ハイライト

環境戦略で経済成長を(一方井誠治 氏 / 京都大学経済研究所 教授)

2010.07.09

一方井誠治 氏 / 京都大学経済研究所 教授

講演会北海道大学市民公開講座「持続可能な低炭素社会」第9回講義「低炭素社会における企業経営」(2010年6月10日)から

京都大学経済研究所 教授 一方井誠治 氏
一方井誠治 氏

 1990年ごろ日本の国際競争力はトップだったが、いまや大きく順位を下げている。他方、温室効果ガスの排出量は漸増気味で推移している。08年はリーマンショックによる基礎生産の落ち込みなどで減少したものの、「冬の寒さ、原発の稼動率、景気」次第で元に戻ることが予測される。

 部門別の二酸化炭素(CO2)排出では、1位の産業部門がやや減少している。家庭部門と業務その他部門(商業・サービス・事務所など)が増加傾向だが、発電所の排出分が含まれているのでそれを産業部門に移すと様相は変わる。

 エネルギー対策は気候変動対策の要諦ともいえる。日本における京都議定書の温室効果ガス削減の方策では、最大の排出源である産業部門を事業者の自主的な取り組みに負っていた。炭素税や排出量取引制度(キャップ・アンド・トレード)が本格的に導入されておらず、市場メカニズムによる削減のインセンティブ(誘因)が乏しかった、など欧州連合(EU)に比べて立ち遅れが分かる。

 かつて日本の公害対策には欧州からも視察団が来た。今は逆に学ぶことが多い。EUは90年代北欧諸国を中心に炭素税を実践、その後域内の主要国に導入した。05年はCO2の域内排出量取引制度がスタートし、英国の鉄鋼会社に調査に行った。この制度は実施の段階を踏んでいるのが特徴。情報開示が明確で罰則が厳しい。第1期間は試行的、第2期間は排出クレジットの過剰配分など問題点の改善を図り排出枠を厳格化した。2013年以降の第3期間には排出枠を原則無償配分方式から原則オークション方式に変更することを決定しており、世界の炭素市場における原動力となった。

 さらにエネルギー安全保障と国際競争力の強化を新たに盛り込み、温暖化対策の遅れている国からの輸入品などで実害を被っていることが判明すれば、国境でハンディをつけるための措置も用意している。2020年に温室効果ガス20%削減、再生可能エネルギー割合を20%引き上げ、エネルギー消費を予測より20%引き下げと具体的な数値目標(90年比)も出そろった。

 では日本の企業はどのような取り組みを行ってきたか。神戸税関に勤務していた時エリアを回り、輸出入関連をメインに環境対策についても企業からお話を伺った。皆さん頑張っているのに中々排出量に反映しないのはなぜか。京都大学に赴任後、実態をアンケート調査した。

 調査対象=A)05年度、神戸市および福山市の中小企業を含む265企業、B)06年、東京および大阪証券取引所上場の589社(いずれも有効回答数)
調査項目(一部)=削減目標を持ち計画的に温室効果ガスの削減を行っている。A約20%、B約58%。温室効果ガスを1トン削減するのに必要な費用を計算している。A約4.5%、B約26%。05年度に取り組んだ排出削減対策−冷暖房の温度調節や消灯による節電はB約94%で、コージェネレーションや高効率ボイラーの導入、稼動は20%台削減費用を計算している企業にはヒアリング調査を行った。各社の算定方法はさまざまで、省エネ設備の初期投資から省エネ効果分を引いていないところも多い。それに機器の買い替えでは7年とか長い目でみると元を取れる場合があるのに、3年や5年という比較的短い期間内のコスト回収を見込む。先進的な取り組みをしている企業は、CSR(企業の社会的責任)の履行、企業イメージの向上など副次的な効果を重視する傾向があった。

 削減の動機と行動との相関関係を計量分析した。より強い動機は「業界の自主目標の達成」「将来施行が予想される環境規制への事前対応」「省エネ法など行政への対応」と判明した。07年度は17業種・約200社を対象に温室効果ガスの限界削減費用を求めた。統一的な計算モデルがなく、必要なデータは企業秘密に近いので入手が難しい。環境報告書および有価証券報告書の公表数値を基に、売上高、エネルギーコストの軽減分などの調整をした結果、マイナス6,800円の平均値が得られた。費用が比較的少ない業種は鉄道、食料品、高い業種は鉄鋼、石油精製だった。

 平均値でマイナスの費用は、全体的にはまだ省エネに費用をかける余地があることを意味する。つまり環境設備投資のコストより、省エネによる利益の方が多いことが経済学的に示唆された。

 鳩山前政権が掲げた温室効果ガス25%削減(90年比)に、経済への影響を懸念する声も聞かれるが、ドイツは2020年までに無条件で90年比40%減の目標を政治合意、強制力のある排出量取引や支援制度、自主行動、情報的手法を組み合わせた施策を打ち出している。さらに削減コスト約350億ユーロに対して400億ユーロを超えるエネルギー節約効果を見込む。

