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「冷めた」日本を熱くしよう(北澤宏一 氏 / 科学技術振興機構 理事長)

2008.01.30

北澤宏一 氏 / 科学技術振興機構 理事長

科学技術振興機構 理事長 北澤宏一 氏
北澤宏一 氏

 21世紀初頭、世界はR&D(研究開発)のメガコンペティション時代に入った。貿易摩擦から技術摩擦、知財摩擦へと、国際競争の“主戦場”は時代とともに産業の川下から川上へさかのぼり、とうとう“源泉”にまで到達した。

 各国はR&Dに巨費を投じ始めたが、その予算増への国民の支持を得る過程で採用されたのが「イノベーション」という概念だ。従来、技術革新と訳されてきたが、今では「社会に還元する」「社会に変革をもたらす」科学技術という文脈で語られる。ときに一般社会との遊離がいわれてきたR&Dだが、今や暮らしに直結し、国際競争に勝つために不可欠な存在になった。そうした新たな時代認識がイノベーションという言葉に込められている。

 米欧やアジア諸国は研究開発の活性化とインフラ整備を柱とするイノベーション計画を推進している。日本も2007年7月、2025年までを視野に入れた「イノベーション25」を閣議決定した。海外諸国の政策と基本は通じているが、異なる点がある。「若手の活躍」と「人類共通の課題の解決」を非常に重視していることだ。

 背景には国際社会における我が国の特殊性がある。日本は世界最大の海外純資産(2006年で215兆円)を持ち、毎年10兆円以上積み増しつつある。しかるに1990年以来、内需が振るわず、国内総生産(GDP)の伸びは15年以上も頭打ちだ。この間、米国のGDPは2倍以上になった。

 GDPの成長が年2%を切ると失業が増大する。成長が止まった日本は世界でのプレゼンスが下がっただけでなく、国内ではリストラによる失業、フリーターの増加、ワーキングプア問題が生じた。国際調査によれば、ほとんどの先進国で「21世紀に希望を持つ」高校生が65%以上なのに、日本は35%。日本の中学生の65%が「自分の両親は生きがいを持っていない」と答える。若者たちの夢喪失の原因は彼ら自身によれば「リストラの不安」や「大人たちが夢を語らない」などだった。若者が「冷め」ていたのではイノベーションの話どころではない。

 温暖化に環境汚染、食糧危機、新たな感染症の脅威など人類は困難な課題に直面している。問題の一端は科学技術にあるが、科学技術は問題を解決する可能性も持っているし、解決する責任がある。そうした課題に挑戦することはやりがいと夢があり、多くの研究者、技術者は思いを内に秘めて取り組んでいる。だが、今の日本の状況を考えれば、内に秘めるのではなく、若者に向かって夢を熱く語り、「一緒にやろう」と呼びかけることが必要だ。若者は未来をかけるに足る目標を探しているのだ。国や社会がそうした動きをバックアップすることも必要だ。

 野球は松井やイチローを生み出したが、科学もヒーローづくりでは負けていない。湯川秀樹博士にさかのぼるノーベル賞学者は多くの国民が知っている。最近もヒーローが誕生した。体のさまざまな細胞や組織に育つ「iPS細胞」をヒトの皮膚の細胞から作ることに成功した山中伸弥京都大学教授だ。iPS細胞は数多くの難病の治療に道を開く。多くの学生が山中教授を目標に頑張ることだろう。

 しかし、漫然と待っているだけでは、そうはヒーローは登場しない。野球ではさまざまな試合でヒーローが生まれ、甲子園もある。科学にも草の根から地区、全国レベルに至る活動を育てる必要がある。「イノベーション25」によって「冷めた」日本が熱くなることを期待したい。

(本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2008年2月号から転載

科学技術振興機構 理事長 北澤宏一 氏
北澤宏一 氏
(きたざわ こういち)

北澤宏一(きたざわ こういち)氏のプロフィール
1943年生まれ、66年東京大学理学部化学科卒、68年東京大学大学院工学系研究科修士課程修了、72年米マサチューセッツ工科大学材料・冶金専攻博士課程終了、理工学博士、87年東京大学工学部教授、91年東京大学低温センター長併任、2002年科学技術振興事業団専務理事、2007年10月1日から現職。日本学術会議会員。専門分野は物理化学、固体物理、材料科学、磁気科学、超伝導工学、特に高温超伝導セラミックスの研究で国際的に知られる。科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)へは、要請に応じ東京大学を定年前に移る。以来、独創的な成果を生み出す可能性のある研究者、研究テーマに研究資金を効率よく配分する仕組み作りに力を注いできた。日本社会に活力をもたらすにはNPOの役割をもっと重視すべきであることも主張し続けている。著書に「科学技術者のみた日本・経済の夢」(アドスリー)など。

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