オピニオン

無縁社会と科学コミュニケーション(永山國昭 氏 / 自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター兼生理学研究所 教授)

2011.02.21

永山國昭 氏 / 自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター兼生理学研究所 教授

自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター兼生理学研究所 教授 永山國昭 氏
永山國昭 氏

 無縁社会というNHK番組が最近放映された。豊かになった現代日本のもっとも困難な問題を扱った胸に突き刺さる番組だった。その中で古い家族モデルの消失が無縁社会の根にあると指摘した若いNPO代表の切々たる訴えが心に残った。「縁」は元来仏教用語である。仏陀(ぶっだ)は森羅万象すべてが縁から生まれ、縁こそが実在でモノ自体は無に解消可能と説いた。その仏教思想に長年染まってきた日本人にとって「無縁」の意味するところがどれほど根源的であるか誰もが直感したはずだ。

 物理を学んだ私はこの仏教的縁の概念を「相互作用」という物理用語で捉えてきた。そしてこの相互作用の人間社会における一表現がコミュニケーションである。人間社会の縁はコミュニケーションによって生まれる。さらに物質的相互作用も人間的コミュニケーションもすべて「出会いによってしか」発動しない。ここで「よってしか」が重要である。物質の場合、それは必要十分条件を意味する。すなわち物質では出会えば必ず相互作用が生ずる。だから相互作用の定量表現「力」はモノとモノとの距離だけの関数で表現できる。しかし人間の場合距離の近さは必ずしもコミュニケーションを生まない。意欲というもう一つの要因の発動が必要である。出会わなければ絶対にコミュニケーションは生まれない。しかし出会っても生まれない場合が人間にはある。「無縁社会」は出会ってもコミュニケーションが発動されない、またはできない人々の社会である。

 定年を迎える今、私の研究者人生がいかに多くの縁により支えられてきたかを思い返す。すなわちいかに多くのコミュニケーションある出会いに恵まれてきたかを。しかも私の場合さらに「科学における出会い」という特殊事情が加わる。この特殊性の端的な表現は「出会いによって新しい科学が生まれる」ことである。もちろん出会いの中身はさまざまだろう。生身の人間でなく、はるかギリシャ時代の哲人たちに書物を通じ出会うこともできるし、科学者にとって、自然との出会いすなわち自然に対する “sense of wonder” の喚起も出会いだろう。しかしなんといっても人間との出会いが最も大きな出会いで、次への飛躍を触発してくれる。

 私自身のこの経験を何とか表現してみたいと考え、3月中旬の1日、名古屋にて国際シンポジウムを開催することを思いついた(http://els.umin.jp/) 。シンポジウムタイトルを「科学における出会いと飛躍」とし、科学における人間的側面、すなわち人との出会いとそのコミュニケーションから生まれる科学を描くことにした。海外からノーベル賞受賞者2人を含む4人の共同研究者、大学時代の恩師、先達から受け取った精神を継承してくれた後進たちを招き、出会いから生まれた科学を語ってもらう。私という個人を超え連綿と受け継がれていく科学精神を一般性をもって伝えられれば幸いである。

 このようなシンポジウム企画の背景に、研究活動と並行し携わってきた科学技術振興機構(JST)における科学コミュニケーション活動がある。科学と科学コミュニケーションは私の中で渾然一体となっており切り離せない。新たな地平を切り拓く科学の歴史は、人々の間の強い相互作用(コミュニケーション)により築かれてきた。私の場合もそうあってほしいという願いを込め、無縁社会から無縁である生き方を示す点景を上記シンポジウムに合わせ発刊する記念誌の中から抜粋したい。

 以下は記念誌から抜粋

 『私が東京から岡崎へ赴任した1997年は英国王立研究所で金曜講話を行った年でもあります。それがきっかけとなり岡崎・生理学研究所での研究生活と東京・科学技術振興機構での科学技術理解増進の仕事が並行して始まりました。掲載した写真は私の母校高崎高校で1年生に対し行った授業の一風景です。350年前のレーウェンフック顕微鏡を現代によみがえらせ、生徒に自分の眼で自然を観察させミクロ世界の驚異を感動とともに実感してもらいました。ミドリムシの動く様に「ワァー、動いてる」と歓声を上げる子供たちの姿に私自身が感動し、若い彼らと自分自身にエールを送ったのを思い出します。写真の中の少年は50年前の私です。少年は科学と出会うことにより心が開かれ、未知の世界の探求に喜びを見いだし、研究者としての人生を歩いて来ました』

 無縁社会問題は縁を取り戻すことでしか解決し得ない。縁はコミュニケーションある出会いによって発動する。そしてこの発動を促す強力な手法として科学コミュニケーションがある。

自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター兼生理学研究所 教授 永山國昭 氏
永山國昭 氏
(ながやま くにあき)

永山國昭(ながやま くにあき) 氏のプロフィール
1964年群馬県立高崎高校卒。1968年東京大学理学部卒、73年同大学院修了、74年理学博士。83年日本電子株式会社生体計測学研究室長、90年科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)創造科学技術推進事業ERATO「永山たん白集積プロジェクト」総括責任者、93年東京大学教養学部教授、97年生理学研究所教授、2004年から現職。2001年50年間未達成であった位相差電子顕微鏡の開発に成功し、電子線構造生物学、ナノ形態生物学の新分野を切り拓いている。専門は生物物理学。07年から科学技術振興機構(JST)発行の科学教育誌「Science Window」編集委員長、08年から国際生物物理学連合会長を務める。

関連記事

ページトップへ