 米国は将来、排出枠市場で得られるオークション収入を産業構造の変化で影響を受ける分野の職業訓練に使うなど多面的な政策を立案し、さらに電力およびガス供給会社に省エネ燃費基準を設定、10年後は代替エネルギーの割合を20%に義務付ける。上院では2020年で05年比20%削減を柱とする「ケリー、ボクサー法案」の成立を目指している。

 日本が優れた省エネ技術を持っていることを理由に低い削減目標を設定することは、将来的に日本の国際競争力を損なうことにつながる可能性が高い。その意味で、産業構造や消費構造の急速な転換が見込まれる今後の状況を、それを織り込めない単純な経済モデルで予測することには大きな限界がある。日本の民主党の地球温暖化対策基本法案では、長期目標を定め、炭素税や排出量取引制度の導入を明記していることは評価できるが、排出量取引の基本となるキャップについて絶対量のみならず原単位方式の検討を併記していることは大きな懸念だ。

 今後の方向性として、第1に政府は企業や公共の投資に影響を与える将来の炭素価格を明確にした長期的な政策を確立する必要がある。一方、企業は炭素価格や消費者の動向を念頭に置いた長期的な企業戦略を構築する必要がある。その際、企業における温室効果ガスの削減投資と排出クレジット購入のバランスを判断するための計算モデルが必要であり、現在それに役立てるための研究を行っている。

 第2に、 排出量取引と炭素税を組み合わせるなど市場メカニズムを活用する政策を積極的に導入することが不可欠である。このような措置は、排出削減分クレジットの売却などを通じ、技術開発・省エネに対する継続的なインセンティブが期待される。また、世界の炭素市場とリンクさせることで、より安い削減費用が可能となる。

 第3に、環境と経済を統合する環境経済政策の確立が重要である。例えばドイツはエネルギー税の税収の9割を企業負担の年金の補助にあてて、いわば気候変動の安定化と雇用確保の2つの政策の同時実現を図っている。EUにおける、このような政策の裏づけのひとつとなっているのがスターン・レビュー(注)。基本的に「早めに気候対策を講じた場合は、そのコストを上回る便益が得られる」という考え方だ。

 今後、日本において温室効果ガスの削減目標が明確となり、炭素価格も上昇していくことが明らかになってくると、それを無視した経営戦略は立てられなくなる。例えば今も交通機関の高速化が進んでいるが、これからの移動は時間の短縮だけでなく人の移動にかかるエネルギー効率も改善していく技術が望ましいこととなる。例えば、新幹線の一人当たりCO2排出は飛行機の10分の1くらいといわれているが、現在検討されているリニアモーターカーのエネルギー消費はその中間くらいと見込まれている。もし炭素価格が上がってくることが明確となれば、鉄道会社は、そのこともきちんとコスト計算に入れた計画を今後立てざるを得ないだろう。

 低炭素社会経済への移行を支える3つの要素は「価値観・意識」、「革新的技術」、「社会システム」である。これらの要素は互いに影響しあうものであるが、最終的に環境負荷の少ない安定的な技術や社会システムが社会で評価されるような「価値観・意識」が確立されることは、先進国、途上国共に極めて大事なことと思う。ハイブリッド車など真に優れた技術は人々の「価値観・意識」を大きく変える力がある。

 気候変動問題の緊急性と経済のダイナミズムを考えると、現在もっとも重要なことは人類が自分自身に温室効果ガスの排出に一定の制約(キャップ)をかけられるかどうかということではないだろうか。もし、それができれば今度は経済のダイナミズムが働き、新たな産業構造、新たな消費構造が形づくられ、その結果として気候変動の安定化と新たな低炭素社会経済が実現する可能性が広がることとなる。その世界は決して暗いものではなく、真に安定的で豊かなものとなると確信している。

 環境か経済かという不毛な議論を超えて新たな政策をつくっていかなければならない。

(SciencePortal特派員 成田優美)

(注)スターン・レビュー
英国政府がニコラス・スターン元世界銀行上級副総裁に作成を依頼した気候変動問題の経済影響に関する報告書。06年10月公表。

京都大学経済研究所 教授 一方井誠治 氏
一方井誠治 氏
(いっかたい せいじ)

一方井誠治(いっかたい せいじ)氏のプロフィール
東京都立富士高校卒。1974年東京大学経済学部卒、75年環境庁(現環境省)入庁、 外務省在米大使館などを経て、2001年環境省政策評価広報課長、03年財務省神戸税関長、05年から現職。京都大学博士(経済学)。環境庁計画調査室長として、94年版と95年版の環境白書を作成。専門分野は地球温暖化対策の経済的側面に関する調査研究、環境と経済の統合。著書に「低炭素化時代の日本の選択-環境経済政策と企業経営」など。

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