インタビュー

第4回「科学に触れる機会を子どもに」(渡海紀三朗 氏 / 文部科学大臣)

2007.11.19

渡海紀三朗 氏 / 文部科学大臣

「研究者、技術者育てるシステムを」

渡海紀三朗 氏
渡海紀三朗 氏

科学技術を語ることのできる文部科学大臣として、渡海紀三朗氏(衆議院議員)が就任した。日本の政治の世界では「票にも金にもならない」科学技術に、本気で取り組む政治家は少ない。そうした状況の中、渡海氏は科学技術をライフワークとしてきた珍しい政治家だ。最近の科学技術政策課題について、渡海大臣に話を聞いた。波大学の渡海紀三朗学長に、このプロジェクトとその基盤となる計算科学の重要性と、目指す新しい筑波大学像について聞いた。

―科学技術への投資を増やすためには、理解増進活動が重要になると思いますが。

よく知っている先生が不足しています。理科というのは子どものころは面白いはずなんです。いろいろな例があります。青森県の中学校のある先生は廃材を集めて、ロボットを作るようなことをして、今では全国大会まで行われています。さまざまなイベントをもっと積極的に企画すべきだと思っています。

私が副大臣の時にさかんに言っていたのは、例えば、お台場の日本科学未来館に来ることができるのは、極端にいうと東京の子どもだけじゃないか、ということです。何かのコンクールの表彰式などで東京に来たら連れて行くとか、積極的な工夫が必要ではないだろうか。要するに、ここに来たらなんとかすると言っているのではなくて。遠くに住んでいたら未来館に来るまでが大変なんだから、と言っておりました。

そこで今、未来館で開発したコンテンツを全国の科学館で展開して、機材の貸し出しをしたり、バーチャルにやったりと、いろいろやっております。やはり科学に触れる機会を子どもにどうやって作るかが大切だと思っています。

―「イノベーション25」でも、人材育成の重要性を指摘していますが、科学技術人材の育成についてはいかがですか。

やはり子どもの理科離れから考え始めて、研究者が育つ環境を作らなければならないと思います。例えば、女性研究者、若手研究者が活躍しやすい場を作っていくことが大切です。イノベーション25などでも出ていますが、白い巨塔のような体制は変えていかなければならないし、若いときからチャンスを与えられていくよう制度に変えていかなければならない。それと、理科に興味を持ち、科学に興味を持つ人間を増やしていく必要があります。

例えば、うちの地元(兵庫県)の学校が、SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)の指定を受けて、今年の8月にNASA(米航空宇宙局)に行ったんです。父兄にも費用を負担してもらってです。子どもたちは、帰って来て、ものすごく興奮していましたね。将来NASAで仕事をするんだ、と言って。そのように感じる場を提供することが大事なんです。

―来年から国際宇宙ステーションで日本の有人実験棟「きぼう」の組み立てが始まりますが、今後の日本の宇宙開発についてはどのようにお考えですか。

有人実験棟「きぼう」の建設は国際協力でもあり、今年度末から3回スペースシャトルを打ち上げる予定ですが、これはしっかりやっていかなければいけないと思います。有人宇宙飛行というのは、今後のある意味の大きなテーマだと思います。大きなテーマであるだけに、今の段階で断定的にものを決めることはできません。

科学技術は今後、単なる競争ではなく、ある分野では米国が多くのことをやり、それに日本が協力するという形もあります。ITER(国際熱核融合実験炉)はフランスで作るわけですが、日本がこれに協力しているし、これから先には次世代大型加速器プロジェクト「リニアコライダー」の話もある。そういった意味で、有人飛行をわが国単独で目指すかどうかは、まだ議論のあるところだと思っています。ただ、日本の宇宙予算は米国などに比べて非常に少ない。そういう意味では、集中と選択をしっかりとやっていかないと、HⅡAロケットもなかなか打ち上げられないということにもなりかねないと心配しています。

また、宇宙基本法を作ろうという動きがあり、これは超党派になりつつあります。宇宙というのは、子どもに夢を与える科学技術だと思いますので、そういったことも含めて今後の宇宙政策を考えていかなければならない、と考えております。

日本実験棟「きぼう」完成予想図
(提供:宇宙航空研究開発機構)
日本実験棟「きぼう」完成予想図
(提供:宇宙航空研究開発機構)

(科学新聞 中村 直樹)

(完)

渡海紀三朗 氏
(とかい きさぶろう)
渡海紀三朗 氏
(とかい きさぶろう)

渡海紀三朗(とかい きさぶろう)氏のプロフィール
1948年生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、設計事務所で働いていたが、父渡海元三郎氏が急逝し、その後を継ぐため約15年勤めた設計事務所を退職。安倍晋太郎外相の秘書を経て、86年7月初当選。現在では当選7回のベテラン。自民党では科学技術創造立国調査会会長などを務める。一級建築士。趣味は、映画・音楽鑑賞・読書・家庭菜園。座右の銘は「最善を尽くす」。

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