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神話と幻想にまみれて - 瀕死の科学報道

科学ジャーナリスト 塩谷喜雄 氏

掲載日:2011年7月20日

科学ジャーナリスト 塩谷喜雄 氏

塩谷喜雄 氏

 

原発事故の発生から4カ月、科学報道は死んだというのが、今は最も的確な表現ではないかと思う。それをあえて瀕死(ひんし)としたのは、自分自身もその片隅に身を置いている分野だけに、自律的な蘇生・再生の可能性に、ささやかな期待を残したかったからだ。

84年前の昭和2年7月24日、芥川龍之介が「漠然とした不安」を書き遺し、自ら命を絶った。この「河童忌」が近づくと、いつも思う。時代と自分の内面との間にある埋めがたい溝、抜き差しならない構造的な欠損を、彼は漠然とした不安と呼んだのかもしれないと。

人々が原発に抱いていた漠然とした不安は、福島原発の事故によって、圧倒的な現実となった。10万人を超す人々が地域社会と生活を奪われ、人生に多くの困難を抱え込まされている。

いわれなき理不尽な不幸を人が受け入れるには、真実を知ることが最低条件だと思う。天災ではなく、明らかな手抜かりと対応の失敗による事故なのに、事故現場はすぐ眼前にあるのに、避難民が納得できるような事故の全体像はいまだに「報道」されていない。メディアが流すのは、刑事責任が問われる当事者の発表をただなぞった、「広報」の類がほとんどだ。

圧倒的な現実として露呈した原発システムの破綻、その実像をとらえて、分析して、評価するのが、科学ジャーナリズムの役割である。そこに切り込まなければ、原発を包む黒い霧は晴れない。何やらまがまがしい印象だけが独り歩きして、事故前と同じように、遠くにかすんで内実は不明の巨大な伏魔殿が、そのまま存続することになる。

推進と廃止の二項対立から距離を置くという名目で、各原発の個別具体的なリスクを見極めず、原発システム全体に共通する構造的な欠陥もほとんど見逃してきた科学ジャーナリズムは、これだけの圧倒的な現実もまた、やすやすと看過し、広報の担い手に徹するのだろうか。

3月11日に福島第一原発で何が起きたのか。すべてはここから始まる。ここをすっ飛ばした収束・復興議論は、いかにもっともらしくても、いかに厳かでも、科学的、技術的には無意味である。

原発報道の原点である3月11日の出来事の全体像は、4カ月たった今も全く国民に知らされていない。いかなる事態が起きて、世界に例のない、隣接する4つの原発の連続爆発に至ったのか。メディアは何も伝えていない。それが分からなくては、他の原発にどんな補強策、追加的な安全策を求めるかも、決まるはずがない。

従って6月19日に経産相が発した安全宣言は、科学的根拠はゼロである。原子力安全・保安院が示したという、形ばかりの追加措置の意味合いについて、科学報道はきちんと検証していない。噴飯ものの、ドリルの装備などという場当たり措置を、そのまま容認している図は物悲しい。

福島第一では、炉心燃料の溶融や使用済み燃料の冷却停止で、格納容器や原子炉建屋内にたまった水素が爆発した。原子炉建屋の厚い壁にドリルで穴をあけて水素を逃がしていたら、水素爆発は起きなかったとでも言うつもりなのかもしれないが、悲惨なまでの浅知恵である。

水素爆発への備えを他の原発に求めるなら、地震でシステムが損傷しても、水素の発生を抑制する冷却システムの耐震強化だろう。決死隊がドリルを抱えて建屋に穴をあけるという、マンガみたいな図を回避する策が、工学的な安全というものだ。緊急避難用にドリルがあってもいいが、追加的措置の主役ではありえない。

制度的にみても、政府が安全を宣言できるのは、原子力安全委員会のチェックを受けてからでなければならない。行政庁(原子力安全・保安院)と安全委のダブルチェックが日本政府の原子力安全の基本である。安全委は安全指針の見直しを始めたばかりで、それを無視して独断で前のめりの安全宣言を出した大臣が、まだその任にあることが、一番不可解だ。

