を区別させ、さまざまな種類・大きさの雑音を負荷しながら重要な音を検知させる学習を繰り返し、さらには街中での検証も経て、当事者へのアプリ配布を実施できる段階へと到達した。

聴覚障害者と実施したアプリの実証実験の模様(岡山市内)
聴覚障害者と実施したアプリの実証実験の模様(岡山市内)

 もっとも、こうしたツールは迅速な気付きを助けるものではあるが、それだけで全てを解決できるわけではない。テクノロジーに依存しすぎるのではなく、一人一人の防災意識を高めることも同時に重要だ。そうした考えから、本プロジェクトでは特別支援教育に取り組むメンバーにも加わってもらっている。医師・技術者・教育関係者などが一丸となって目指すのは、災害時に「誰一人取り残さない社会」の実現だ。聴覚障害者・情報弱者はもちろんのこと聴者も含めたインクルーシブな形で、日常生活の安全性と安心感を向上させるための研究開発を続けていきたい。

障害の有無を問わずアプリで防災対策を

 最後に、明日発生するかもしれない災害への備えとして、聴覚障害に限らない話題に触れておきたい。急激な天候変化の予測や災害情報を音以外で得る手段として、私は既存防災アプリの使用を推奨している。自治体やNHKなどさまざまな機関から無料で配信されており、例えば「Yahoo!防災速報」アプリの場合は、予め登録した3地点に加え、GPS(全地球測位システム)で現在地の情報も自動で入手できる。スマートウォッチとペアリングさせれば、振動による感知も可能だ。

 土砂災害や洪水、地震等の大きな災害はもちろんのこと、昨今の急激な豪雨の情報も通知される。気象警報ならば早くて数時間前から、地震の場合も震源地と現在地に距離があれば揺れが来る前にスマートウォッチが知らせてくれる。こうした最新の予測情報を得て、行動をコントロールする必要性は聴覚障害者に限定した話ではない。ゲリラ豪雨のときに自転車で転倒する人、一気に積もった豪雪で立ち往生する車など日々の生活には想像以上に危険が潜んでいる。

 来る9月1日は防災の日だ。この機会にアプリの活用を検討するなど、障害の有無を問わず防災意識を改めて高める契機として欲しい。

片岡祐子(かたおか・ゆうこ)

岡山大学病院聴覚支援センター 准教授

1998年、岡山大学医学部卒業。耳鼻咽喉科専門医。
2023年より現職。聴覚障害児・者の医療における限界を教育や開発、福祉と繋げることを目標に多職種で連携を行い、小児から成人、高齢者までの幅広い年齢層の当事者が活躍できる社会の実現を目指している。2022-24年度、日本医療研究開発機構(AMED)研究として、緊急時・災害時の情報授受機器の開発を手掛けている。また、教育的支援に関して、エッセル財団(オーストリア)が主催するバリアフリーの国際賞”Zero Project Award 2024”のファイナリストに選出され、活動を広く発信している。岡山大学ユネスコチェア副チェア、ダイバーシティ推進本部副室長、大学病院ダイバーシティ推進センター副センター長も兼任する。

関連記事

ページトップへ