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どのようなPIを育てるべきか?(伊佐 正 氏 / 自然科学研究機構 生理学研究所 教授)

2008.07.02

伊佐 正 氏 / 自然科学研究機構 生理学研究所 教授

自然科学研究機構 生理学研究所 教授 伊佐 正 氏
伊佐 正 氏

 1995年11月の科学技術基本法の制定以降、科学研究予算は増大し、確かに以前に比べて基礎研究の現場ははるかに豊かになり、研究成果も飛躍的に向上した。しかし、その間、大学院重点化、大学の法人化、ポスドク1万人計画の導入など、変化があまりにも急激であったため、今や研究現場における様々な矛盾が顕在化してきている。いわゆる「ポスドク問題」については既に語り尽くされた感があるが、ここでは「PI(Principal Investigator)の条件」という観点から論じてみたい。

 私は1996年1月に自分の研究室を主宰することになった。従って、科学技術基本法制定前に研究者として育くまれ、制定後に自分の研究室での若手研究者の育成に責任ある立場となったということになる。そして最近、若手研究者の育成のされ方が明らかに違ってきたことを強く感じている。

 私は人事選考や研究費の審査にかかわる場合に、もちろん例外はあるが、一般にその研究者が「場所を移ってもそれぞれの場所でそれなりに成果(論文)を出しているかどうか」ということを重視している。特に、(1)大学院など、最初に所属した研究室で良い仕事ができた。(2)次に留学先で良い仕事ができた。(3)さらに異動して(例えば帰国して)独自の研究を開始し、そこでそれなりの成果を挙げられた、という3つの要素がそろっていれば、安心して研究室のPIとして自身の研究室を任せ、若い世代も育成してもらえるだろうと考えている。

 第一の要素は良い指導者のもとで育ったことを意味し、第二の要素は異文化にも適応でき、コミュニケーション能力が高いことを意味し、第三の要素は、各自に与えられた環境下で「それなりに」何とかできる問題解決能力があることを意味している。発表論文はNature、Scienceなどの一般誌トップジャーナルであればもちろん言うことはないが、そうでなくとも、それぞれの領域の専門誌で一流と呼ばれるジャーナルにある程度継続的に発表し、独自の研究を確立し、業績を積み上げていることが重要である。

 しかし、最近よく目にするのは、大学院時代からいわゆる「ビッグラボ」に所属し続け、例えば30代半ばで一般誌トップジャーナルに2、3編の論文のみが業績としてある研究者である。私が育った頃は、大学院を修了してポストがなければ留学して武者修行をするのが当然だったが、現在、巨額の研究費を得て、多くのポスドクを擁することのできる教授にとっては、優秀な学生はいつまでもポスドクや助教として手元に置いて業績を出し続けさせるのが、研究費に対する厳しい評価を乗り切る最善の手段なのだと思う。従って現代の一番のエリートはひょっとしたらこのような育ち方をするのか、と考えさせられる。

 しかし、本人を直接知っていれば良いのだが、このような研究者の評価は大変難しい。どこまでが本人の力で、どこからがラボの力かがよくわからないからである。さらに問題だと思うのは、そのことはおそらく本人にもわかっていないだろう、ということである。またこのような研究者に若手の育成ができるのかどうかも不明確である。このように、自分たちの研究分野の「若い研究者の個人の顔が見えにくくなっている」ことを強く感じる。

 では、このような問題はどのようにして克服できるのだろうか?

 まず研究者コミュニティの共通の認識として、それぞれの研究者がcorresponding authorとして自前で発表した論文を重視して評価する姿勢をより明確にすることである。「ビッグラボでの超一流雑誌」と「自前の専門誌」のいずれを個人の業績としてより評価するかということには一様な答えは存在しないが、そこを見極める見識を持とうとする努力は必要であろう。

 一方で若い研究者が独立して研究できる環境をより一層整える必要があるのだが、近年多くの若手研究者向けの比較的大きな研究費が増えているにもかかわらず、必ずしも期待されたほどには効果が出ているかどうかは疑わしい。その理由として、以前に比べて研究により多額の資金が必要となってきているため、それらの研究費でも完全に独立して早急に研究室を立ち上げるためには十分ではないこととともに、法人化後、主要大学とそうでない大学との「格差」が拡大し、多くの地方大学などでの研究環境が悪化していることが挙げられる。つまり、「優秀」とされる若手研究者の多くにとって、実際に「研究できる場所」として独立のために出ていける場所が一層限られてきており、無理して独立を急ぐより、大きな研究室に所属してさらに業績を積み重ねるほうがリスクが少ないということなのだろう。

 もちろん大学間の格差自体が問題であるが、それを逆行させることが容易でないとすれば、このような問題に対する研究者サイドでの防衛策は「リソースの共有による有効利用」の促進であろう。日本の研究者コミュニティは一般に研究機器の共同利用が不得意である。個々の研究室で解決のつかない問題には他人を利用する(利用しあう)、という欧米の研究者には当たり前のフットワークの軽さを我々はもっと身につけるべきであるし、また、共同利用を促進するためのサポートに国は資金を投じるべきである。

 私の研究分野では、日本は予算では米国の20分の1、研究者人口は10分の1とよくいわれるが、逆に研究者の人口密度では、米国カリフォルニア州程度の広さの国土に全米の10分の1程度の研究者が密集していることになる。この「密度の高さ」というメリットはなんとか活かすべきではなかろうか?

 本年の5月27日に科学技術・学術審議会・学術分科会の研究環境基盤部会は「学術研究の推進体制に関する審議のまとめ」として「国公私立大学等を通じた共同利用・共同研究の推進」という報告書を発表し、そこで大学共同利用機関・大学の附置研等による共同研究のネットワーク推進策を打ち出している。このような施策が「絵に描いた餅」にならぬよう、現場研究者の切実な要望が実質的に活かされるような体制の構築が望まれる。

自然科学研究機構 生理学研究所 教授 伊佐 正 氏
伊佐 正 氏
(いさ ただし)

伊佐 正(いさ ただし)氏のプロフィール
1985年東京大学医学部医学科卒、88年スウェーデン・イェテボリ大学生理学教室客員研究員、89年東京大学医学系大学院修了、東京大学医学部脳研究施設脳生理学部門助手、93年群馬大学医学部生理学第二講座講師、95年同助教授、96年岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授、04年同研究所が大学共同利用機関法人自然科学研究機構生理学研究所に改組されて現職に。08年6月、文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」の「独創性の高いモデル動物の開発」の実施拠点機関・代表研究者に選ばれた。専門は脳神経科学。

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