3月11日には、大甘の想定地震動に比べ、重力加速度にしてわずか2割上回る程度の揺れで、冷却系の配管やポンプなど、システムと関連機器が大きく破損したと、多くの専門家が指摘している。

原発は点検整備を繰り返して部品の更新をしているので、高経年化という名の老朽原発でも、強度や耐震性の劣化は少ないと喧伝(けんでん)されてきた。しかし、金属工学の専門家らは、圧力容器や格納容器と一体化されている配管や部品には、放射線にさらされ続けることでやせてゆく「減肉」や、溶接時の熱応力が経年化によって割れの発生につながる「応力腐食割れ」などのリスクが、厳然として存在すると、問題提起してきた。

しかし、研究者のこうした指摘は、公的な報告にはほとんど反映されずに終わっている。従来通りの点検さえすれば、老朽原発も安全は確保できるという、事業者と行政にとって都合のいい結論が、導かれている。技術的、科学的な問題提起は、それが現状変更を迫る具体性を持つほど、受け入れられにくいというのが、日本の科学技術風土なのかもしれない。

減肉や応力腐食割れのほかにも、研究者、科学者から福島原発は、具体的な構造欠陥、危機回避システムの欠点、想定リスクの欠落を、幾度も幾度も指摘されている。想定すべき地震動、津波への備え、全電源の喪失…。いずれも専門家による根拠を示した明確な告発で、漠然とした不安などではなかった。

例えば緊急時に作動しないと意味がない緊急炉心冷却装置(ECCS)が、何故に最高ランクの耐震強度ではなく、それより1ランク下なのか。原子力安全委員会の専門部会で、地震学者がその矛盾を突いたが、原発の耐震指針改定には全く反映されていない。

事故から2カ月たって、東京電力はECCSが津波の来る前に停止していたことを認めた。

3月11日に原発サイトを襲った津波の高さも、いまだにきちんとしたデータは示されていない。東電の言う15メートルという数字が独り歩きしている。原発の北と南の海岸線に到達した津波の高さは最高で10メートルと8メートルである。入り組んだリアス式海岸と違って、一帯は平坦な海岸線で、原発サイトだけ特異的に津波高さが大きくなるとは「科学的」には考えにくい。

3月11日に起きたことをきちんと徹底的に検証すれば、科学報道はかろうじてその存在理由を維持できるかもしれない。3月15日と21日の2回の放射能放出のピークは何故か、放出された放射性物質の総量はなぜ公表されないのか。なぜを問い続けることで、科学と報道の原点が見えてくるのではないかと、期待している。

政治ジャーナリズムが、賞味期限切れの55年体制にいまだ引きずられているように、保守合同と機を一にして誕生した原子力基本法のくびき、科学技術政策の55年体制と決別しないと、科学ジャーナリズムも賞味期限どころか消費期限も過ぎて、朽ちてしまいそうだ。

科学や技術を都合のいい道具としか位置づけていない日本、政治・経済の哲学も判断基準も、科学とは無縁だ。そのくせ研究開発の成果だけはいただこうというご都合主義の魂胆が、原発事故で立ちいかなくなっていることだけは確かだ。

 

科学ジャーナリスト 塩谷喜雄 氏
塩谷喜雄 氏
(しおや よしお)

塩谷喜雄(しおや よしお)氏のプロフィール
岩手県立盛岡第一高校卒、東北大学理学部卒。1971年日本経済新聞社入社 科学技術政策、原子力、先端医療、環境問題、地震防災などを取材。科学技術部次長、筑波支局長、編集委員を経て、99年から論説委員(環境・科学技術担当、1面コラム「春秋」の執筆)、2010年9月末退社。93年に喉頭がん手術のため声帯の4分の3を切除、本人によると天性の美声を失う(旧友の多くは術前術後で大差無しとの評)。治療のため70グレイという大量の放射線を浴びる。趣味は飲酒。著書に「生命産業時代」(共著、日本経済新聞社)、「水を考える」(共著、日本経済新聞社)、「これでいいのか福島原発事故報道」(共著、あけび書房)。

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